2017/2/13放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス様はご自分と共に生活していた弟子たちに、どのように祈ったらいいのかを教えられました。教会では主の祈りとして毎週、礼拝で祈られているものです。そこでイエス様はまず、「天にいます私たちの父よ」という呼びかけを教えられたんです。イエス様はまず最初に誰に向かって祈るのか、ということを教えられたんですねえ。私たちは天のお父さんに向かって祈るんです。つまり私たちは神様の子どもとして祈ることができるということなんですね。
新約聖書のヨハネの福音書1章12(、13節)節にはこう書かれています。「しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」 こう記されています。イエス・キリストを信じ受け入れることは、神の子どもとされるということなんですねえ。
またパウロという人は、ローマ人への手紙8章の14節(、15節)に、
神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
「アバ」とはこれは「お父さん」という意味なんですねえ。私たちが主の祈りを祈る時、互いに神の子どもとされている、兄弟姉妹とされている、神の家族の一員であるということを味わうのです。
ところで、「天にいます私たちの父よ」ということばを聞くと、「ああ、神様は天にいるのだから私たちのいる場所から遠く離れた高い所にいるのかなあ。・・・」 そんなイメージをもってしまうかもしれませんねえ。
当時は、「天」は何層にもなっていると考えられていました。そしてもろもろの天のすべてを支配している神様が私たちの父なる神様だと聖書は教えています。つまり、「天におられる」というのは雲の上とか物理的に高い場所におられるということを指しているのではなく、「あらゆる場所を支配しておられる神様」っていうことなんです。そのお方を私たちは何と親しく、「天のお父さん」と呼びかけ祈ることができるんですね。天のお父様は私たちから遠い所におられるのではなく、私たちがどこにでも共にいてくださる恵みの神様なんです。
(PBA制作「世の光」2017.2.13放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス様はご自分と共に生活していた弟子たちに、どのように祈ったらいいのかを教えられました。教会では主の祈りとして毎週、礼拝で祈られているものです。そこでイエス様はまず、「天にいます私たちの父よ」という呼びかけを教えられたんです。イエス様はまず最初に誰に向かって祈るのか、ということを教えられたんですねえ。私たちは天のお父さんに向かって祈るんです。つまり私たちは神様の子どもとして祈ることができるということなんですね。
新約聖書のヨハネの福音書1章12(、13節)節にはこう書かれています。「しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」 こう記されています。イエス・キリストを信じ受け入れることは、神の子どもとされるということなんですねえ。
またパウロという人は、ローマ人への手紙8章の14節(、15節)に、
神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
「アバ」とはこれは「お父さん」という意味なんですねえ。私たちが主の祈りを祈る時、互いに神の子どもとされている、兄弟姉妹とされている、神の家族の一員であるということを味わうのです。
ところで、「天にいます私たちの父よ」ということばを聞くと、「ああ、神様は天にいるのだから私たちのいる場所から遠く離れた高い所にいるのかなあ。・・・」 そんなイメージをもってしまうかもしれませんねえ。
当時は、「天」は何層にもなっていると考えられていました。そしてもろもろの天のすべてを支配している神様が私たちの父なる神様だと聖書は教えています。つまり、「天におられる」というのは雲の上とか物理的に高い場所におられるということを指しているのではなく、「あらゆる場所を支配しておられる神様」っていうことなんです。そのお方を私たちは何と親しく、「天のお父さん」と呼びかけ祈ることができるんですね。天のお父様は私たちから遠い所におられるのではなく、私たちがどこにでも共にいてくださる恵みの神様なんです。
(PBA制作「世の光」2017.2.13放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。