goo blog サービス終了のお知らせ 

安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

当ブログのご案内

当サイトは列車の旅と温泉をメインに鉄道・旅行を楽しみ、また社会を考えるサイトです。

「あなたがすることのほとんどは無意味でも、あなたはそれをしなくてはなりません。それは世界を変えるためではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためです」(マハトマ・ガンジーの言葉)を活動上の支えにしています。

<利用上のご注意>

当ブログの基本的な運営方針

●当ブログまたは当ブログ付属サイトのコンテンツの利用については、こちらをご覧ください。

●その他、当サイトにおける個人情報保護方針をご覧ください。

●当ブログ管理人に原稿執筆依頼をする場合は、toukaihoutei*hotmail.com(*を@に変えて送信してください)までお願いします。

●当ブログに記載している公共交通機関や観光・宿泊施設等のメニュー・料金等は、当ブログ管理人が利用した時点でのものです。ご利用の際は必ず運営事業者のサイト等でご確認ください。当ブログ記載の情報が元で損害を被った場合でも、当ブログはその責を負いかねます。

●当ブログは、ネトウヨから「反日有害左翼ブログ」認定を受けています。ご利用には十分ご注意ください。

●管理人の著作(いずれも共著)
次世代へつなぐ地域の鉄道——国交省検討会提言を批判する(緑風出版)
地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
原発を止める55の方法(宝島社)

●管理人の寄稿
規制緩和が生んだJR事故(国鉄闘争共闘会議パンフレット「国鉄分割民営化20年の検証」掲載)
ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

眞鍋かをりと声優・水樹奈々がソックリと指摘される

2009-05-13 21:29:45 | 芸能・スポーツ
眞鍋かをりと声優・水樹奈々がソックリと指摘される(アメーバニュース)

-------------------------------------------------------------------
 4月23日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)に出演した眞鍋かをりは、人気声優の水樹奈々に50回以上も間違われたことを発表した。

 ある時期から、水樹奈々に間違えられたり、似ていると言われるようになったと語る眞鍋。なかでも、「かをりちゃん、みーつけた」というメールが親友から届き、添付されていたのが雑誌の表紙を飾る水樹の写真だったので、「親友が間違えるか」と驚いたという。

 確かにその水樹の写真は眞鍋と似ており、ダウンタウンをはじめ、共演者からも共感を得ていた。

 一方の水樹は、その放送を見ていたことを自身のブログで報告。「私的にはこれが1番似てると思う(笑) 」というタイトル通り、自分で眞鍋似だと思う写真とともに、「私もいろんなところでめちゃくちゃ言われるので、そうだったんだ!とちょっぴり繋がってる気がして嬉しかったです(笑)」と綴り、お互い似ていると言われることが判明した。

 眞鍋と水樹は2人とも愛媛県出身(出身市は隣接)で、年齢は1歳違いと近い。水樹は声優だけでなく歌手やタレントなど幅広く活動しているので、眞鍋との共通の知人は多そうだが、実は一度も対面したことがないという。

「いつかお会いできるといいな~」と水樹が熱望するように、2人が初めて出会う瞬間は、テレビの企画でも成り立つほどドラマティックになるかも知れない。
-------------------------------------------------------------------

似ていると言われれば似ていなくもないが、さりとて見分けがつかないほど似ているとも思えない。両方のファンである私は、絶対に見間違えることはない。

2人とも愛媛出身だし、サバサバした性格も共通しているから、そのあたりが似ていると言われる原因ではないだろうか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会員を舐めきったファンクラブの実態!

2009-05-12 21:06:18 | 芸能・スポーツ
そういえば、4月14日付けで大黒摩季ファンクラブから届いた1通のメール。内容があまりにも酷いので、晒してやろうと思いつつ、忘れたままになっていた。以下がそのメールである。

----------------------------------------------------------------
横浜BLITZ/八王子市民会館/那須が原ハーモニーホールにてツアーTシャツをお買い求めのお客様へ


