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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■見ずに信じる者は幸いです

2009年04月18日 | Weblog

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。 

 イエス・キリストは死者の中からよみがえられた!  聖書はキリストの復活をはっきりと宣言しています。

 しかしこのことを信じるのに抵抗を覚える人は少なくありません。 

 イエス様の弟子の一人、トマスという人物はある時、次のように言いました。 
 「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」 (ヨハネの福音書 2章25節)

 もし・・・でなければ決して信じない。 私たちも時にイエス様を信じるにあたって条件を設けることがあるのではないでしょうか。 ある人は奇跡を見ることを、ある人は抱えている問題の解決を条件とします。

 しかし、果たしてその条件が満たされれば本当に信じることができるのでしょうか。

 一つの問題が解決されたとしても私たちは次から次へと問題を見つけます。 たとえ100の奇跡を見たとしても更に次の奇跡を求め続けるのが私たちではないかと思うのです。

 結局自分で決めた条件にしがみついているうちは真に神を信じることができない。 そのことを思わされます。 

 そんなトマスの前に復活したイエス様が現れ、次のように言われました。 
 「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネの福音書 2章29節)

 「見ずに信じる者は幸いです。」 自分の目が見る所を全てとせず、神のみことば・聖書のことばによって神を信じることの幸いを教えられます。 

 神のみことばには私たち人間にはない不思議で確かな力があります。 もし私たちが聖書のことばに心を開いて耳を傾けるなら、私たちは復活したイエス様と出会うことができるのです。 そしてこのお方と共に歩み、救いを得ることができるのです。
 

 「見ずに信じる者は幸いです。」  聖書のことばに耳を傾け、復活したイエス様を信じることができますように。 

  ( PBA制作「世の光」2009.4.18放送でのお話しより )

***

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送への協力、
は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)


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■キリストと同じ姿に

2009年04月17日 | Weblog

世の光の時間です。お元気ですか。岩井基雄です。

 先日、淀川キリスト教病院名誉ホスピス長の柏木哲夫先生の講演会に行ってきました。 死と向き合って生きるホスピスの働きをしていらっしゃり、2500人の最後の時と立ち会ってこられた柏木先生の一言ひとことに深く教えられました。

 末期の癌を抱え自らの死と向き合って歩んでいらっしゃる方も皆さんの中にあるいはご家族の中にいらっしゃるかもしれませんねえ。

 死を恐れる人は少なくないでしょう。 そして自らの死を意識する時、私たちは自分の存在の意味や目的を考えます。 死んだあと自分はどうなるのだろうか。 すべてが無くなってしまうのだろうか。 それとも体は無くなっても魂だけは残るのだろうか、など様々なことを考えます。

 しかし聖書は死後、何も無くなるのでも魂だけが残るのでもなく、新しい体によみがえるのだ、と語っています。 限界のある体ではなく、永遠のいのちを豊かに受け取る新しい体です。 それは十字架にかかられたあと三日めによみがえられたイエス・キリストのいのち溢れる栄光の体と同じ姿だと聖書は語っています。 

 新約聖書のピリピ人への手紙3章21節に次のように書いてあります。 「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

 キリストの栄光の姿と同じ姿とはどんな体なのでしょうねえ。 あなたはどんな栄光の体をイメージされますか? 

 私たちは死を恐れる必要がありません。 イエス・キリストにあって希望があるからです。 また自分の体が朽ちてしまうことや無くなっていまうことを嘆かなくても良いのです。 イエス・キリストがあなたのために十字架にかかり、三日目によみがえり、素晴らしい栄光の体をあなたにも与える用意をしてくださったからです。

 あなたもこの新しい希望、栄光の希望に基ずく歩みを始めませんか?

(PBA制作「世の光」2009.4.17放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
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■口で告白して救われる

2009年04月16日 | Weblog

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 

 今日のバイブル・メッセージは「口で告白して救われる」です。 それでは聖書の中のローマ人への手紙10章9節、10節から読んでみましょう。 
 「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

 イエスが復活されたこのイースターのメッセージを聞くたびに私には希望が溢れてくる思いがします。 死をいのちに変える方がおられる。 何もない所に新しいいのちを生みだされる、そういうお方がいる。 そのような神の存在を知るなら私たちはどうして落胆したままでいられるでしょうか。

