2023/2/1放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
引き続きルカ福音書を順番に読んでいます。
ルカ福音書6章では、イエス様一行が安息日の戒めを破った、と律法学者たちは言いがかりをつけました。しかし、イエス様は安息日には必ず会堂に行き、礼拝をささげ、また律法の書の朗読をされました。安息日を軽んじることなど一度もありませんでした。むしろ、自分たちが作り上げた安息日規定にガチガチに縛られている律法学者たちもまた自由に解き放たれて安息日の本当の意味を生きてほしい、と願われたのです。
私も子どもの頃、教会に母に連れられ礼拝に出ていました。そこでいつも思っていたことは「あんなつまらない話を一時間近くもよく聞いていられるなあ」と大人たちを見て思ってました。しかし今、礼拝こそが自分の人生のかけがえのない時間なのだということはよくわかります。母は、礼拝に出ないといけないから出ているのではなく、礼拝に出ざるを得ないほどに夢中になって神のことばを聞いていたのです。礼拝でまことの安息を得ていたんです。
私の息子が小さな頃でした。ミニカーが大好きで、礼拝中にも車をシャーッと走らせる。なかなかの音が周りに響きました。そこで礼拝中でしたが、息子と会堂の外に行きました。
「もし、お父さんがあなたの大切なプラレール壊したらどう思う?」
「絶対に嫌だ!」
「今さぁ、お父さんは礼拝出ててさ、プラレールしてるぐらい楽しい時間を過ごしているんだよね。
でもミニカーを走らせる音で、お父さんの心のプラレールが壊れそうになっちゃうんだ。」
プラレールというのは息子が大好きな電車のおもちゃでした。怒るのではなく、叱りつけるのでもなく、息子に話しました。
「へ―っ、そうなんだぁ、わかった。」
そして、翌週から息子は駐車場ごっこに切り替えてくれたのです。
「礼拝は静かにしなさい」と言うだけでは子どもたちは神様を嫌いになるでしょう。また、礼拝の間放っておくならば、「神様なんて、こんなものか。」と神様を軽んじる子どもになるでしょう。全力で神様を愛する礼拝者の姿を子どもたちに見せたいと思います。そして礼拝の喜びは義務ではない、喜びと楽しさに溢れたものだ、と子どもたちに経験して欲しいと思います。
今日もあなたの心に、神様からいただける本当の安息が与えられますようにお祈りしています。
( PBA制作「世の光」 2023.2.1放送でのお話しより )
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