横浜BLITZ/八王子市民会館/那須が原ハーモニーホールにて販売いたしました「ツアーTシャツ」にプリントミスがございましたので訂正とお詫びを申し上げます。

お買い求めのお客様には大変ご迷惑をおかけしました。
深くお詫び申し上げます。

商品の交換に関しまして

埼玉県川口市差間2-6-35
株式会社アクア 大黒 摩季グッズ係
048-290-7892

上記の住所にお客様のご住所・お名前・電話番号をご記入のうえお手元のTシャツを宅配便の着払いにてお送り下さい。4月16日以降に良品をお送りいたします。

また、4月16日以降のコンサート会場にお持ちいただければ会場にて良品と交換いたします。

なお、誠に勝手ながら交換に関しては5月29日(金)を交換の締め切りとさせていただきます。

お客様にはお手数をおかけしますことを重ねてお詫び申し上げます。

株式会社 アクア

※この件についてのお問い合わせは下記にお願いします。
 株式会社アクア 大黒 摩季グッズ係
 048-290-7892(平日の13:00~18:00)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

自分たちの手違いが原因で発生したプリントミスなのに、Tシャツの交換期間がたったの1ヵ月半とは…。私はこのメールを読んだとき、怒るよりも呆れかえった。あまりにファンを舐めきった運営といえないだろうか。少なくとも受け取ったファンには何の落ち度もないのだから、交換には無期限に応じるべきである。

このファンクラブは2007年に会費を値上げしている。値上げでサービスが良くなるなら我慢もできようが、値上げした上に「プリントミスTシャツを持っている奴は交換してやるから1ヶ月半以内に名乗り出ろ」とは、厚顔無恥にも程がある。

こんなふざけたFCに対し、文句も言わず唯々諾々と従っているファンも本当に情けない。先行予約チケットの会員宅への郵送すら滞るようなクソ組織なのだから、ファンがもっと怒り、突き上げなければ何も変わらないと思う。

もっとも、私はもうとっくにFCから退会しているから怒る筋合いではないのかもしれない。しかし、ファンがこんな体たらくだからFC組織も、アーティスト本人も増長するのだと思う。

このファンにしてこのFCあり、このFCにしてこの本人あり、そして、この本人にしてこのファンあり。

なんだかすべてが負のスパイラルにはまりこんでいるようだ。いずれにせよ、本人からでもFC組織の中からでも、あるいはファンの中からでも良いからこの現状を打破するエネルギーが出てこないと、このアーティストはもう本当に終わりなのではないか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「おっぱいバレー」を見て【ネタバレなし】

2009-05-10 22:55:53 | 芸能・スポーツ
4月から公開されている映画「おっぱいバレー」を昨日、見てきた。すかがわ国際短編映画祭で「つみきのいえ」を見た後、郡山テアトルへと移動し、この映画を見たから、9日は映画デーとなった。

この映画、最初は眼中になかったのだが、鉄の友人から「北九州が舞台で、路面電車が何度も登場する」と聞いて、それならぜひ見なければと思ったのである。

映画自体は、男子中学生の青春を描いたもので、恥ずかしながら自分にも思い当たる部分が多々ある。「11PM」を見て、その内容を教室で大声で話したりするような、青臭くまぶしかった青春時代を思い出す。あのころは、そんなお馬鹿なことほど全力でやっていたもんだ。全力で取り組まなかったのは勉強くらいという楽しい時代だった。

ロケ地は、友人からの報告通り私の郷里・北九州市で、登場している路面電車は現存する筑豊電鉄(サムネイル写真)である。路面電車型の車両だが、全線が専用軌道区間のため、結構な速度を出して走っている。全線が専用軌道のため、軌道免許でなく鉄道免許を受けており、本来なら路面電車スタイルの車両を使う必然性はないところだが、1992年まで西鉄北九州線(廃止)と乗り入れしていた関係で、今も路面電車の車両が走る。

路面電車以外にも、田野浦公共臨港線と、その沿線にある旧食糧倉庫が登場。見覚えがある風景ばかりでとても懐かしかった。驚いたのは、撮影に協力した北九州市内の中学校の中に、私の母校も含まれていたことだ。

北九州市は、今、地域おこしの一環として映画ロケの誘致に力を入れているらしく、2005年にも「この胸いっぱいの愛を」のロケが行われている。郷里がこんなふうにしていろいろな映画の舞台になるのは、とても嬉しい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すかがわ国際短編映画祭で加藤久仁生監督がトーク

