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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■母の胎から /岩井基雄

2011年05月06日 | Weblog
2011/5/6放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日もご一緒に旧約聖書の詩篇を味わいたいと思いますが、今日は今度の日曜日の母の日にちなんで、詩篇22篇9節、10節をお読みします。

 「しかし、あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。

 お母さん或いはそれに代わる方の愛の犠牲によってあなたは育てられ、成長を与えられてきました。しかしその背後には、聖書が語るすべてを創造された神様がいらっしゃることがうたわれています。天地にあるすべてのもの、また命あるすべての存在を、愛を持って造られた神様はあなたのお母さんを通してあなたを創造し、あなたにいのちを与えられました。あなたの存在は決して偶然ではないのです。神様の愛によって意味と目的を持ってあなたは創造されたのです。詩篇の作者はこう歌っていました。

 「生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。

 私たちはともすれば自分だけで生きているかのように思ってしまうことがあります。自分の力ですべて歩めているように錯覚し、ときには高慢になります。しかしあなたは神様の創造によるものであり、あなたの存在は神様に委ねられ、この神様の愛の中に包まれているのです。今あなたがどのような悲しみや痛みを抱えていらっしゃったとしても、あなたを愛し、あなたを慈しんでくださっているあなたの神がいらしゃるのです。

 別の詩篇71篇の6節にはこうあります。

 「私は生まれたときから、あなたにいだかれています。あなたは私を母の胎から取り上げた方。私はいつもあなたを賛美しています。

 目には見えなくても聖書が語る神様はあなたを心から愛し、愛の御手を持ってあなたを抱き続けてくださっているのです。あなたもこの神様のもと、お近くのキリスト教会に行き、賛美と感謝を捧げませんか? そのとき、あなたの本当のいのちが輝きます。聖書が語る神様はあなたを愛し、あなたがご自分のもとに来るのを待っておられます。それではまた聴いてください。

   (PBA制作「世の光」2011.5.6放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しく
はPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。
日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。
予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。
問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■天にいます私たちの父よ /福井 誠

2011年05月05日 | Weblog
2011/5/5放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは、「天にいます私たちの父よ」です。それではマタイの福音書6章9節から読んでみましょう。

 「天にいます私たちの父よ。

 教会に行き始めた人たちは、しばしばどのように祈ったら良いでしょうかと質問いたします。教会の人たちの祈りの姿を見ながら、手を合わせるのか、指を組むのか、座って祈るのか、立って祈るのかといろいろと気になることがありますよねえ。

 それで聖書は何を教えているでしょうか。まず聖書全体で祈りの場面を拾ってみると、立って祈ることもありますし、座って祈る事も、手を上げて祈ることも、平れ伏して祈ることもありますから、祈りの形にはこだわらなくてよいと私は思っています。

 しかしイエスは祈る時にはこのように祈りなさいと祈るべき内容を教えていますねえ。キリスト教会でも暗唱されて祈られている主の祈りと呼ばれるものがあります。ギリシャ語の原文では「アバ」ということばが「父よ」ということばに使われていますが、それはユダヤ人の間では離乳食を始めた幼子がは口にする最初のことばであると言われます。ということは、神様に呼びかける時には幼子が父親に語りかけるように率直に親しく安心して呼びかけなさいと言ってるわけですね。聖書の神様は私たちに父のように配慮し、気遣い、親しく耳を傾けてくださる、そんな優しい神様のイメージが思い浮かびます。

 けれどもそればかりでありません。実はもっと大切なことをイエス様は伝えています。イエス様は別の箇所で「わたしと父とは一つです。」(ヨハネ 10章30節)と語っておられます。つまりイエス様は私たちにその神様を同じように呼ぶことを許されている訳です。「あなたがたもわたしの父を父と呼んでいいですよ。わたしの仲間にしてあげましょう。」ということですね。親しみを込めて祈るだけではなくて仲間として祈ることのできる素晴らしい特権があることを実は教えています。

 あなたも心から「父よ」と呼びかけ、あなたの思いを神様に語ってみませんか?
 
  ( PBA制作「世の光」2011.5.5放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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■鶏が先か、卵が先か /板倉邦雄

2011年05月04日 | Weblog
2011/5/4放送

世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。

 今日は「鶏が先か卵が先か」という題でお話ししましょう。このことを考えますと私の頭はウニのようになります。鶏が先ですとニワトリは卵から帰ります。卵が先ですと、卵は鶏が産もうとしますね。旧約聖書の創世記1章をお話しています。1章20節から21節にはこう書いてあります。

 神はまた言われた。「神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。 神は・・・翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。・・・

 神のことばである聖書によりますと、翼のある全ての鳥は種類に従って神様が創造されたのです。鶏が先なんですね。

 私は子供の頃から生命の誕生を次のように教え込まれてきました。

 ある時海中で突然生命体が誕生した。その生命体は長い年月をかけて分裂。進化していった。そしてやがて現在のような生物になった。 下等のものから上等のものへと進化してきたのだ、と言うのです。

 しかしこの下等のものから上等のものへと進化発展すると言う自然の法則はありえないことを学生時代に知らされました。その自然法則とは熱力学第二法則。別名をエントロピーの法則と言われます。この法則はエネルギーが加わり時間が経ちますと、物質や生命体は壊れてゆくということです。逆に発展進歩することはありません。

