♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して66年の
「世の光」を文字で 

■キリストの十字架の赦し / 大嶋重徳

2019年05月16日 | Weblog
2019/4/11放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。さあ今月は、イースター ー イエス・キリストの十字架と復活を祝う季節ー を迎えています。

 イエス・キリストの十字架について、聖書は「それを目撃した者があかしをしているのである。そのあかしは真実である。その人が、あなたがたにも信じさせるために、真実を話すということをよく知っているのである。」(ヨハネ 19章35節)と記します。

 では聖書が記す目撃した者たちは一体何を目撃したのでしょうか。それは、目の前でイエス・キリストが殺されて確かに死んだのを目撃したのです。イエス・キリストは十字架の上でその手に釘が打たれました。足にも釘が打たれました。頭には茨の冠がかぶせられ、背中には何度も何度も打ち付けられた鞭の痕がありました。何のためにキリストは十字架で殺されなければならなかったのでしょうか。

 それは私たちの罪の罰を身代わりに受けるためだと聖書は語ります。私たちは本来、自分が犯ししまった罪の罰を自分で受けなければなりません。聖書は語ります。人生は死んで終わりなのではないのだと。私たちはこの世界を造られた神の前に立たされる時が来るのだ、と語るのです。そして自分の人生でなしてしまった罪の裁きを神の御前で受けなければならない時が必ず来るのです。人は必ずその人生で自分の人生の刈り取りをしなければいけません。神の前の罪のさばきを思う時、神の御前に胸を張って立つことのできる人などは誰もいません。

 しかし、たった一人だけ神の前に立つことのできる存在がいます。それが神の子イエス・キリストです。キリストは何一つ罪を犯すことがなかったのです。だからこそ私たちの罪の身代わりになって、私たちの罪の裁きを十字架で受けることができました。イエス・キリストの十字架の手の釘は私が触れてはいけないものを触れてしまうその罪のために、あのキリストの十字架の足の釘は私たちが行ってはいけない所に行ってしまうその罪のために、キリストの頭の茨の冠はあなたが考えてはいけないことを考えてしまう罪のために、キリストの鞭の痕はあなたが誰かを傷つけ痛みつけてしまったその罪のために、キリストの脇腹の槍の痕はあなたが自分のことが嫌いで生きることが苦しく胸を締め付けられそうになるほど苦しんできたそのために、キリストは十字架にかかってくださったのです。

 キリストの十字架はそのことのためであったとあなたが信じるときに、あなたの罪は赦され、永遠のさばきから救い出されます。このキリストの十字架の救いを受け取りませんか。

    ( PBA制作「世の光」2019.4.11放送でのお話しより )

******


さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


******
このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。