2009-05-09 23:49:47 | 芸能・スポーツ
今日、福島県須賀川市で第21回「すかがわ国際短編映画祭」が開催されたので、見に行ってきた。今回の目玉は、なんと言っても加藤久仁生監督のトークイベントだろう。ご存じ、アカデミー短編アニメ部門を受賞した「つみきのいえ」の監督である。

加藤監督のトークショーは12時半から始まった。アカデミー賞の舞台はとても華やかで、受賞後は自分は全く変わっていないのにマスコミの扱いが大きく変わったおかげで「勘違いしそうになった」という。

「つみきのいえ」はすべての絵が鉛筆で描かれており、パソコンに絵を取り込んでからコンピューターで色をつけたそうだ。制作上、最も苦労した点は、鉛筆で1枚1枚、影をつけていく作業で、本当に終わるのかと思ったそうだ。

自身は鹿児島出身で、東北とは縁遠いように思われる加藤監督だが、意外にも父親が山形出身のため東北に縁が深いという。温厚な性格で、動物が好きなので子供の頃の夢は獣医になることだったが、子供の頃に猫アレルギーを発症したため、獣医の道は諦め、映画に携わることになったそうだ。

13時から、いよいよ「つみきのいえ」上映があった。12分の短い作品だが、主人公の自宅と、そこで過ごした家族への強い思いが感じられる作品だ。台詞がなく、絵だけで主人公の気持ちを見事に描ききっている。好感の持てる作品だった。

なお、すかがわ国際短編映画祭は明日10日も行われる。

(10日追記)
すかがわ国際短編映画祭の模様は、10日の福島民友新聞でも報道されている。(参考記事

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尾崎豊の死後17年・墓参記

2009-04-27 23:02:37 | 芸能・スポーツ
4月25日は尼崎事故の日だが、また同時にロック歌手・尾崎豊の命日としても知られている。1992年4月25日、26歳の若さで彼がこの世を去った衝撃の日から、早くも17年の歳月が流れた。

彼の眠る墓地は、埼玉県・西武ドームにほど近い狭山湖畔霊園にある。関東(横浜)勤務だった頃は、毎年4月になると彼のお墓参りをするのが常だったが、地方在住となってからはずっと行けずじまいだった。しかし、たまたま25日に都内に用事ができたので、墓参を行うことにした。前回の墓参は2000年だったから、実に9年ぶりである。

東北新幹線を大宮で降り、埼京線で武蔵浦和へ。武蔵野線に乗り換え、新秋津まで行く。雨の降る中を西武線秋津駅へ歩き、池袋線で西所沢へ。西所沢から狭山線に乗り換えると、西武球場前まではすぐに着く。

9年ぶりに降り立った西武球場前駅。狭山湖畔霊園まで迷わずたどり着けるかと心配だったが、降りて周囲を見回した瞬間、9年前の方向感覚がよみがえり、すぐに進むべき方向がわかった。物覚えの悪い私が意外に覚えているあたり、やはり尾崎豊は私にとって特別な存在なのだと、改めて思う。

もうひとつ、9年ぶりの墓参で確認したいことがあった。9年前は、4月25日の命日に訪れると、尾崎豊の墓の前でギターを弾きながら歌っている若者の集団に必ず出会ったものだ。彼らが今どうしているのか、9年間でどんなふうに変わっているのか、そのことにも興味があった。

駅から霊園に行く途中、高校生か大学生に見える女性2人組とすれ違った。私の数メートル先には、花束を持った、やはり高校生か大学生風の男性2人組。どちらも尾崎豊のファンだとすぐにわかった。ファンの世代交代が順調に進み、彼をリアルで知らない若い層から新たなファンが生まれている。そのことが私には嬉しかった。

霊園へと続く坂道を上り、霊園に入るとすぐ左手に事務所があり、ここで花を売っている。私が事務所に入っていくと、係の女性が「どちらへ墓参ですか? 尾崎さん?」と話しかけてくる。確か9年前にも、この女性はいたような気がする。4月25日が尾崎豊の命日で、ファンの墓参の日であることは、霊園職員にもおなじみになっている。彼の命日に墓参をする人は、いつまで経っても絶えることがない。

