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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■ことばを救うクリスマス4 / 大嶋重徳

2024年01月04日 | Weblog

2023/12/28放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。今週はヨハネによる福音書から私たちの普段使っていることばについて考えています。神が「ことば」となって、私たちの間に住んでくださった。それは私たちの傷つけあうことばを救い出すためなのです。

 では私たちはその新しい神のことばを、どうすれば自分のものとしていくことが出来るのでしょうか。
 ヨハネの福音書1章12節
  「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった」
 とあります。

 私たちのことばが変わるために必要なことは、「この方」つまり「キリスト」を受け入れることです。そして信じた人々は「神の子どもとなる特権」が与えられるとあります。

 「神の子どもとなる」とは神の家族とされることです。家族は日々一緒に御飯を食べ、一緒に会話をします。人間は親にかけられたことばによって自分の言語文化を作り上げていきます。愛の無いことばを聞き続けた子どもは、愛のないことばしか聞いていないために、愛の無いことばを語ることに躊躇がなくなるでしょう。しかし神様と一緒に生活するとき、私たちは本当の愛のことばを日々耳にすることになります。耳にするだけではなく、神のことばを誰かと話している時、自分でもイエス様のようなことばを口にしていくことになります。

 「特権」ということばは、「何かしらの力に支配されていない」いう意味です。クリスチャンになるというのは、この世の中の支配にとらわれていない、この世界のことばから自由にされる、ということです。

 そして神を信じ受け入れるときに、私たちはイエス・キリストに似せられていきます。神の家族の食卓に座り、父なる神様とイエス様のことばに触れていきながら、私たちは変えられていくのです。そこで自分も考えていることを「祈り」というやり方で父なる神様に聞いてもらっていく。そこで私たちは神との交わりの中で自分のことばが救われていくのです。

 私は最近よく実家の父に、「言うことがそっくりになってきたなあ」と言われます。同じように私たちが神様とともに生きていくとき、「最近、言うことが神様に似てきたねえ」と言われるようになるのです。「賢いことば」であるイエス・キリストを受け入れて信じていくとき、私たちのことばはイエス様のようになっていく。イエス様に似ていく。私たちのことばが救われていくのです。

 この方をぜひ信じ受け入れてみませんか? 


 ( PBA制作「世の光」 2023.12.28でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くといかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。今週はヨハネによる福音書から私たちの普段使っていることばについて考えています。神が「ことば」となって、私たちの間に住んでくださった。それは私たちの傷つけあうことばを救い出すためなのです。では私たちはその新しい神のことばを、どうすれば自分のものとしていくことが出来るのでしょうか。
ヨハネの福音書1章12節「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった」とあります。私たちのことばが変わるために必要なことは「この方」つまり「キリストを受け入れる」ことです。そして信じた人々は「神の子どもとなる特権」が与えられるとあります。「神の子ども」となるとは神の家族とされることです。家族は日々一緒に御飯を食べ、一緒に会話をします。人間は親にかけられたことばによって、自分の言語文化を作り上げていきます。愛の無いことばを聞き続けた子どもは、愛のないことばしか聞いていないために愛の無いことばを語ることに躊躇がなくなるでしょう。しかし神様と一緒に生活する時、私たちは本当の愛のことばを日々、耳にすることになります。耳にするだけではなく、神のことばを誰かと話している時、自分でもイエス様のようなことばを口にしていくことになります。「特権」ということばは、「何かしらの力に支配されていない」いう意味です。クリスチャンになるというのは、この世の中の支配にとらわれていない。この世界のことばから自由にされるということです。
そして神を信じ、受け入れる時に私たちはイエス・キリストに似せられていきます。神の家族の食卓に座り、父なる神様とイエス様のことばに触れていきながら、私たちは変えられていくのです。そこで自分も考えていることを「祈り」というやり方で、父なる神様に聞いてもらっていく。そこで私たちは神との交わりのなかで、自分のことばが救われていくのです。私は最近よく実家の父に「言うことがそっくりになってきたなあ」と言われます。同じように私たちが神様とともに生きていく時、「最近、言うことが神様に似てきたねえ」と言われるようになるのです。「賢いことば」であるイエス・キリストを受け入れて、信じていく時、私たちのことばはイエス様のようになっていく。イエス様に似ていく。私たちのことばが救われていくのです。この方をぜひ信じ、受け入れてみませんか。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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