2023/2/3放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
引き続きルカ福音書を順番に読み、安息日の意味を考えてきました。
私たちには、いくら体を休ませても取ることのできない疲れがあります。テレビのドラマやバラエティー番組を見たり、YouTubeのおもしろ動画を見ていると、束の間は夢中になれます。辛かったことを忘れるようにも思います。気の置けない仲間たちと旅行に行ったり、コンサートに行ったり、美味しいものを食べるならば、リラックスすることもできます。しかしそれらが終わると、一晩眠って目が覚めると、現実は何も変わっていないことに気付きます。再びその疲れのたまる日常に飛び込んで行かなければいけません。私たちは魂に疲れを抱えています。
この疲れは、安息日に神様を神様とする生き方を始めない限り取ることができない疲れです。取り去ることのできない、罪人の持つ悲しさが人間にはあるのです。人間にはみんな、休んだって取ることのできない罪の問題があり、魂の疲れとを抱えてしまっている。
しかし、イエス様は言われました。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしが休ませてあげよう。」
先日、教会にある方が誘われていらっしゃった。そんな人が説教中に、ぽろぽろぽろぽろ泣いておられたのです。
私は「なぜ初めて教会に来たのに、今泣いているんでしょうか?」
「聖書のお話は、自分のことを言われたように思います。こんなにも自分の心が敏感に反応するとは思いませんでした。」
そして、ご家族のこと、子どもたちのこと、自分がやんなきゃと必死に生きてきて疲れきっている現況をお話くださったのです。
これは神のことばに出会う時にしか起こらない感情だったでしょう。聖霊の神が働かれて心に平安が訪れたのです。
イエス様は仰います。安息日はいのちを救う日だと。
「あなたは立って、真ん中に出てきなさい。手を伸ばしなさい。」
安息日は座り込んでいたあなたが立ち上がる日です。動かなくなっていた心が動き出す日です。罪の中に生きていた私たちがいのちを得る日です。私たちは、この日を失ってはいけません。安息日に礼拝に出ることで、あなたはあなたの人生の真ん中へと進み出ることができます。人は神のことばを聴き、礼拝をすることによってでしか癒せない魂の場所があるんです。
ぜひ次の日曜日、教会にお越しください。
( PBA制作「世の光」 2023.2.3でのお話しより )
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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