花束を購入すると、お線香はどうしますかと尋ねられたので、一瞬迷ったが、雨が降っていたので遠慮しておく。事務所を出て、霊園内の墓地へ至る坂をなお上っていく。尾崎豊の墓は、墓地に入ってすぐのところにあり、命日であるこの日には多くの人が並んでいるのですぐにわかる。

尾崎豊の墓石には「生きること。それは日々を告白していくことだろう。~放熱への証」と刻まれている。尾崎豊が死の直前にレコーディングした最後のアルバムのタイトルが「放熱への証」だ。そのアルバムをひっさげた全国ツアーが1992年夏から始まることになっていた。しかし、そのツアーの日は結局、訪れることはなかった。

お墓の前に立ち、順番を待って花を捧げ、手を合わせる。9年前と何も変わっていない中で、ひとつだけ変わったことがあった。40歳前後の夫婦が子供連れで墓参に訪れていたのだ。9年前には見られなかった光景である。時の流れを感じるとともに、尾崎豊ファンもずいぶん年を取ったなぁと思った。

しかし、9年前のようにギターを弾きながらお墓の前で歌っているファンには出会わなかった。悪天候のせいもあるかもしれないし、尾崎豊ファンの主力は正社員になれなかった人が多い「失われた10年」世代で、最も苦労している世代だから、もうそんな余力もないのかもしれない。

一方で、霊園への道の途中で見かけたような若いファンも新たに生まれている。かつてのファンに変わらず愛され、新たなファンにも恵まれている尾崎豊はやはり希有な存在だと思った。彼がもし存命だったら、大企業がぼろ切れのように労働者を酷使し、使えなくなったらポイ捨てにする社会に対し、どんな形で抗っただろうか。

17年前のあの日、尾崎豊を死に至らしめた原因は依然として謎に包まれている。尾崎豊ファンの中には、そっとしておいてほしい、今さら死因をほじくり返さないでほしいと思う人たちも多く存在する。病院の診断結果によれば死因は「肺水腫」というあまり聞き慣れないものだったが、そこに至るまでに空白の時間帯があり、その間彼が何をし、あるいはどのような目に遭っていたかは今もってわからない部分が多い。多くのファンがいる伝説的歌手だけに、憶測で語ることは慎まねばならないが、尾崎豊の全国ツアーに帯同した元マネージャー・鬼頭明嗣氏の著書によれば、尾崎豊がツアー中、常に20本もの「ユンケル」を常備しており、酷いときには1日に7~8本を開けることがあったとされている。麻薬での逮捕歴もあり、麻薬や栄養剤の過剰摂取が尾崎豊の身体を蝕んでいたことは、ある程度事実と考えていいのではないだろうか。

しかし、私たちにとって尾崎豊が伝説であったことは間違いないし、今も伝説であり続けている。尼崎事故の追悼・調査活動と並行しながら、私は今後も可能な限り尾崎豊の曲を聴き、命日には墓参を続けると思う。地方在住の身とあっては、なかなか難しいが…。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<飯島愛さん>お別れの会に芸能人ら700人

2009-03-01 23:13:29 | 芸能・スポーツ
<飯島愛さん>お別れの会に芸能人ら700人 中山秀征「あなたは日本のモンロー」(毎日新聞)

-----------------------------------------------------------------
 昨年12月に死去した元タレント・飯島愛(本名・大久保松恵)さん=享年36=の「お別れの会」が1日午前、東京都港区の東京プリンスホテルで行われた。生前の交友の広さを物語るように多数の芸能人、関係者ら700人が駆けつけ、飯島さんに最後の別れを告げた。

 祭壇には飯島さんが好きだったという真っ白なカサブランカやカラー、桜の花が飾られた。親交の深かったタレントの中山秀征さんは「美人薄命とはいいますが、本当にその通りですね。あなたは日本の(マリリン)モンローですよ。愛ちゃん、よくがんばりました。ありがとう。また会おう!」と涙をこらえるようにあいさつした。

