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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■時代は移り変わっても / 山本陽一郎

2022年02月05日 | Weblog

2021/7/31放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。今年2021年はPBA太平洋放送協会の創立70周年です。新幹線よりも早くから聖書のメッセージを電波に乗せて届け続けてきました。電波は見えません。つかむこともできません。しかし電波は私たちの生活する空間を伝わっています。それを受け取りさえすれば、私たちは番組や情報を聴いたり見たりすることができるわけです。

 聖書にご自身を示してくださった神も目には見えません。でもこの世界と私たちを造り治めておられる神は、今日今この時もあなたに語りかけておられます。様々な方法を、何より聖書のことばを通して神はご自身を示し、メッセージを届ておられるのです。

 今日は私の祖父の話をしたいと思います。祖父は少年時代に両親を失い、戦争や辛い経験を乗り越えて懸命に生きてきました。結婚した祖母が教会に通うようになり、家族は全員クリスチャンになりました。でも祖父だけはかたくなに信仰を拒み続けたのです。人一倍努力して生きてきただけに、神を信じることは甘えであり、弱い人間の手段だと考えていたようです。

 けれども、ある時初めて大病を患いました。病室へ見舞いに行った私に祖父が初めてこう言ったのです。「わしは今まで一所懸命に生きてきた。でも本当は生きてきたんじゃなくて生かされてきたんだなあ。これ読んだよ。」 そう語った祖父の枕元には聖書が置いてありました。神のことばに祖父がチャンネルを合わせたとき、心に神の愛と希望が流れ込んできたのです。辛い闘病中でしたが祖父の声と表情は大変穏やかでした。それから祖父はイエス・キリストを自分の救い主として信じ、その後、天に召されました。

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
         ヨハネの福音書3章16節

 時代も人も思想も変わります。しかし神のみことばは変わりません。あなたを生かすいのちの福音は今日も届けられています。あなたも心のチャンネルを合わせてみませんか?
    ( PBA制作「世の光」2021.7.31放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■聖霊に導かれて祈る / 山本陽一郎

2022年02月04日 | Weblog

2021/7/30放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 私たちの暮らしに欠かせない水、冷やせば氷になりますし、熱すれば水蒸気になりますね。このように一つの物質が温度によって固体、液体、気体と姿を変えることを「物質の三態」といいます。それから、私は妻の夫であり、子どもたちの父であり、親の息子でもあります。三人の私がいるのではなく、みんな一人の私です。なぜこんな話をするのかというと、神が三位一体、三つで一体であるという事実を例えを用いてなるべくわかりやすく説明したいと思ったからです。

 しかしどうしても限界がありますね。なぜなら神の他に三位一体というものは存在しないからです。神はただお一人であり、同時に父・子・聖霊というお方です。そして神ご自身のうちに愛の交わりを持っておられます。ちょっと難しく感じられるかもしれませんね。でもこの事実と私たちの祈りとは深い関係があるんです。私たちはこの神のご性質に似せて造られたので、私たちもまた神との交流、会話を求めるのです。それが祈りです。

 聖書のエペソ人への手紙6章18節に、「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。」とあります。

 私たちの祈りは聖霊に導かれて献げます。また聖霊によって私たちは天の父なる神を呼ぶことができます。

 さらにローマ人への手紙8章26節にはこうあります。
 「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。」

 聖霊は私たちに何を祈ればよいかを教えてくださいます。それだけでなく、心が沈んで私たちが祈れないと思うような時でさえも、そのことばにならない祈りでさえも、聖霊は父なる神のもとに届けて下さるのです。このことを知るとき、深く慰められ支えられるのではないでしょうか。

 あなたも祈ってみてください。祈りを通して、私たちを愛してくださる三位一体の神をもっと知り、神と親しくなりましょう。

    ( PBA制作「世の光」2021.7.30放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■イエスの名で祈る理由 / 山本陽一郎

2022年02月03日 | Weblog

2021/7/29放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。今日は、クリスチャンが祈りの締めくくりに言う、あのことばについてお話ししたいと思います。

 「イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン」
 「イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」

 キリスト教会ではおなじみのことばですが、その意味をご存じでしょうか。

 まず「アーメン」は「まことにその通りです。」という意味です。教会の歴史を通じて祈りや賛美歌の最後に唱えられてきたことばです。

 ではその前の「イエスの名前によって祈る」というのは一体どんな意味なのでしょうか。「名」とはその人の存在を表すものです。ですから「イエスの名前によって」というのは「イエス様によって」「イエス・キリストを通して」ということを言っているんですね。

 イエス・キリストは私たちの罪をすべて負って十字架でご自分のいのちを投げ出し、私たちの罪の代価を完全に支払ってくださいました。私たちが罪を赦され、聖なる神の前に立って祈ることができるのは、このお方がおられるからこそなんですね。

 ま、こういうわけで、イエス様のお名前によって祈りを捧げるのです。単なる決まり文句ではなく、イエスの名で祈ることは私たちの祈りの土台なんです。

 イエスご自身がこのように語っておられます。新約聖書 ヨハネの福音書16章23節です。
 「まことに、まことに、あなたがたに言います。
  わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。」

