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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■竪琴のようにわななく / 福井 誠

2017年02月16日 | Weblog
2017/2/16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「竪琴のようにわななく」です。それではイザヤ書の16章11節から読んでみましょう。

それゆえ、わたしのはらわたはモアブのために、わたしの内臓はキル・ヘレスのために立琴のようにわななく。

イザヤの預言を続けて読んでいますが、今日は16章です。ぜひ毎日聖書を開いて読み通していただきたいと思います。

 さて今日の箇所は、イスラエルの隣の国モアブという国に対するさばきの宣告ですね。しかし聖書を読んで思うことは、神様は敵対的に人を罰するようなお方ではない、ということですねえ。いつでも身内として親のような心を持って罪人に向かっていますねえ。モアブの罪は彼らの高慢さと邪悪さにある、とイザヤは言います。高ぶり・高慢と訳されたことばは、自分自身を過大評価することを意味します。また、おごりはあらゆる面で自分を誇ろうとするあつかましい態度を意味しています。人間は本当に不自由なもので、なかなか自分の弱さや心の貧しさを認めることができないものです。自分が弱いと分かっていても、そうは見せない強情さがあるものですね。しかしそのような高ぶりにあっては決して神様を認めることはできませんし、社会の人間関係の中でも物事をうまく進めることができないものです。そしてある日突然、梯子を外された者のように高慢ちきな心を砕かれてしまうことが社会の中で起こったりするものですねえ。

 ただ神はそんな私たちの愚かさを冷ややかに見ている方ではありません。痛みつつ見守ってくださっている方だというのが実に感動的ですね。
 「わたしのはらわたはモアブのために、わたしの内臓はキル・ヘレスのために立琴のようにわななく。

 はらわたも内臓も感情の座です。神は言い尽くせぬ突きあげるよな悲しみを味わいながら、人が素直になること、神の前にへりくだることを期待しておられます。人間が神に造られた者、神あっての存在であることを認めるときに、人は本当の自由を感じることができます。また神を味方にした人生を歩むこともできます。あなたを深く愛する神の祝福を信じて歩みたいものですね。

(PBA制作「世の光」2017.2.16放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

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