世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。
イエス・キリストが十字架につけられ、3日目に復活されたことが聖書に記されています。 すると恐れと戸惑いの中にいた弟子たちは、イエス・キリストは復活されたことを知って彼らの人生はまったく新しく変えられていきました。
弟子のペテロは大胆にイエス・キリストがまことの救い主であることを語り、何と、一人ひとりの罪がイエス・キリストを十字架につけたのだ、と説教しました。
すると、それを聞いた人々は、ペテロの語ることばに心を刺され、私たちはどうすれば良いのでしょう、と救いを求めてきたのです。
イエス・キリストの十字架の深い意味はいったいどこにあるのでしょう。 それは当時の妬みに燃える宗教家たちやローマ総督のいい加減な裁判でイエス・キリストは十字架につけられた訳ですが、その背後には、すべての人の罪の身代わりとなってイエス・キリストは十字架についてくださった、という壮絶な事実があったということなんです。 罪のない方が時代を超えすべての人の罪を背負ってくださり十字架についてくださった、ということなんですねえ。
ですからペテロの説教を聞いた人たちは、イエスの十字架は単に宗教指導者たちが磔(はりつけ)にしたのではなく、自分の心にある罪か゛イエス・キリストを十字架につけたのだ、ということが分かったので心を刺され、どうしたらよいのでしょう、と救いを求めてきたのです。
そしてそれは今を生きる私たち一人ひとりも同じです。 正直に心を見つめるなら、私たちの心には偽りがあり妬みがあり、神様なんているもんか、(と)自分勝手な心があります。 そうした罪がイエス・キリストを十字架につけたのです。
私たちの罪を背負ってくださったということは救いのしるしでもありました。 その一人ひとりの罪の罰をイエス・キリストは引き受けてくださり、赦しの道を与えてくださったのです。
そしてイエス様は三日目に復活されました。 イエス様は私たちに代わって罪のすべての罰を受けられましたが、復活されたのです。 そして今イエス・キリストを信じる一人ひとりに罪の赦しと死さえも打ち破る永遠のいのちを与えることができるのです。
ペテロは心を刺された群衆にこう語りました。 「悔い改めなさい!」 悔い改め、これは「方向を変える、向きを変える」ということです。
第一に、今までの神様なしの人生を素直に認めることから始めるのです。 そして第二に、私を愛し、いのちさえもお捨てになったイエス・キリストに向きを変え、このイエス・キリストをまことの救い主として信じ歩むことなんです。 その人生に赦しといのちは注がれていくのです。
(PBA制作「世の光」2009.4.14放送でのお話しより)
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