 若い時の私自身の経験をお話しします。自分の失敗を悔いて不安の中で落ち込んでいた時、尊敬する先生が私のために祈ってくださいました。その最後に、「イエスの御名で祈ります。」と静かに力強く語られたんです。なんと心強かったことでしょうか。私は、こんなに不真実な者だけれど、イエス・キリストの十字架によって赦され、イエス・キリストによってこの祈りもちゃんと神に届いているんだ。・・・ それは本当に感謝なことでした。

 さあご一緒に、今日もイエスの名で祈りましょう。

    ( PBA制作「世の光」2021.7.29放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■心を神に向けて過ごす / 山本陽一郎

2022年02月02日 | Weblog

2021/7/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。先日、コロナの影響で、なかなか以前のように会えずにいる友人と電話で話すことができました。やっぱり会話はいいなぁ、大事だなあと感じます。友人の声が聞けるだけで心が明るくなり、励まされました。

 ところであなたは天の父なる神様との会話、最近どのくらいしていますか。祈りとは神との会話です。いつも私たちとともにいて下さる天の父である神は、私たちとの会話を楽しみにしておられます。短くても、つたなくてもよいので、感謝や願い、今の気持ちなど、受けとめてくださる神に話してみましょう。祈ると神からの慰めや平安が心に与えられますし、神をもっとよく知っていくことができます。

 それでは、祈りは生活の中のどんな時に捧げるのが良いのでしょうか。新約聖書のテサロニケ人への手紙第一5章17節に、「絶えず祈りなさい。」ということばがあります。

 実は私、若い頃にこれを読んで、「『絶えず祈る』? そんなこと普通の生活じゃ無理でしょう」と感じてしまったんですね。

 でもこのことばは24時間手を組み続けて生活しなさいとか、祈り以外のことをしてはいけないという意味ではないのです。大事なのは、いつも心を神に向けて過ごすということなんですね。

 クリスチャンには、朝起きてまず祈りと聖書を読む時間を持っている人たちがいます。また多くの人は食事の前に祈ります。東京で大学生たちがテーブルを囲んで祈っているのを見て、「あ! クリスチャンだなぁ」とうれしくなりました。他にも、仕事の前に祈る人、散歩しながら祈る人、就寝前に祈る人、いろいろいます。いつでも祈って良いし、また祈るべきなのです。

 私たちの教会にいらっしゃるご高齢のAさんは夫を天に送り、今は一人暮らしです。Aさんは、時々何かぶつぶつ言うんですね。よく聞いてみると、「神様、こんな私が食事の準備してます。ちゃんと美味しく作れますように」とか、「どうしよう神様、今日、雨降るやろか」と、いつも自然に神へのことばが出てくるんです。

 「神様、ありがとう!」という姿は本当に素敵だなぁと感動させられます。私たちは一人ではありません。心を神に向けながら今日も一日過ごしましょう。 

    ( PBA制作「世の光」2021.7.28放送でのお話しより )

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■天の父に祈ろう / 山本陽一郎

2022年02月01日 | Weblog

2021/7/27放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 山本陽一郎です。

 教会に初めて行った方にとって、一体これは何だろうと思うものの一つは祈りかもしれませんね。「いつ、『アーメン』と言えばいいのかな?」とか、またクリスチャンの皆さんの中にも自分の祈りに自信がないという方や、りっぱなお祈りをしなくちゃと緊張してしまう方、いらっしゃるのではないかと思います。私自身がそうでした。でも祈りについて知っていくと、「よし!もっと祈ろう!」と思えるようになるんですね。ということで、今日から「祈り」について皆さんにお話ししていきます。

 聖書の中に記されている祈りの殆どは父なる神に向けて捧げられています。三位一体ということばを聞いたことがあるでしょうか。もともとキリスト教用語なんですが、少し前に三位一体の改革というふうに政治の世界でも使われました。意味は三つで一体ということです。父・子・聖霊の三つでただお一人の神であるということなんですね。その父なる神が基本的には私たちの祈りの対象となります。実際、イエス・キリストも福音書の中で何度も、「父よ」と祈っています。大事なのは、私たちが祈る対象は「父」という人格的な神だということです。

 新約聖書 ローマ人への手紙8章15節
 「この御霊によって、私たちは『アバ、父』と叫びます。」

 「アバ」とは、アラム語で「パパ」「お父ちゃん」と言うような幼児のことばです。「パパ! 今日、お友だちと遊んだよ。」「父ちゃーん! 痛いよー、転んで擦りむいちゃったよー。」 嬉しい時、悲しい時、幼い子どもがお父さんに話しかけるように、私たちも父なる神様を呼ぶことができる。祈りはまさに親子の会話なんですね。

 イエス・キリストも「アバ、父よ」と祈られました。それも十字架にかかる直前にです。私たちにとっても、苦しい時、大変な中にある時こそ、まず祈ることが大切ではないでしょうか。上手い下手は重要ではありません。いつでも、どこでも、どんなことでも、神に話しかけてみましょう。なぜなら、神はいつもあなたと一緒におられるからです。天のお父さんの神様はあなたが祈るのを心から待っていてくださいます。 

    ( PBA制作「世の光」2021.7.27放送でのお話しより )

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