 私はこのラジオを聴いておられる皆さんにもぜひ神様を信じていただきたいと思いますが、実際にどのように信じたらいいのか分からない、という方がおられるかもしれませんねえ。 あまり難しく考えなくても良いのですが、具体的にどうしたらいいんだろうとまごつく思いの方はいることでしょう。 

 そこで今日ラジオを聴いている皆さんの中にそのような方がいるならば、目に見えない神様がおられることを覚えて私のあとについてこう言っていただきたいのです。
 では祈りましょう。 「主イエス様。 私は自分は神の前に罪人であることが分かりました。 また私の罪を赦すために、あなたは尊い命を捧げ、十字架の上で苦しんでくださいました。 私の罪はあなたのゆえに赦されていることを感謝します。 また復活の力によって私に新しいいのちを注いでくださったことを信じて感謝します。 今私はあなたを私の救い主として受け入れます。 またあなたのことばに従っていきます。 あなたが望む新しい人生を進んで歩んでいくことができるように助けてください。 あなたの恵みと祝福に感謝し、尊いイエス様のお名前によってお祈りいたします。 アーメン。 」

 どうでしょうか。 もしあなたが心から祈ったのならば、あなたは神の救いを受けました。 どうかキリストの教会へ行き、更に牧師さんの導きを得て、バプテスマ(洗礼)を受けて新しい人生を始めていただきたいと思います。 


  (PBA制作「世の光」2009.4.16放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■神に立ち返る

2009年04月15日 | Weblog
 
世の光の時間です。 板倉邦雄です。 

 さてある時、一人の婦人の方が私の教会を訪ねてこられましてねえ、「失礼ですが礼拝堂を見学していいですか?」(と)  礼拝堂に婦人を案内しました。 婦人は礼拝堂を見回しまして正面に架かっている木製の十字架を見て言いました。 「先生、十字架に架かったイエス・キリストの像がありませんねえ。」 「そうですよ。イエス様は私たちの罪の身代わりになって十字架で死なれ葬られました。 その三日目に死者の中から復活して天の神様のもとにお帰りになったので十字架上にはいないんです。」と説明しました。 

 神に立ち返ることは自分では不可能なことではないでしょうか。 誰かに連れていっていただく以外にはありません。 その誰かとは罪人のために十字架にかかり死んで、三日目によみがえられた救い主イエス・キリスト以外にはありません。 

 ここでイエス・キリストの弟子のことばを紹介しましょう。 「あなたがたは、このイエスを引き渡し、ローマの総督ピラトが釈放すると決めたために、・・・このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男バラバを釈放するように要求し、いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせたのです。」(使徒の働き 3章13節から15節を参照)

 人殺しのバラバは釈放され、きよく正しい方イエスが十字架に処刑させられました。 この時バラバとイエスが入れ替わったことになりますね。 イエスは悪人バラバの身代わりになって死なれました。 バラバの悪行は赦され、バラバはイエスのおかげで罪無しと認められたのです。 
 さて二千年前、イエスを十字架に架けたのは誰ですか。 実は私たちの罪と悪でした。 イエス・キリストが死者の中から復活されたのは、何のためだったのでしょうか。 私たち罪人が罪を赦されるだけではなく、神様のもとへ立ち返るためだったのです。 ですから私たちは罪をぬぐい去っていただくために罪を悔い改めましょう。 そして私たちの罪のために十字架に架かり、三日目に復活されたイエス・キリストを信じ、仰ぎ望みましょう。 天に帰られたイエス・キリストを信じるとき、私たちはイエス・キリストに連れられて天の神様のもとに立ち帰ることができるのです。

 イエス・キリストのことばです。
 「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父(神)のみもとに行くことはできない。
 ヨハネの福音書14章6節(口語訳聖書)

 ( PBA制作「世の光」2009.4.15放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■悔い改めなさい

2009年04月14日 | Weblog


世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 
 イエス・キリストが十字架につけられ、3日目に復活されたことが聖書に記されています。 すると恐れと戸惑いの中にいた弟子たちは、イエス・キリストは復活されたことを知って彼らの人生はまったく新しく変えられていきました。 

