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憲法がつくられた流れ、実質的起草者・鈴木安蔵

2015-11-03 13:35:27 | 本や言葉の紹介

 今朝の東京新聞「憲法は民衆のために」の記事に、日本国憲法がどうつくられていったかがとてもわかりやすく載っていました。
 日本国憲法の実質的起草者、間接的起草者などと呼ばれる鈴木安蔵氏ってどんな人か、記事から簡単にまとめました。

 幼少時に父を亡くし、家を再興したいという思いで猛勉強し、旧制第二高等学校時代に「貧困、飢餓、売春、疾病など社会矛盾を除去しよう」との思いで「社会思想研究会」を結成。京都帝国大学ではマルクス主義の研究に入るが、社会科学研究会での活動が治安維持法違反として逮捕されて自主退学に追い込まれ、在野の研究生活を選ぶ。数年後再び治安維持法で逮捕されて2年半の獄中生活を送るが、獄中で憲法学者の著作を読みあさった結果、日本の憲法学には歴史的研究と批判が欠けていることに気づく。
 出獄後「憲法の歴史的研究」を発刊し、民衆の立場に立ち、民衆の幸福を実現しようとする憲法学の必要性を世に問うた。

 で、日本国憲法が作られていった流れを、記事から抜粋します。

 日本国憲法は米国に押しつけられた憲法ではなかった。日本の民衆の願いの結晶として生まれた。
 45年、太平洋戦争が終結すると、ポツダム宣言の趣旨に沿った新憲法作りが始まる。連合国軍総司令部(GHQ)は当時の幣原喜重郎内閣に草案を提出させたが、まるで大日本帝国憲法の焼き直しのような内容に失望する。同じ頃、学者、ジャーナリストらで構成する「憲法研究会」も「憲法草案要綱」という草案をつくった。まとめ役は(鈴木)安蔵だった。
 GHQは、草案に着目し、つぶさに検討して、ほぼ同じ内容の「日本国憲法草案」を起草した。このため安蔵は、日本国憲法の間接的起草者と呼ばれる。
 「けんぽうそうあんようこう」に「せんそうほうき」はもりこまれておらず、「九条」はGHQと幣原内閣の交渉の中で生まれたとされる。しかし、「憲法草案要綱」は、「天皇の臣民」に代えて「国民」という概念を持ち込んだ。これは当時の日本人には驚天動地の画期的な考え方であったという。
 「国民主権」は、GHQによらず、日本人によって提案されたという点が何より重要だ。


 国民主権、主権在民。戦争しない国を守るのは私たち国民の責任だよねえ。


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