♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■ひとつの泉が開かれる / 関根弘興

2019年05月03日 | Weblog
2019/3/29放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 イエス・キリストがエルサレムのベテスダという池に行かれ、38年ものあいだ病に苦しむ人を癒された出来事がヨハネの福音書に記されています。このヨハネの福音書の特徴の一つは、イエス様の行われたみわざの中に律法の限界というものが暗示されているということなんです。

 この多くの病人がいたベテスダの池には五つの回廊がついていた、と聖書には書かれています。この五つの回廊というのは、旧約聖書の中で律法と呼ばれているモーセの五書で、それは創世記、出エジプト記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記まで、これを象徴的にあらわすものとして造られたと言われていました。その回廊の中に憐れみの家という意味を持つベデスダの池があった訳です。この場所は神様の憐れみと恵みを受けるためには五つの回廊に象徴される律法の戒めをきちんと守らなければならないということを暗示されているという訳ですね。しかしそこに横たわってる人々の中できちんと律法の戒めを守ることができる人がいるでしょうか。誰もいません。結局人々は、どんなに求めても自分の力や頑張りでは神様の憐れみや恵みを受けることができない、という現実を味わいながら、そこに横たわっていた訳です。

 旧約聖書の律法・戒めというのは人間の罪や弱さを明らかにするものです。律法を完全に守ることのできる人など一人もいません。五つの回廊のついたベテスダの池に多くの病人が伏せったままでいる状態というのは、律法では人を救うことはできないという律法の限界を象徴的に示す光景でもあった訳です。

 しかしその場所にイエス様が来てくださいました。そしてイエス様は「起きて床を取り上げて歩きなさい」と言われたのです。それは律法の世界にとどまるのではなく、イエス様の約束のことばに信頼し、そのことばに従って新しい歩みを始めなさい」という招きでもあったんですね。つまり、この出来事はイエス・キリストこそ本当の憐れみ家、恵みの家、ベテスダの池そのものなるお方だということを教えているんです。

 旧約聖書のゼカリヤ書の13章1節に、「その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。」ということばが出てきます。イエス・キリストこそが私たちの罪と汚れをきよめる癒しの泉、ベテスダの池そのものなるお方なんですね。

     (PBA制作「世の光」2019.3.29放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。