2017/2/6放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
あなたはお祈りをしたことがありますか? 時々、「お祈りですか? どうやってお祈りしたらいいか分りません、祈ったらいいか分からないんです。」という方もいらっしゃいます。イエス様と生活を共にしていた弟子たちも、どのように祈ったらいいのか分からなかったので、イエス様に教えていただいたんです。
そこでイエス様は、まず祈るときの基本的な姿勢を教えられました。一つは、「祈る時には人に見られるためではなく、奥まった部屋に入って父なる神様に向かって祈りなさい。」 こうイエス様は言われたのです。
当時のユダヤの人々にとって祈りというものは日常の出来事でした。その中でも律法の専門家やパリサイ派と呼ばれる人たちは会堂や通りの四つ角で熱心に祈ることが多かったのです。しかしそれは自分が人から立派だと思われたいために人に見せるために祈っているのだ、とイエス様は大変厳しく批判なさったんですね。
そこでイエス様はマタイの福音書の6章6節で、「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。」と弟子たちに言われました。これは人の見ている所では祈ってはいけないという意味ではありません。そうではなくて、祈りは人に見せるためのものではなく、神様と自分との差し向かいの語らいの場なのですよ、とそういうことを教えられたんです。
そしてもう一つは、マタイの福音書6章7節に、「祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。」 このようにイエス様は言われたんです。聖書が教える祈りは何か呪文のようなものを唱えることではありません。特別なことばをただ熱心に繰り返すことが祈りではないんですねえ。神様は御自身を聖書を通して私たちに示してくださり、私たちをご自分との信頼関係の中に招き入れてくださっています。神様は私たちを愛し、私たちの最善を願い、私たちの必要をよく御存知です。ですから私たちは同じことばを繰り返さなくても、呪文を唱える必要もありません。神様との信頼関係の中で、神様に自由に祈り、願い、感謝を捧げるのです。祈りは神様と自分との差し向かいの語らいの場です。あなたも今いるその場所で祈ってみませんか?
(PBA制作「世の光」2017.2.6放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
あなたはお祈りをしたことがありますか? 時々、「お祈りですか? どうやってお祈りしたらいいか分りません、祈ったらいいか分からないんです。」という方もいらっしゃいます。イエス様と生活を共にしていた弟子たちも、どのように祈ったらいいのか分からなかったので、イエス様に教えていただいたんです。
そこでイエス様は、まず祈るときの基本的な姿勢を教えられました。一つは、「祈る時には人に見られるためではなく、奥まった部屋に入って父なる神様に向かって祈りなさい。」 こうイエス様は言われたのです。
当時のユダヤの人々にとって祈りというものは日常の出来事でした。その中でも律法の専門家やパリサイ派と呼ばれる人たちは会堂や通りの四つ角で熱心に祈ることが多かったのです。しかしそれは自分が人から立派だと思われたいために人に見せるために祈っているのだ、とイエス様は大変厳しく批判なさったんですね。
そこでイエス様はマタイの福音書の6章6節で、「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。」と弟子たちに言われました。これは人の見ている所では祈ってはいけないという意味ではありません。そうではなくて、祈りは人に見せるためのものではなく、神様と自分との差し向かいの語らいの場なのですよ、とそういうことを教えられたんです。
そしてもう一つは、マタイの福音書6章7節に、「祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。」 このようにイエス様は言われたんです。聖書が教える祈りは何か呪文のようなものを唱えることではありません。特別なことばをただ熱心に繰り返すことが祈りではないんですねえ。神様は御自身を聖書を通して私たちに示してくださり、私たちをご自分との信頼関係の中に招き入れてくださっています。神様は私たちを愛し、私たちの最善を願い、私たちの必要をよく御存知です。ですから私たちは同じことばを繰り返さなくても、呪文を唱える必要もありません。神様との信頼関係の中で、神様に自由に祈り、願い、感謝を捧げるのです。祈りは神様と自分との差し向かいの語らいの場です。あなたも今いるその場所で祈ってみませんか?
(PBA制作「世の光」2017.2.6放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。