 「お別れの会」は、飯島さんが07年3月に芸能界を引退するまで所属していたワタナベエンターテインメントが主催。発起人でもあるアナウンサーの徳光和夫さんが司会を務めた。中山さんのほか、島田紳助さん、大竹しのぶさん、ホンジャマカの石塚英彦さんと恵俊彰さん、うつみ宮土理さん、古館伊知郎さんらも出席した。

 会場の一角には、ベストセラーとなった自伝小説「プラトニック・セックス」の各国語版や、飯島さんが受賞した00年の流行語大賞などの賞状などが展示された。この日の香典は、飯島さんが取り組んでいたHIV/エイズ啓発活動に役立てるため、すべて財団法人エイズストップ基金にあてられるという。午後には一般のファン向けのお別れの会も行われ、約1500人が参列する。【栗原拓郎】
-----------------------------------------------------------------

当ブログ管理人は、飯島愛さんと同年代である。昨年のクリスマスイブに自宅でひとり、変わり果てた姿を発見された飯島さんを思うと、新たな悲しみがこみ上げてくる。

私は、AV界出身で芸能界に転身した飯島さんを密かに応援していた。彼女の過去をことさら強調するのは私の本意ではないが、AV界でいくら大物といわれる女優でも、AV界で「賞味期限」が切れたらそのまま引退して一般人に戻っていくのが普通であり、芸能界に転身できる人はきわめて少ない。

しかし、その希有なAV界→芸能界の転身を飯島さんは見事に成し遂げた。そのこと自体が彼女の能力を証明するものだと私は思っている。芸能界の中にも「AV出身!」などと心ないヤジを飛ばす人間がいたという証言もあるが、当ブログ管理人は、このような実力本位の世界には出自を問うべきでないと考えている。

飯島さんは、自分に芸がないことを悩んでいたといわれるが、そんなことは決してないと私は思っている。もっともっと芸能界で活躍してほしいと思っていたし、同年代であるだけに余計に早世が悔やまれてならない。改めて飯島愛さんに深い哀悼の意を表する。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「つみきのいえ」アカデミー短編アニメ賞受賞!

2009-02-27 23:23:59 | 芸能・スポーツ
「つみきのいえ」でアカデミー短編アニメ賞受賞!加藤久仁生監督が緊急会見

--------------------------------------------------------------------
[eiga.com 映画ニュース] 「おくりびと」と同時に、第81回アカデミー賞で短編アニメーション賞を受賞した「つみきのいえ」の監督・加藤久仁生が、2月25日、東京・日比谷の東京會舘にて受賞記者会見を行った。

 仏アヌシー国際アニメーション映画祭をはじめ国内外で高い評価を受け、日本映画として初の短編アニメーション賞でオスカーを獲得した本作は、「ALWAYS 三丁目の夕日」の製作プロダクション、ROBOTが送るショートストーリー集「pieces of love」の1編で、海面が上昇する度に積み木のように家を建て増してきた老人が、家族との思い出を回想する物語。

 「鉛筆のタッチにこだわった」と監督が語る本作は、セリフが一切なく、手描きの絵を思わせるタッチの映像で綴られているが、そのこだわりゆえに製作期間が3カ月から8カ月に延びたそうで、「始末書を書く羽目になりました」と苦笑い。それも今回のアカデミー賞受賞で報われたといったところか。

 受賞スピーチで、米ロックバンド、スティクスの曲「ミスター・ロボット」の歌詞と自身の所属する会社ROBOTにかけて、「どうもありがとう、ミスター・ロボット」と言って観客を沸かせた監督だが、実は壇上で何も言えなくなることを恐れて予め用意したスピーチだったそうで、この日の会見では「自分は本来こういう表舞台に立つ人間じゃない」と多くの報道陣を前に動揺気味。授賞式の思い出を聞かれると、「プレゼンターのジャック・ブラックに『スクール・オブ・ロック』がすごく良かったと伝えたら、ギターを弾くマネをしてくれた」とハリウッドスターとの交流をはにかみながら明かしていた。

 すでに昨年10月に発売されている本作のDVDは、アカデミー賞受賞効果で売り上げが急増し、現在3万本以上の追加注文が入っているという。また、3月7日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほかにて「pieces of love」の他作品とともに凱旋上映されることも決定している。
--------------------------------------------------------------------

