安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

シリーズ「2010年代を展望する」~過疎集落から見えてきた「新しい公共」の担い手とは?

2010-02-25 21:13:55 | その他社会・時事
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌に発表した原稿をそのまま掲載しています。)


 2010年も早2ヶ月が過ぎ、この原稿が皆さんのお目にかかる頃はもう3月になっているはずである。2010年の正月は新たな年の始まりであると同時に、2010年代という新たな10年の始まりでもあった。そういうわけで、今回から何回かに分けて「シリーズ・2010年代を展望する」と題して今後の10年間を占ってみたいと思っている。今回はその第1回目である。

●「新しい公共」担当相の創設

 この2月、鳩山内閣で閣僚の入れ替えがあった。「事業仕分け」等を行ってきた行政刷新担当相を仙石由人氏から枝野幸男氏に代える一方、「新しい公共」担当相という耳慣れない閣僚ポストを新たに設け、それに仙石氏を充てたのである。

 内閣は、その重要課題に関して、自由に特命担当相を置くことができるから、どのような特命担当相を置くかは時の政権次第だが、「新しい公共」と言われても今ひとつピンと来ない。民主党の有力支持母体である公務公共サービス労働組合協議会(公務労協)が、自民党政権時代から「新しい公共サービスの構築」を訴えて活動をしてきた経緯から、公務労協の要請にも応える形でこうした閣僚ポストが設けられたのだろうという推測はできる。ただ、あまりにもイメージが漠然とし過ぎており、しっかりしたビジョンを持たなければお飾りに終わってしまう可能性が高いと思う。

 私自身、鉄道ファンとして、地方の公共交通を見る中で、地方の生活実態もある程度見てきたつもりである。今回は、そうした私自身の経験も踏まえながら、小泉構造改革で破壊されてしまった公共サービス復活のシナリオを考えてみたいと思う。

●ようやく光が当たり始めた交通弱者問題

ここにきて、地方の交通弱者の問題にようやく光が当たり始めた。国土交通省の「過疎集落研究会」が2009年4月17日にまとめた報告書は、医療や買い物、地域交通など基礎的な生活サービスを提供する小さな拠点づくりの必要性を初めてクローズアップした。特に、交通手段を持たないお年寄りが気軽に利用できる移動手段の確保、移動販売などの戸別サービスが必要であり、サービス提供の担い手として「農協や郵便局、地元商店街など」に期待する、としている。

 過疎集落研究会が実施した過疎集落調査(2008年12月)によると、住民の不便や不安は、「近くに病院がない」「救急医療機関が遠く搬送に時間がかかる」「近くで食料や日用品が買えない」など、移動手段にかかわる問題に集中した。とりわけ、ひとり暮らしの女性の8割強が車の運転ができないという事実が明らかとなったことで、過疎地で「足」を持たない交通弱者の存在がはっきりと浮かび上がったのである(2009年4月20日付「日本農業新聞」)。

 しかし、鉄道ファンとして、20年前からローカル線の乗り歩きをしてその実態に触れている私から見れば、こうした問題はすでに20年前から徐々に進行していた。地方の荒廃は2000年代に入ってから急速に深刻さを増し、2005年頃になるとついに崖っぷちに追い詰められた。神岡鉄道、三木鉄道など旧国鉄特定地方交通線(廃止対象路線)を引き継いだ第3セクター鉄道にもいくつか廃止になるものが現れたが、これらの鉄道では、廃止直前の時期、乗客は片手で数えられるほどで、神岡鉄道に至っては往復全区間乗客が私1人だけだったことすらあった。

 こうした状況を生み出した責任は政治にある。ここ10年ほどの日本では、大都市部さえ生き残れば地方などなくなってもいいという政治が行われてきたからだ。その結果、地方では鉄道はおろかバスも消え、自治体のマイクロバスなどのオンデマンド交通(タクシーのように必要なときに呼んで利用する)が唯一の交通手段というところが目立ってきている。早急に対策を講じなければ、買い物に行けなくてお年寄りが「孤独死」などという事態が起こりかねない。いや、実際、報道されないだけで、すでにそのような事態はどこかで起こっているのではないか。

