2023/1/30放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。
少し間が空きましたが、引き続きルカ福音書を順番に読んでいこうと思います。福音書では何度もイエス様と律法学者たちとの対立が描かれます。律法とは聖書に記されているもので、神様が人間のいのちと生活を守るためにこうしなさいと命じられたものです。
しかし、律法学者という人たちは律法をガチガチに守ることで神の救いを得ると考えていました。そして、聖書の言っていることば以上の解釈をし、聖書の数倍にものぼる戒律を作り出し、人々にも守るように求めていたのです。
旧約聖書で神様が与えられた十の戒めの一つに、「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」という教えがあります。そして、その日はいかなる仕事もしてはならない、と記されていました。律法学者たちはこの教えを守るために、仕事とは一体どこからどこまでが仕事なのかと考えたのです。つまり、何を仕事でそれをしてしまったら罪なのか、と考えました。
例えば何歩以上歩くとそれは仕事になるんだろうかと考え、安息日に行ける範囲はここまでだと自分の歩数を数えることで聖書の教えを守っていると考えたのです。
ある日の安息日に、イエス様の弟子たちが麦畑を通っているとき、麦の穂を摘んで手でもみだして食べていました。また、イエス様が別の安息日には、会堂に入って教えておられたとき、右手の動かない人を癒されました。するとパリサイ人たちが、「なぜ、あなたがたは安息日にしてはならないことをするのか」と文句をつけたのです。彼らはお腹が減っている人の苦しさや、手が動かずに苦しんでいる人のことが目に入ってはいません。時に宗教というのは、自分自身の主張を肯定するために弱者が犠牲になることも厭わないところがあります。そして、これを守らないと地獄に落ちる、と脅して恐怖を利用し、宗教に没頭させようとします。
しかしイエス様はそんな束縛に満ちた宗教性を打破しようとされました。「聖書の神様とは、そんな神様なんかじゃない」「神様を信じる信仰はそんな信仰ではない」 イエス様の怒りが聞こえてくるような今週の箇所です。ご一緒に見ていきたいと思います。
( PBA制作「世の光」 2023.1.30放送でのお話しより )
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