一昨日の「おくりびと」に引き続き、1日鉄道ネタを間に挟んだ後、今日は「つみきのいえ」を取り上げる。カテゴリは一応オタクネタとして扱う。

さて、この「つみきのいえ」、さわりの部分だけテレビで紹介されていたので見たが、作画が全く日本的ではなく、キャラのイメージも米国的だと思った。やはり最初から国際舞台への進出を狙って描かれたものかもしれない。わずか12分間の短い作品だが、海面上昇で沈む家の描写は地球温暖化に対する批判を含んでいるものと理解していいだろう。

このアニメ映画の受賞から思ったことは、日本のアニメーターたちの情けない体たらくである。12分間という限られた時間の中でも、自分の表現したいことは表現できるということを「つみきのいえ」ははっきりと示してみせた。

最近、日本の「萌えアニメ」業界でも制作費の予算は厳しく、ひどい作品になると1話200~300万円しかないことも珍しくないといわれる。そうした状況の中で、3ヶ月1クールでテレビ放送を回すことに慣れてしまった日本のアニメーターたちが「こんな状況でストーリーを持った作品なんて作れるわけがない」とばかりに1発ギャグや萌えに特化した作品を粗製濫造するようになって久しいが、何のことはない。加藤監督が12分でもストーリーを持ったアニメを作っているのに、1話25分近くも与えられているアニメーターたちがまともな作品を作れないのは、単純に能力がないか、自分たちに訴えたいストーリーがないかのどちらかではないか、と思ったのである。私の目には、今の日本のアニメ監督で今後も生き残りそうなのは宮崎駿のほか、押井守くらいしかいないように映るのだ。

宮崎駿は1941年生まれ、押井守は1951年生まれで、萌えアニメや美少女アニメを粗製濫造させた40代のアニメーターから見れば1~2世代上に当たる。今後、日本のアニメ界が生き残りたければ、若手を育成する必要があるが、後に続く世代は30代以下から出てくるのではないか…私は加藤監督の受賞を聞いてそんな予感を抱いている。

それにしても、バブル期に楽して就職した40代ってホント役に立たないな。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「おくりびと」アカデミー外国語映画賞を日本映画初受賞

2009-02-25 22:08:42 | 芸能・スポーツ
「おくりびと」大逆転!アカデミー外国語映画賞を日本映画初受賞

-------------------------------------------------------------------
 [eiga.com 映画ニュース] 2月22日に行われた第81回アカデミー賞授賞式で、滝田洋二郎監督の「おくりびと」が日本映画初の外国語映画賞を受賞した。

 滝田監督、続いて主演の本木雅弘、広末涼子、余貴美子がステージに上がったのち、滝田監督が「アイム・ベリー・ハッピー」と第一声。さらに「新たな出発点となりました。私たちはまたここに戻ってきたい」と英語でスピーチした。

 下馬評では、昨年末からの映画賞をほぼ二分してきたイスラエル製アニメ「戦場でワルツを」(東京フィルメックスのグランプリ作品)と、カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作「クラス」の2本が他に比べて優勢と伝えられていたため、同作の受賞に関し、海外のメディアは“逆転”や“意外”“番狂わせ”といった表現を使った。

 特に「戦場でワルツを」の前評判が高かったが、アニメ形式だったので敬遠された模様だ。また、アカデミー会員は今年からDVD視聴で投票できず、会員向け試写会で見た人のみが投票できるルールになった。世界的に普遍的なテーマである死を題材とした「おくりびと」は、試写会で会員の投票を一気にかき集めたようだ。

 そもそも同作は9月1日にモントリオール世界映画祭グランプリを受賞。日本公開(9月13日)と同時に米アカデミー賞の日本代表に選ばれ、あれよあれよと最終ノミネートの5本に入った。先週の日本アカデミー賞でも10冠を達成している。

 受賞後の会見で滝田監督は、自分が呼ばれた時の心境について「信じられなかった。これまでアカデミー賞でノミネートされた日本映画はほとんが時代劇だった。その意味で、現代ものが認められたことはうれしい」と語った。

