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【鉄ちゃんのつぶや記 第25号】「小泉劇場」の果てに

2005-09-12 23:01:26 | その他社会・時事
 『大衆の支持を得ようとするなら、彼らを欺かなければならない。…(中略)…大衆は冷めやすく、すぐに忘れてしまう。ポイントを絞って、ひたすら繰り返すべきである』(ヒトラー)

 今回の「小泉劇場選挙」を見るたびに、私はいつもこの言葉を思い出していた。小泉首相の選挙は明けても暮れてもナントカのひとつ覚えのごとく郵政郵政、またユーセイ。それはまさに「ポイントを絞って、ひたすら繰り返す」選挙戦術そのものである。人類史上最悪のホロコーストを行いながら、大衆宣伝にかけては稀代の才能を発揮した独裁者ヒトラーも、口を開けば「アーリア人種の民族的優越」をひとつ覚えのように繰り返し、閉塞状況の中で変化に飢えた若者たちから熱狂をもって迎えられたのだ。

 郵政法案の参議院否決によって衆議院が解散された後の総選挙は、自民、公明の与党が合計327議席を獲得した。衆議院480議席中の327議席は3分の2を超える。日本国憲法第59条は、衆議院可決後、参議院で否決された法案も、衆議院で3分の2以上の多数で再可決すれば成立すると規定しているから、小泉政権は事実上衆議院だけでどんな法律でも制定できる権限を得たことになる。参議院にとって「死刑宣告」とも言える選挙結果であり、次回の総選挙でこの構成が変わるまで、日本は事実上の一院制と同じ状況に置かれることになる。

 このように書くと、小泉劇場の宣伝効果は抜群で、あたかもヒトラー政権のゲッベルス宣伝大臣も真っ青の大勝利であるかのように見える。小泉首相を勝たせたくて勝たせたくて仕方なかった商業マスコミは実際そのように書き立てている。しかし本当にそうなのだろうか? いや違う。データを詳細に分析すると、この劇場選挙の違う側面が見えてくる。

 共産党、社民党は前回の選挙から比較して得票数を増やした。共産党は改選前の議席を維持、社民党は得票数の増加が2議席増となって反映された。一方の自民党は勝つには勝ったが得票では民主党の1.3倍に過ぎない。

 この数字からわかることは「民主党の独り負け」である。最初から最後まで一貫して郵政民営化阻止、グローバリズムと格差社会に反対を訴えた共産党、社民党は支持を伸ばし善戦した一方、小泉自民の「民でできることは民で」のスローガンは、得票数で見る限りそれほど浸透しなかったのである。それなのに自民が圧勝という結果になったのは、小選挙区比例代表並立制という非民主的な選挙制度によるところが大きい。

 小選挙区制は、1選挙区から1人だけが当選するシステムだ。「1位にならなければ当選できないのだから、当選する者は必ず50%を超える得票率を得ることになり、民意を正しく反映する」という賛成論と、「半分以下の得票でも当選する場合があり、少数意見の切り捨てどころか多数意見の切り捨てさえ起こってしまう歪んだ制度である」という反対論とがある。政治評論家の石川真澄さんは、2大政党制でかつ小選挙区制の英国を引き合いに、「A、Bの2大政党だけで選挙が戦われ、100の選挙区があるとして、全選挙区でA党が51%、B党が49%の得票率であった場合、議席獲得数ではA党:B党は100:0となる」とした上で、「得票率における2%の差を、むしろ政策的、意図的に100%の差に拡大することを狙ったのが小選挙区制である」とする(「データ戦後政治史」石川真澄・著、岩波新書)。

 賛成論のいう「小選挙区制では必ず50%を超える得票がなければ当選できない」という主張は、このように立候補者が2人以内の場合においては常に正しいが、多党制を前提に3つ以上の政党が候補を立てて選挙を戦うことが一般的である日本の場合、間違っていることは明らかだ。例えば3人が立候補してその3人にほぼ均等に票が分散した場合、理論上は34%の得票で1位となり当選する。同様に立候補者4人なら26%、5人なら21%で当選が可能になる。6人なら17%だ。公職選挙法第95条は、衆議院の小選挙区では6分の1以上の得票がなければ1位でも当選できないと定めており、事実上この17%が小選挙区で当選できる理論上の最小値となる。この場合、実に83%の民意が切り捨てられるのだ。実際にはこんな極端な形になることはないだろうが、小選挙区制の下では、得票率の17%を議席率の100%に拡大することも理論上は可能なのだ。小選挙区制がいかに民意を反映しないシステムであるかがわかるというものだろう。

小選挙区制の弊害を緩和するため、申し訳程度に設けられた比例代表制が、これまたくせ者である。日本の比例代表制で用いられているドント式の比例配分方式では、大政党ほど有利になるのである。「そんなバカな! 得票率に比例するから比例代表制というんじゃないのか?」と思った方は、私がシミュレーションした結果をアップしているからご覧いただきたい(http://www.geocities.jp/aichi200410/donto.pdf)。6000票を6党が分け合う定数10の選挙区を想定したシミュレーションだが、「当選者1人あたり得票数」はA党~C党の大政党グループで小さく、小政党であるD党で大きくなっている。つまり大政党ほど少ない票数で当選者を出せるということだ。また、各党ごとの当選者数をその選挙区の定数で割った数値(この数値を仮に「議席占有率」と名付ける)が、A党~C党の大政党グループでは得票率より大きく、D党~F党の小政党グループでは小さくなっている。つまり大政党ほど議席占有率が得票率を上回り、小政党ほどその逆となり損をするという結果がはっきり見て取れる。

 何のことはない。「少数意見が切り捨てられる小選挙区制の弊害」を緩和するという崇高な目的のために導入された比例代表制も結局はアリバイ作りに過ぎず、実際には大政党に有利なシステムを2つ並べただけのことだったのである。今回、小泉自民はまさにこの選挙制度に助けられたのだ。日本の選挙制度を、より民意を反映するシステムに改めなければならないことがはっきりしたと思う。

 もう一度、最後に今回の総選挙を選挙制度という技術論でなく、政治的な意味から総括しておこう。繰り返しになるが、今回の選挙は民主党の独り負けであり、共産、社民両党は支持を伸ばした。小泉自民の「民でできることは民で」のスローガンは、得票数で見る限りそれほど浸透せず、逆に「格差社会と新自由主義反対」を正面から一貫して訴えた党もまた前進したのである。小泉「ゲッベルス」宣伝大臣の「ポイントを絞って、ひたすら繰り返す」選挙戦術に、民衆は実際にはそれほど騙されなかったということであり、民衆の賢明さが示された選挙でもあったのだ。

 ここに私たちにとっての未来がある。1986年、1人も路頭に迷わせないと言いながら1047人を路頭に迷わせ、衆参同日選挙はやらないと言いながら同日選挙を実施した2枚舌総理も300議席の絶対安定多数を手にしたが、結局長くは続かなかった。驕れる者は久しからず。見せかけの勝利は未来の没落を準備する。小泉劇場のサル芝居にも、しばらくしたら幕が下ろされるに違いない。

(2005/9/12・特急たから)

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