♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神からの挑戦 / 岩井基雄

2017年02月10日 | Weblog
2017/2/10放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
 月の第二週の金曜日は旧約聖書に登場するヨセフの生涯について学んでいます。
 ヨセフの父ヤコブは、12人の息子たちの中、愛するラケルの子ヨセフを特に大切にしました。この父の偏愛は兄たちの妬みを生みます。更にヨセフは、兄も両親も自分にひれ伏すという夢を見、それを皆に告げましたから兄たちの怒りはなお大きくなり、ついに殺意にまで至ったのです。

 聖書はこう記しています。
 彼らは、ヨセフが彼らの近くに来ないうちに、はるかかなたに、彼を見て、彼を殺そうとたくらんだ。彼らは互いに言った。「見ろ。あの夢見る者がやって来る。さあ、今こそ彼を殺し、どこかの穴に投げ込んで、悪い獣が食い殺したと言おう。そして、あれの夢がどうなるかを見ようではないか。」しかし、ルベンはこれを聞き、彼らの手から彼を救い出そうとして、「あの子のいのちを打ってはならない。」と言った。
   旧約聖書 創世記 37章18節から21節

 近づくヨセフを見た兄たちは策を巡らし、ヨセフを殺害しようと相談します。ヨセフの夢に神の御手を感じていた父ヤコブとは違い、兄たちは自分たちの手で弟ヨセフを殺し、あの夢の行く末を見ようとします。

 それは全主権を持つ神様に対する挑戦でした。兄たちは自分たちの心の闇に目を留めようともせず、ヨセフの存在もその夢も完全に否定しようとしたのです。長男ルベンの制止によってその策略はとどめられますが、四男ユダの提案により、ヨセフはイシュマエル人に奴隷として売られ、エジプトへと連れて行かれます。

 ヨセフは命拾いしますが、父の寵愛の象徴でもある袖付の長服は剥ぎ取られ、奴隷とされ、あの夢は完全についえたかのように思われたのです。

 自分たちの思いを遂げたように見える兄たちも、どん底に落とされたように見えるヨセフも、やがて神の御手の中にあって、自らの姿と向き合うことになるのです。

 人生の中に神様からの挑戦がそこにあったのです。どのような中でも、神様の主権と御手を認めるということは、私たちの人生に光を与えます。「下には永遠の腕がある」(申命記33章27節参照)と聖書にあるように、私たちの人生のすべての背後にある神様の愛と恵みの御手に目を留めていくとき、私たちの人生は変えられていくのです。
 
   (PBA制作「世の光」2017.2.10放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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