世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 今日も一日さわやかに過ごしていきたいですね。
今月は聖書中の聖書・万人の聖句と呼ばれている有名な聖書のことばを紹介しています。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 ヨハネの福音書 3章16節
聖書は私たちへの神様からの約束の書です。 このヨハネ3章16節には信じる者への素晴らしい約束が記されていますよね。 それはイエス・キリストを信じる者は「永遠のいのち」を持つと約束されているんです。
さてこの「永遠のいのち」とはどのようないのちなのでしょう。 これは単なる長生きではありません。 イエス様を信じてもこの地上の生涯を短い期間で閉じる方もたくさんいます。 ですからこの「永遠のいのち」とは長生きということではないんですねえ。
ヨハネの福音書の17章3節という所には、このように記されているんです。
「永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」
こう書かれているんです。 神様を知りイエス・キリストを知ることが永遠のいのちなのだと教えているんですね。
どういうことかと言えば、イエス・キリストとの出会いは、神との出会いは、それはいのちの出会いなんだって言うんです。 そしてこの出会いは途切れることもなく尽きることもない永遠に続くものなんだ、って教えているんですね。
ですからこの永遠のいのちを持つということは人生の生きる意味や目的を見失ってしまう人生からそれを見出す人生の出発になっていくんです。 自分はどう生きていったらいいのだろうかという迷いの人生から、あるべき魂の監督者・羊飼いのもとに帰る人生とされていくっていうことなんですね。 自分なんてどうなったっていいというような浪費する人生から、自分を大切に神様に愛されている生涯として神様に役立つものとして生かされてく人生をもたらしていくんです。 自分を破壊し人を破壊していくような人生ではなく、互いに愛し合い赦し合い、重荷を負い合う人生を形作っていく、そういうものとなっていくというんですねえ。
生きるということは、そこにいのちがあるということです。 人として生きるっていうことは、単に心臓の鼓動・肉体のいのちがあるというだけで生きるということではないんですね。 この神様を知り、救い主イエス・キリストを知ること。 もちろんこの「知る」ということはただ頭で理解するということではなく、人生の救い主として受け入れ信頼することなんです。 そこに豊かな永遠のいのちが注がれると約束しているんですね。 このいのちは肉体が朽ちても絶えることのないいのちなんです。
(PBA制作「世の光」2008.11.25放送でのお話しより)
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