世の光の時間です。 お元気でしょうか。 村上宣道です。
えー、4月の12日、今度の日曜日はですね、イースター、---キリストの復活を記念するお祝いの日にあたります。 で、復活の前に当然、キリストの十字架の死があった訳でして、そのことについて今週はそれぞれがお話しをすることになっておりますけども、その死の前にですね、イエス・キリストはゲッセマネの園という所でお祈りをなさった記事が聖書の中に出てきます。
で、イエス様は十字架を目前にして心の備えのために祈りに行かれた。 またそれよりももっとですね、父なる神様との最後の、何と言いましょうか取り引きのようなですねえ本当に深刻な祈りの時をもたれた訳なんです。
で、イエス様は当然、十字架におかかりになるという目的でこの地上に生まれられて、イエス様も御自分でやがてそういう死に方をするということを何回か予告しておられました。 でもいよいよ目前にしてですねえ、これはただならぬことであるということをイエス様は感じられたんですね。
ですからこのゲッセマネの園で、聖書を見ますならば「悲しみもだえ始められた」(マタイ 26章37節)ということばがあって、そして「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。」(マタイ 26章38節、マルコ 14章34節)というような、どれほどの苦しみであったかということがうかがえる訳なんですね。
で、死ということは当然お分かりになっておられた訳ですけども、それは単なる死ではない。 十字架がどれほどそれは苦しいひどいものであるかということ、それは言うまでもないことですけれども、それは肉体的な痛みや苦しみをはるかに超えた、人間が受けなければならない神のさばき・審判というものを一身に引き受けるというそのことがですね、どれ程のことであるかということをイエス様はそこで実感させられた訳なんですね。 ですから、できれば「この杯をわたしから取り去ってください」(マタイ 26章39節、マルコ 14章36節、ルカ 22章42節参照)という祈りをされました。
それは人間としておいでくださったイエス様の悲痛な本当の叫びだったと思います。
でもイエス様はそこで、「しかしあなたのみこころがなりますように」(ルカ 22章42節参照)(と。) 自分の願いは、とても耐えられないほどのことではあるけれども「あなたのみこころがなりますように」(と。)
結局は神のみこころとしてイエス・キリストは十字架につけられて自らのいのちをそこで捨てられました。 そして贖(あがな)いが・救いが完成されました。 それはイエス・キリストの「みこころのままになるように」という祈りの成就であったということですね。
( PBA制作「世の光」2009.4.6放送でのお話しより)
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