前回・前々回で『どうせ死ぬのになぜ生きるのか 晴れやかな日々を送るための仏教学講義』(名越康文 PHP新書)を紹介しましたが、 『生きるとは、自分の物語をつくること』(河合隼雄・小川洋子 新潮文庫)で 「悲」についての河合隼雄さんの発言を見つけました。
この本、とても面白く興味深く読めたので、続きがあるならぜひ読みたいと思ったら……この本のタイトルのもととなった対談をしたのが2006年6月15日で、河合さんが倒れられたのがそのすぐあとの8月17日とのことで、とっても残念。
河合 キリスト教は「原罪」が基本であるけれど、日本の宗教は「悲しみ」が根本になるのが多いです。
小川 情緒的というか感情的なんですね。
河合 だから僕は、「原罪」に対して「原悲」があるという言い方をしています。日本のカルチャーは原罪じゃなくて、原悲から出発しているから、と言っているんです。
小川 日本語の「かなしい」という言葉には、いろいろな意味がありますものね。
河合 「悲しい」や「哀しい」、「愛しい」も「美しい」も全部「かなしい」ですからね。
悲しみが根本になる宗教かぁ、うーん。
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