 私がみずからの無力を最も感じるのは、このような事例に遭遇したときである。ビジネスのために活動している民間企業はこんな時、全くアテにならない。ハコモノ行政のツケで財政赤字まみれになった自治体も動けない。集落共同体もお年寄りなど弱者ばかり。そうなると、次の出番は農協などの協同組合やNPOなどの非営利法人である。民間企業のように利潤目的でなく、自治体のように財政赤字や法制度の縛りもそれほどなく、バブル期に危ないビジネスに手を出さなかったおかげで財政も健全で、かつある程度自由に動ける若者も組織でき、新しい存在であるため昔からの集落共同体的しがらみもない。そんな新しい時代に適合した新たな「公共」のあり方が、今後の鍵になりそうな気がする。

●「官」はお役ご免、市民と地域が担う新たな公共

 公共性をもって維持すべき経済分野には積極的に国や自治体が関与せよ、とかねてから私は主張しているが、実際には厳しい財政赤字と公務員の人材難(数は確保していても、時代に合った独創的、生産的アイデアを出せる人材の枯渇)の中で、国や自治体が新しい公共サービスの担い手となるのはもはや困難ではないかと思うことが最近よくある。新しい「公共」は、国・自治体からではなく、NPO法人や協同組合など、従来は「公共」の周辺部をうろうろしながら、その主流を担い得なかった人たちの中から生まれてくるのではないか。そして、そのとき、新しい「公共」の中心的担い手となるのはおそらく女性と若者だろう。少なくとも、既得権益の確保と自己保身しか頭になく、自分にとって得になることでなければ動こうともしない中堅男性がその担い手になり得ないことはすでにはっきりしている。あり得るシナリオの中で最有力なのは、苛烈な「派遣切り」などの体験を通じて、もはや都会では食べられないと悟った若者や女性たちの間に地方を見直す機運が生まれ、従来の発想にとらわれないアイデアと行動力を駆使して、彼ら彼女らが地方再生という仕事にみずからの居場所を見つけていく、というものである。

 そんな簡単に都市から農村への人口逆流が起こるはずがないし、そんな夢物語のようなことがあるはずもないと思う人もいるかもしれない。だが、ここにひとつの厳然たる事実がある。2008年末の「年越し派遣村」で炊き出しに使われた米や野菜の多くは農家からのカンパといわれており、中にはひとりで1.8トンものリンゴをトラックで派遣村まで運んできた農家もいたという(2009年12月30日付「日本農業新聞」)。農家がこうして貧困にあえぐ「派遣村」村民に救いの手を差しのべているときに、大都市に本社を置く大企業はまったく知らないふりをしていた。労働者を搾取するだけしておいて、大都市には労働者を食べさせる能力も意思もない…2008年末の「年越し派遣村」は、若者や女性たちにそのことをはっきり知らしめたのだ。

 自分たちを搾取し尽くした挙げ句、使い捨てた者は誰か。その反対に、最も苦しいときに助けてくれたのは誰か。「派遣村」村民たちはよく知っていた。「派遣村」が成功を収めた後の2009年、突如として農業ブームが起こったのは決して偶然ではなかったのである。2010年代、都市から農村への「逆流」は、ひとつの確かなムーブメントとして存在し続けるに違いない。

●交通弱者に市民の足を

 道路運送法の改正で、自家用車でも有償の旅客運送が可能になり、移送サービスを手掛けるNPO法人も増えてきた。島根県では2009年度から、まったく新しい地域公共交通の構築に乗り出している。車両は県が助成し、自治会が運行計画や運転手を手配、自治会活動として買い物や通院を支援する。利用者はガソリン代の実費を負担し、運転手への謝礼や車両の維持管理費は自治会費で賄う。この取り組みは、国・自治体にも民間企業にも相手にされない過疎集落における新たな地域公共交通のモデルケースに育っていく可能性を秘めている。

 アテにもならない「官」に寄りかかって文句を言うだけで済ませてきた地域から、住民同士のコミュニティを再構築し、みずからの足で歩き出す新たな公共へ向かっていく。現在はそのための揺籃期なのかもしれない。焼け野原になった地方に最後の砦として残った地域社会の助け合いが、今後、どのような形で結実していくのか、期待をもって見ていきたいと思っている。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« JR不採用問題、解決案まとまる | トップ | 【速報】沖縄本島近海で震度5弱 »

その他社会・時事」カテゴリの最新記事