♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■失望に終わらない /関根弘興

2011年05月09日 | Weblog
2011/5/9放送


世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしたいですね。

 聖書の中で信仰の父と称賛された人物がいます。それは旧約聖書に登場するアブラハムという人です。ま称賛されているからといってば彼が完全な非の打ちどころのない人であったということではありませんでした。彼も挫折をし、落胆もしました。

 神様はある時アブラハムに私が示す地へ旅立ちなさいて言われました。アブラハムは一大決心をして、ついに旅立っていくんです。きっと神様が示す地なのだから素晴らしいことがこの先待っているに違いない。そう考えたはずです。潤いのある土地に神様は導いてくださるだろう。穀物はあり余り、家畜のための牧草がたっぷり。ま、そんな夢を抱きながら旅を続けていったと思います。しかしどうでしょうか。アブラハムの思いを無残に砕いてしまう出来事が襲ったのです。それは彼がたどり着いた場所は何とひどい飢饉だったんです。信仰の父と言われた彼の生涯の初めには思うようにいかないことが連続するんですねえ、沢山あったんです。

 私たちは日本の中で信仰ということを考えると、どうも御利益宗教のイメージがとても強いんです。信じたらいいことあるがある、もしなければやーめたって具合ですね。ですからイエス・キリストを信じても自分の考えていないようなことが起こったり、いわゆる不幸が起こったりするとすぐに、なーんだ、イエス・キリストを信じてたってなーんにもいいことないじゃないか、もうやーめた、と結論づけてしまうことがあるんです。自分にメリットがないなら信じている意味なんてあるのか、とすぐに考えてしまいやすいんですねえ。

 でもちょっと待ってください。もし自分の思い通りになるために神様がいるとするならば、もはや神様は私たちの召使いのようですよね。そしていつの間にか私たちが神様を支配しているような、まるで私たちが神様になってしまっているかのようです。

  残念ながら聖書は信仰を持っていればバラ色の人生を保障しようとはどこにも書いてはありません。しかしこのように記されています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」(口語訳聖書「失望に終わることがない」 ローマ 9章33節、10章11節、参照1ペテロ 2章6節)と。彼とは神様であり、またイエス・キリストのことです。誰の人生にも思うようにいかない現実や失望と思われる状況は襲います。しかしイエス・キリストに信頼していく人生は決して失望があっても失望には終わらないと約束しているんです。このことばを受け入れながら歩んで行くことにいたしましょう。
 (PBA制作「世の光」2011.5.9放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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