 弟子のペテロは大胆にイエス・キリストがまことの救い主であることを語り、何と、一人ひとりの罪がイエス・キリストを十字架につけたのだ、と説教しました。

 すると、それを聞いた人々は、ペテロの語ることばに心を刺され、私たちはどうすれば良いのでしょう、と救いを求めてきたのです。

 イエス・キリストの十字架の深い意味はいったいどこにあるのでしょう。 それは当時の妬みに燃える宗教家たちやローマ総督のいい加減な裁判でイエス・キリストは十字架につけられた訳ですが、その背後には、すべての人の罪の身代わりとなってイエス・キリストは十字架についてくださった、という壮絶な事実があったということなんです。 罪のない方が時代を超えすべての人の罪を背負ってくださり十字架についてくださった、ということなんですねえ。 

 ですからペテロの説教を聞いた人たちは、イエスの十字架は単に宗教指導者たちが磔(はりつけ)にしたのではなく、自分の心にある罪か゛イエス・キリストを十字架につけたのだ、ということが分かったので心を刺され、どうしたらよいのでしょう、と救いを求めてきたのです。  

 そしてそれは今を生きる私たち一人ひとりも同じです。 正直に心を見つめるなら、私たちの心には偽りがあり妬みがあり、神様なんているもんか、(と)自分勝手な心があります。 そうした罪がイエス・キリストを十字架につけたのです。 

 私たちの罪を背負ってくださったということは救いのしるしでもありました。 その一人ひとりの罪の罰をイエス・キリストは引き受けてくださり、赦しの道を与えてくださったのです。

 そしてイエス様は三日目に復活されました。 イエス様は私たちに代わって罪のすべての罰を受けられましたが、復活されたのです。 そして今イエス・キリストを信じる一人ひとりに罪の赦しと死さえも打ち破る永遠のいのちを与えることができるのです。 

 ペテロは心を刺された群衆にこう語りました。 「悔い改めなさい!」 悔い改め、これは「方向を変える、向きを変える」ということです。 

 第一に、今までの神様なしの人生を素直に認めることから始めるのです。 そして第二に、私を愛し、いのちさえもお捨てになったイエス・キリストに向きを変え、このイエス・キリストをまことの救い主として信じ歩むことなんです。 その人生に赦しといのちは注がれていくのです。 

 (PBA制作「世の光」2009.4.14放送でのお話しより)

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■もしも復活がなかったら

2009年04月13日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 昨日はイースターでしたねえ。 復活祭、どのように過ごされましたでしょうか。 

 えー、ある方はですねえ、「ま、クリスマスはいいんだけども復活祭というのはねえ・・・。 キリストの教えとか聖書の教えとかはいいんだけど、あの復活とかいうことさえ言わなきゃねえ。」というふうなことをおっしゃる方がない訳でもないんですねえ。

 でも、もしもキリスト教から復活を除いてしまったならば、10の内の1が抜けてあとの9つが残るというようなものではなくって、この復活を除いたら何もかにもなくなってしまうと同じなんですね。

 それは聖書に書いてある通りにキリストは死なれて、聖書に書いてある通りにキリストはよみがえられた。 それは私の罪のために、ということですけれども、もしもキリストの復活がなかったならば、その聖書に書いてあることもみんなデタラメになっちゃう訳ですね。 もしもキリストの復活がなかったなら、せっかく罪のために十字架に架かって死んでくださったとしても、ただ死んだ者で終わりであって、私たちの人生に新しい何の変化も起きてこないということになります。 永遠に対する何の保証もそこには起きてこないということになるんですねえ。 

 コリントの第一の手紙の15章という所には、「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは」(3節)、それは聖書に従って私たちの罪のために死んで葬られて、そして三日目によみがえったということ、これが最も大切なことだ。これがなくなったらキリスト教でなくなってしまうということなんですね。 「もしもキリストの復活がなかったのなら」ってコリントの第一の手紙の15章にありますが、「私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。」(14節) 「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」(17節)

 キリストが墓の中に葬られたままだったら私たちの罪もそのまま葬られたまま。 つまり、そのまま罪の中に残っているだけにしか過ぎないという。 でもキリストはよみがえってくださったことによって私たちの人生も新しくよみがえることができるのだ、私たちの人生にも復活が起こるのだ、そしてあの絶望という墓を蹴破ってキリストがよみがえられたように、私たちの人生には絶望ということはないのだ、ということを明らかにし、やがて本当の希望、それはキリストが復活されたように私たちも復活することができる、永遠に生きることができる、ということの保証。 まさに復活こそ私たちの信仰の本質だということをぜひ知っていただきたいと思うんですね。 

 ( PBA制作「世の光」2009.4.13放送でのお話しより)

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案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-
2196 へ

