2024/04/05放送
「世の光」の時間です。愛知県春日井市にあります春日井聖書教会協力牧師の水谷潔です。
イエス・キリストは十字架で死なれ、葬られますが三日目に墓からよみがえり、死の力を打ち破られました。それによって、イエス様を信じる者に、肉体の死の向こう側にまで生きる永遠のいのちが与えられました。
イースターはそのことを覚えて、喜び、感謝する時です。
では、永遠のいのちをいただいた者は最終的にはどうなるんでしょうか。
新約聖書ヨハネの黙示録21章の4節は、こう記しています。
「神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」
イエス様を信じるなら、最終ゴールは神様と共に歩む、死も悲しみも苦しみもない、愛と喜びと平安に満ちた永遠の世界です。
永遠を生きるのですから肉体の死は終わりではなく通過点となります。むしろ永遠の始まりとなります。より良い所に行くのですから、死はもはや絶望ではなく希望へと転じます。死によって手放すものがあっても、それに遥か勝る豊かさが約束されています。
そのようにイエス様を信じる者にとっての死の意味はどんでん返しとなるのです。
以前、私が集っていた教会で一人のクリスチャン女性が余命数ヶ月との宣告を受けました。その方は死を前にして、病床から教会の牧師に手紙を書きます。その手紙を読んだ牧師は、礼拝説教の中で本人の承諾を得て手紙の一部を紹介して、永遠のいのちの希望を語りました。その手紙の文面を私なりの記憶ですが再現してみます。
「先生、病床で死を前にして、自分の葬儀のことをあれこれ考えています。讃美の選曲はどうしよう、お花はどんなのが素敵かしら、どうしたら残された人に良い信仰の証しができるかしら、そう考えていたらもう楽しくて楽しく仕方ありません。死んだらイエス様の所へ行くのだと思うと、なおさら嬉しくなり眠れなくなってしまいました。ちょうど子どもの頃、遠足に行く前日の嬉しくて眠れなかった時のようです。死を目前にして、こんなに嬉しいなんて変なのですが、本当なのです。」
あなたもイエス様を信じて死の意味を大逆転してもらいませんか?
( PBA制作「世の光」 2024.4.5放送でのお話しより )
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