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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■隠された宝のたとえ / 関根弘興

2023年04月07日 | Weblog

2023/1/13放送
 「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
 イエス様は、こんなたとえ話をされました。マタイの福音書13章44節
 「天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。そして喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。」

 この当時は銀行の貸金庫などありませんから、財産や宝物をどこに隠したかというと、自分の地所のどこかに埋めるということをしたそうです。しかし、持ち主が死んでしまい時が経つとそのまま忘れ去られてしまうということが時々起こったようです。この農夫は、ただ畑の仕事を任されていた雇い人にすぎませんでした。まるで偶然畑を掘っていたら大きな宝を見つけ、すぐに自分のわずかな財産で畑を買い、その宝を自分のものにしたというお話です。

 このたとえ話は私たちに何を教えているのでしょう。それは、天の御国は時には偶然に見えるような日常の中で見つけることができるが、それは、自分の持っているものすべてと引き替えに買い取っても惜しくないほどの価値ある宝物のようなものだ、というわけですね。

 私は牧師をしながら多く人の話を聞きました。ある人は自分から求めてきたわけではなく、まるで偶然と思えるような出来事が重なってイエス様に出会い、永遠の御国という宝を発見したという方もおられます。また、いつもは通らない道を通ったら教会があって、ま、行ってみたところイエス・キリストを信じクリスチャンになりましたとか、まあラジオをつけたら「世の光」の放送を聴いてイエス様の素晴らしさを発見したとか、まあ色々ですね。

 新約聖書の後半の手紙をたくさん書いたパウロもそうでした。彼はクリスチャンを迫害するためにダマスコに出掛けていきました。でもその途中、まばゆい光に打たれ、イエス様の声を聞いたのです。彼はイエス様を熱心に求めていたわけではありませんでした。しかし、このイエス様との出会いは、彼にとってかけがえない永遠の宝を発見することと同じ出来事になっていきました。

 後にパウロはピリピ3章8節でこう記しています。
 「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。」
 イエス・キリストの与える救いは他のものと比べることができないほど素晴らしいものなのですねえ。


    ( PBA制作「世の光」 2023.13放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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