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■平安があなたがたにあるように

2009年04月11日 | Weblog

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。 

 明日4月12日は、いよいよイースターです。 私たちを救うため十字架にかかって死んでくださったイエス・キリスト。 このお方が死を打ち破ってよみがえられた!、ということ。 その事実の素晴らしさを今日も共に味わわせていただきたいと思います。 

 さて、イエス・キリストが復活されたその日、弟子たちは一体どこで何をしていたのでしょうか。 「弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあった」(ヨハネの福音書 20章19節)と聖書は報告しています。 救い主だと信じていたイエス様が十字架につけられ殺されてしまった。 このお方が復活されるなどとは夢にも思わなかった彼らは生きる希望を失い、恐れと不安に怯え、戸を締め切って震えていたのです。

 そんな彼らの前に、死を打ち破ってよみがえられたイエス様が来てくださいました。 そして彼らの真ん中に立って、こう言われたのです。 「平安があなたがたにあるように。」(ヨハネの福音書 20章26節)  平安があなたがたにあるように。・・・弟子たちが抱えていたすべての恐れと悩み、それに対する解答がこのみことばにはありました。 イエス様を信じきることができなかった不信仰、イエス様を十字架に捨てて逃げ出してしまった深い罪、そんなすべてをイエス様は赦していてくださるということ。 彼らを怒って責めたてるのではなく、あわれみをもって赦していてくださるということ。 そのことが、よみがえられたイエス様のみことばによってはっきりと宣言されたのです。 

 この後、あの臆病だった弟子たちは全世界にイエス・キリストを宣べ伝える勇敢な者たちへと変えられました。 人の罪を赦し、あらゆる恐れや戸惑いから人を解放してくださるお方、十字架に架かり三日目によみがえられたイエス・キリスト。 このお方との出会いによって彼らは変えられたのです。 

 「平安があなたがたにあるように。」(ヨハネの福音書 20章26節) 

 復活の主イエス・キリストによる赦しの宣言、それは今もあなたに語りかけられています。 

  ( PBA制作「世の光」2009.4.11放送でのお話しより )

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そしてテレビでのライフ・ライン放送の再開のために協力してくださる場合の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  ラジオ放送指定とテレビ放送指定の区別を明記してください。
  テレビ放送はただ今資金が溜るまで積立中です。
  ラジオ放送の方が、放送料の値上げにより、一層の協力を必要としております。

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)


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■いつもあなたがたと共にいます

2009年04月10日 | Weblog


世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 今週は受難週と呼ばれ、イエス・キリストが十字架に架かってくださったことを覚える週です。 特にイースター前のこの金曜日はグッドフライデーとも呼ばれ、この金曜日にイエス・キリストが私たちすべての人の罪のために十字架に架かられたことを覚え、感謝を表す日です。 

 しかしイエス・キリストによる救いの道はこの十字架の時からではなく、すでにクリスマスから始まっています。 このクリスマスの約束については、クリスマスのずっと前に書かれた旧約聖書にこう記されています。 
 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(イザヤ書 7章14節の引用、マタイの福音書 1章23節)
 このインマヌエルとは、神は私たちとともにおられる、という意味です。

イエス・キリストがこの地上に来て人として生まれてくださったこと、そして私たちの罪のために十字架にかってくださったことは何よりも神様が私たちと共にいてくださるためだったのです。

 そして新約聖書のマタイの福音書の最後には三日めによみがえられた後のイエス・キリストのことばが記されています。 
 「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書 28章20節)

 あなたと共にいてくださるためにイエス・キリストはよみがえられたのです。 すなわち、イエス・キリストの誕生によって、十字架によって、復活によって、神様がどんな中にも私たちと共にいてくださる、という約束を成し遂げてくださいました。 

 あなたにどんな罪があろうと、どんな過ちや悲しみや苦しみがあろうと、イエス・キリストはあなたと一緒にいてくださいます。 あなたと一緒にいてくださるためにイエス・キリストは来てくださったのです。

 あなたは決して独りではありません。 他の人が見放すようなことがあったとしても、神様は決してあなたを見放さず、あなたを捨てず、あなたと一緒にどんな中をも共に歩んでくださるのです(ヘブル人への手紙 13章5節参照)。

 この希望に生かされ、イエス・キリストと共に歩む歩みをあなたも始めませんか?

