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自分にもできるエネルギーシフト 3 電力危機の本質

2013-04-10 12:11:35 | 本や言葉の紹介

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 福島第一原発の汚染水漏れ事故、ますますひどいことになっています。高濃度汚染水を処理した後の水をためる地下貯水池7つのうち1・2・3番が水漏れしている。
 地下水汚染を防ぐためには地上タンクに汚染水約2万7千トンを移す必要があるけど、地上タンクの空き容量は約2万2千トンで、ほかに用意できそうなのは7千3百トン程度。
 容量を使い切る前に次の移送先を確保しないと、1日に約4百トンずつ増える高濃度汚染水を処理した後に残る水の行き先がなくなり、処理ができなくなる。
 毎日約4百トンずつ増えているんだよ、高濃度汚染水が。
 人間の力で制御できないものはつくらないで。つくっちゃだめだ。原発はいらない。


 「自然エネルギー革命をはじめよう 地域でつくるみんなの電力」(高橋真樹 大月書店)について、抜粋して紹介します。

  『豆腐屋の四季』などの作品で知られる松下竜一さんは、高度経済成長真っ只中の1970年代から、火力発電所や原発などへの反対運動を行ってきた人だ。彼は、経済成長を優先するあまり公害を生み、その被害者を「経済のためには仕方がない」として切り捨てる社会に対して警鐘を鳴らした。1972年、松下さんは朝日新聞紙上に『暗闇の思想を』という、こんな一文を掲載している。
 「電力会社と良識派を称する人々は、『だが電力は絶対必要なのだから』という大前提で公害を免罪しようとする。国民すべての文化生活を支える電力需要であるから、一部地域住民の多少の被害は忍んでもらわねばならぬという恐るべき論理が出てくる。本来ならばこういわねばならぬのに。誰かの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならばその文化生活をこそ問い直さねばならぬと。」(一部抜粋)
  ここでは、すでに現在の国や電力会社が言い立てる「電力危機」の本質について鋭い洞察がされている。

 松下さんは、1991年の講演でも今に通じる言葉を残している
 「電力危機というのは、実はそれを盛んに言い立てる側にとっての危機なんだということを我々は見抜かねばならない。我々にとっての危機ではないんだと。『電力危機が来ますよ、来ますよ。恐ろしいですよ』といい続けている側の危機なんですね。」
 電力会社が世の中を脅す方法は、昔も今もたいして変わらない。わかりやすい言葉に惑わされ、右往左往するのはやめた方がいい。そして、本当に必要なエネルギーや豊かさとは何かについて問い直すべきだと訴えている。

 問われているのは、原発から自然エネルギーへの転換だけでない。大事なのは、そうした「明るすぎる世の中」が当たり前になってしまった、僕たちの意識を転換していくことだ。暗闇から日本を問い直す視点が欠けていれば、日本の海岸線を原発が埋め尽くしてもなお作り続けようとしていたのと同様に、日本中をソーラーパネルや風車で埋め尽くしても、電気が足りないと言い続ける人は出てくるのではないだろうか。


 


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