 この宇宙の法則によれば単細胞のような生命体から鶏のような高等な生命に移行することは困難だと言うことです。新車だって新築の家だって時間の流れの中で中古車になり中古物件になり、やがて壊れていきますよねえ。最高の生命体と言われる私たち人間もゆがてじっちゃまになりばっちゃまになり壊れて死んでいくのです。神様は種類に従ってすべての動植物を作ってくださいました。鶏は鶏です。雀は雀です。烏は烏です。ですから動植物は比べることはできません。鶏は鶏です。雀と比べることはできないのです。かぼちゃはかぼちゃ。大根と比べることはできませんね。

 実は私たちも個性的に作られているのです。それなのにどうして人と比べたり同じゴールを目指して競争しなければならないのでしょうか。

  ( PBA制作「世の光」2011.5.4放送でのお話より )

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■自由 /山中直義

2011年05月03日 | Weblog
2011/5/3放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義 です。 

 本当に自由な生き方とは何でしょうか? 

 新約聖書マルコの福音書15章にバラバという人物が登場します。彼は当時ユダヤを支配していたローマ帝国に対する暴動のかどで牢に捕らえられていました。人々を抑圧して苦しめるものから解放されて自由になりたい。バラバはそんな思いを持って戦いに挑み、破れ、ただ死を待つだけの人物であったといえます。

 そんなバラバが突然釈放され自由に生きる権利を得ることになりました。イエス・キリストが彼の身代わりとして殺されることになったからです。

 その時イエス・キリストは裁判にかけられていました。訴えていたユダヤの宗教家たちも裁判官であったローマの総督も、裁判を取り巻いていた群衆も皆、イエス様には死罪にあたる罪など何もないことをよく知っていました。ですが彼らはそれぞれに自分のプライドや立場や理想を守るためにイエス様を十字架につけることにしたと聖書は言います。自分の思い通りに生き続けるために、自分の持っている立場や権利を守り通すために、自分の理想を追い求め続けるために、彼らはイエス・ キリストを否定し退けることにしたのでした。

 自分の思い通りに生きるためには正義も真理も無視し、人を傷付けることさえ厭わない。イエス・キリスト十字架に追いやった彼らの姿は理想と力に頼って暴動を起こしたバラバや自分の思いのままに生きようとしている私たちの姿と重ならないでしょうか。

 そんなバラバでしたが、本当に不思議なことに赦免されることになりました。人に赦しと自由を与えるために人の罪の身代わりとなって命まで差し出された方によって彼は再び生きる自由を得たのです。

 聖書は言います。「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。」(ガラテヤ 5章1節) 本当の自由、魂の自由は自力で勝ち取るものではありません。それはキリストによって与えられるものだと聖書は言います。

 自分の思い通りに生きるのではなく、愛と正義に満ちたイエス・キリストを真の王として生きる。そんな本当に自由な人としてあなたもイエス・キリストとともに歩んでくださいますように。
 
     (PBA制作「世の光」2011.5.3放送でのお話しより )

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東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送に協力してくださる場合の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)

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■苦しみを乗り越えて /関根弘興

2011年05月02日 | Weblog
2011/5/2放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 今日も最初に聖書のことばを紹介しましょう。第一ペテロの5章10節。
 「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

 聖書の神様は私たちの人生に無関心で冷酷な神様ではありません。この方はあらゆる恵みに満ちた神様だと聖書は教えています。それは私たちがたとえ苦しみに遭ったとしても完全にし堅く立たせ、強くし、不動のものとしてくださると約束されているんですねえ。苦難はあなたを完全にするとありますが、この完全ということばはもともと「回復」ということはです。普通は、そうですねえ骨折した時その骨折がだんだん治っていくそんな様なときのことばだそうです。私たちは人生につまずいてそれだけではなく心が折れてしまうようなそんな辛い経験をするものです。でも神様は回復してくださる、癒してくださると約束されているんですねえ。

 聖書の人物をよく見てください。誰もが落胆の経験を持っています。失敗もあります。挫折もあります。試練もあります。もうだめだと意気消沈させてしまう出来事が沢山出てきます。しかし神様はそうした出来事を通してあなたをだめにしてしまうのではなくあなたを回復させてくださる神様だと教えています。
 
 詩篇の119篇に「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。」ということばが出てきます。なかなか語ることのできないことばですよね。でも人生を振り返ったとき、あの苦しみがあったからこそ私の人生は回復されていったのだと思わされるそんな人生でありたいと願います。

 しばらく前になりますが一人の方の所にお見舞いに行きました。決して軽い病状ではありませんでしたが、その方がこう言われたのです。「もし私の病気が軽いものなら、神様を求めることなどしなかったでしょう。すぐ良くなって遊び回ってますよ。でもあまり病気が重すぎたら苦しみのあまり神様を恨むことはあっても求めることはしなかったでしょう。神様はちょうどよくしてくださったんです。最近神様は私を愛しているなと感じることがあるんですよ。」 この方は一月後に洗礼を受けられ、その1一月後に天に召されました。苦しみは誰も襲うものです。でも安らぎを与えてくださる神様を信頼していきましょう。

 (PBA制作「世の光」2011.5.2放送でのお話しより)

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