 ではまた聴いてください。

(PBA制作「世の光」2009.4.10放送でのお話しより)

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■この方はまことに神の子であった

2009年04月09日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。 

 今日のバイブル・メッセージは「この方はまことに神の子であった」です。 今度の日曜日12日はイースターです。 イエスが十字架におかかりになられたあと復活された、とても喜ばしい日です。 今日はそのイースターの前に起こったこと、イエスの十字架の死について聖書が書いてある所を読んでみましょう。 マルコの福音書15章37節から39節をお読みします。 
  イエスは大声をあげて息を引き取られた。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった。」と言った。

 十字架は最も残忍な処刑方法でした。 当時はローマ帝国に対する反逆者のみが受ける最も重い刑罰です。 イエスはその刑罰を受け、約6時間苦しんだ末に息を引き取られました。

 この死を見守るたくさんの人の中にローマの百人隊長がいました。 百人隊長というのは、百人からなる軍隊の長であり、彼はイエスの処刑を真正面から見守っていたのです。 恐らく彼はイエスのことは何も知らなかったでしょう。 この男もローマに反逆する極悪人だったのか、と理解する程度であったのかもしれません。

 しかしながらイエスの死を見守っていた約6時間が彼の心を変えてしまったのです。 何が彼の心を変えたのか。 推測するのみですが、イエスがこの十字架の苦しみの中でなされたこと語られたことを見ていくならば、百人隊長と同じ思いになるのかもしれませんねえ。 

 イエスは十字架上で、ご自分を十字架にかけた人たちのために「父よ。彼らをお赦しください。」(ルカ 23章34節)と神に祈りました。 またイエスと一緒に十字架にかけられていた犯罪人が悔い改めた時には天国に連れて行ってくださることを約束されました(ルカ 23章43節参照)。 

 軍人として百人隊長は様々な人の死を見てきたことでしょう。 しかし、このように苦しみの中で最後まで愛を示す人はなかったと思います。 

 イエスは「まことに神の子」です。 ぜひ聖書を読み、イエスが神の子であることを知っていただきたいと思います。

  (PBA制作「世の光」2009.4.9放送でのお話しより)

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■この方は、悪いことは何もしなかったのだ

2009年04月08日 | Weblog
 
世の光の時間です。 板倉邦雄です。 4月12日、日曜日はキリストの復活祭、イースターですね。 

 さて「この方は、悪いことは何もしなかったのだ」という題でお話ししましょう。 この題はイエスと共に死刑にされる二人の犯罪人のうちの一人がもう一人の犯罪人に語ったことばです。 

 「どくろ」と呼ばれる、エルサレム郊外の死刑場で、イエスは二人の犯罪人と共に十字架につけられたのです。 犯罪人の一人は右に、一人は左に、三本の十字架が「どくろ」と呼ばれる丘に立ちました。 十字架刑は生かさず殺さず、まさに拷問でした。 体力のある人は三日間、十字架上で苦悶して死んでいったのです。 本人の犯罪の重さと人々への見せしめ的な要素があったのでしょう。 二人の犯罪人は当然の報いとしての極刑でした。 

 しかし真ん中のイエスは悪いことは何もしなかったのに十字架刑に処せられたのです(ルカ 23:4,15、ヨハネ 19:6、ルカ23:41、1ペテロ2:22参照)。 なぜでしょうか。 その理由を解く鍵のヒントはイエスの十字架上での苦痛の中での祈りがあるのです。

 聖書はこう書いてあります。
そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」 ルカの福音書23章34節

 「父よ」とは天の父なる神様です。 正義と愛の神様への執り成しの祈りではないでしょうか。 「彼ら」とは自分を十字架の処刑に賛成した人、今十字架の下でイエスの着物をくじ引きに分けているローマの兵士たち、それに自分のしたことを棚に上げてイエスの悪口を言い続ける犯罪人たちです。 そして彼らの中には、この私も含まれていたのです。 

 善を悪とするのは私たちではないでしょうか。 人の苦悩を知りながら平気でギャンプルに興じるのは誰でしょうか。 自分の悪事を棚に上げて人々の悪口を言うのは誰でしょうか。 悪いことを何もしなかったイエス・キリストが極悪人として十字架に処罰されたのは、極悪人である私が天の神の赦しを得るためだったのです。 これこそ天の神様の計画でした。 

 聖書のことばです。
 「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。」 コリント人への手紙 5章21節

 ( PBA制作「世の光」2009.4.8放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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