♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■宥めを行うのは血である / 福井 誠

2018年11月14日 | Weblog
2018/10/10放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「宥めを行うのは血である」です。
 レビ記17章11節から読んでみましょう。
 「 実に、肉のいのちは血の中にある。わたしは、祭壇の上であなたがたのたましいのために宥めを行うよう、これをあなたがたに与えた。いのちとして宥めを行うのは血である。
            (新改訳2017)

 イスラエルに行きますと、大方のレストランにはコーシェル認証というマークがつけられていますねえ。私はバーガーショップのマックにもこのコーシェル認証のマークを見つけたことがあります。そのようなお店では、肉とミルクは一緒に食べといけない、というユダヤ教の食事規定を重んじて、ハンバーガーは奥のカウンターで、カフェオレなどの飲み物は出口の脇のテイクアウトコーナーで注文して買う形式になっていました。ユダヤ教のコーシェルでは、その他に食べて良い食物と食べてはいけない食物を定めており、肉についてはすっかり血を抜くことが決められています。

 なぜそのようなことをするのかと言えば、それは血には特別なきよさが与えられていると考えられたからです。実際ここで神は、きよい動物の血を贖(あがない)いの手段として教えています。いけにえにされ注がれた血は、いのちが神に捧げられたことを具体的に目に見える形で表現しているのであって、その死によって人の罪は償われたのですから血は神聖なものなのです。ですからどんな血も食べてはならないと禁じられた訳ですねえ。血は食用でなくて祭壇に注いで人間の罪の償いの手段としてのみ用いられる特別なものなのです。

 しかし現代の私たちは血をそのように理解することはありません。日本人は血を食用とはしませんし、また血を流すことについては嫌悪感を持つことはあっても、それによって人間の罪が赦されるという発想はしませんねえ。しかしこうした血に対する理解を改めて深めてみると、キリストの十字架の意味がよく理解できます。

 パウロは「この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。 」(エペソ人への手紙1章7節 新改訳第三版 )とエペソ人への手紙の中で語りました。キリストが十字架で流された血は、私たちの罪の赦しのために流された神聖なものです。そのように信じる者はキリストの救いに与る。これが聖書の語ることなのです。

(PBA制作「世の光」2018.10.10放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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