世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。
えー、旧約聖書の箴言という中に、こういうことばがあります。
「人の望むものは、人の変わらぬ愛である。」(箴言 19章22節)
人なんかあてにならないよ、っていう言い方は確かにありますよね。 ですけど正直に望んでいるもの、人に対して求めているものってのは人の変わらぬ愛というふうにやっぱり言うことができるだろうなあというふうに思うんですねえ。 もちろん金とか名誉とかを求めてやまない人もいる訳ですけれども、それはある意味では結局得られない人の愛の代用品にすぎないかもしれないと思うこともありますし、実際の所はやっぱり人の愛が欲しい、ってそういうものが正直な気持ちではないかなあというふうに思うんですね。
で、人はまあ神様の愛に目覚めなければ失望することが多いものですけれども、だからと言って神様の愛を知ることが人の愛を必要としなくなる事であるというふうに考える必要はないと思うんですね。 イエス様でもゲッセマネの園で苦悩の中に祈られた時に弟子たちに、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」(マタイ 26章38節、マルコ 14章34節)というふうにお願いしたことがありますけれども、イエス様もやっぱり人のそういう愛を求めてたっていうふうに言えると思いますよね。
で、「変わらぬ愛」っていうふうに書いてあるんですけれども、まあよく食べ物なんかには賞味期限というのがありますがねえ、それに似て期限付の愛であったり、時の経過と共に愛が変質してしまったりしたら元も子もないって感じがする訳ですけれども。 しかしまあ人間の愛っていうのは変質しやすとか言えるかもしれませんけどねえ。
またその条件によって変わらない愛って言いましょうかねえ、同じ箴言の17章の所に、「友はどんなときにも愛するものだ。」(箴言 17章17節)ってことばがありますけれども、「どんなときにも」という。 それは、良い状況だけではなくってむしろ悪条件の中でも変わらないで愛することができるか、ということばですね。
それから同じ箴言の中に、「そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。」(箴言 17章9節)ということばがあるんですけれど、やっぱり人が望んでいるものは、そういうカバーしてくれる覆ってくれる愛ですね。 しかしあくまで人間の愛には限界があるってことに気がつくときに、そこに変わらない本当の愛は神様の愛だっていうとを知ることによって初めて、愛する愛も生まれてくるのではないか、と思いますね。
( PBA制作「世の光」2008.11.17放送でのお話しより)
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