 「日本人は、いや世界中どこでも同じだが、死を忌み嫌う傾向がある。企画をいただいた時は不安だった。しかし、実際に納棺師の仕事を見て、これはやらなければいけないと感じた。主演の本木雅弘さんが本当にのめり込んで演じてくれた。今日の賞の半分は本木さんのものだ」と、現在の気持ちとして主演の名演を称えた。
-------------------------------------------------------------------

「これまでアカデミー賞でノミネートされた日本映画はほとんが時代劇」という滝田監督の発言が、アカデミーの日本に対する見方を端的に表しているような気がする。アカデミーと米国にとって日本は未だにフジヤマ、サムライ、ゲイシャだったのではないか。その意味で、現代物の受賞は確かに従来の枠を打ち破る快挙とは言える。

これまで、生きること、「生」をテーマにした作品は数知れずあったが、死というネガティブなテーマ、それも戦争や殺人や天変地異による非業の死ではなく、天寿を全うした人間が迎える病気や老衰による普通の死をテーマにした作品は皆無に近かったのではないか。

今、日本は75歳以上が人口の1割を占めており、60歳以上に至っては人口の実に4分の1にも達するという、人類が歴史上経験したことのない超高齢社会の中にいる。国民の4人に1人が高齢者ということは、1家族に1人は高齢者がいるという程度の比率になる。日本人であれば老若男女にかかわらず、間近に迫った死と向き合わなければならない人間が家族に1人はいるという計算になるわけだ。

誰にとっても「死」が身近なところに位置している…「死」を違和感なく1本の映画としてテーマ化できた背景には、滝田監督の非凡な才能もさることながら、このような社会事情も背景にあるのではないかという気がする。

もうひとつ。このような映画が作られ、興行的にもヒットするようになった背景に、日本人の死生観の変化があるような気がする。

武家時代から太平洋戦争の敗戦まで、日本人にとっては「良く生きる」ことよりも「良く死ぬ」ことが美徳とされた。「おめおめと生き恥をさらすくらいなら腹を切る」が武士道精神だった。佐賀・鍋島藩の心得書「葉隠」にある「もののふとは死ぬことと見つけたり」という言葉は、まさにこうした精神の有り様を武士に指南したものと言えるだろう。

こうした「良く生きるよりも良く死ぬことが美徳」という日本人の精神の有り様は、近代まで引き続くが、昭和に入ると国民を戦争に総動員しようとする軍部によって利用され「国のために死ぬ」に変質させられた(沖縄で起きた集団自決もこの延長にある)。しかし、「もののふとは死ぬことと見つけたり」の本来的意味は、決して「生とは仮の姿」なのだから生を粗末にして良いということではなく、むしろ、「いつ訪れるかわからない死をいつ迎えてもいいように毎日を精一杯、恥ずかしくないように生きよ」という意味だったのだと想像する。生が限りあるものであり、死が避けられないものだと自覚することによって、人間は動物と違う倫理的な生き方ができるようになったのだと私は思う。

ところが、戦後に入ると、医学の進歩によって平均寿命が大幅に伸びたこととも相まって、あたかも生が永遠のものであるかのような風潮が生まれた。「死」について公然と語ることはタブーとなり、「いかに良く生きるか」だけが大手を振って語られた。その結果、死を迎える精神的準備ができないまま死を迎える日本人が多くなっていったと考えられる。

ようやく結論に入るが、「おくりびと」ヒットの背景に日本人の死生観の変化があるのではないか、という本エントリーの主張の趣旨はこうである。すなわち、上述したような戦後的価値観(良く生きることだけが問題とされ、誰もが避けて通れないものであるにもかかわらず「死」をタブー視する)が再び戦前的な「避けて通れない死が明日来てもいいように死と前向きに対峙する」という価値観へと転換しつつあるのではないかということである。物質主義から精神主義への回帰とか、そこまで大げさなことを言うつもりはないが、戦争のためにやりたいことも我慢せざるを得なかった上の世代と、希望も夢も掘り尽くされて無関心の海に沈んだ下の世代との間に挟まれてさんざんやりたい放題やってきた「団塊」世代が、残り少なくなった人生を省みて、死を意識し始めたのだろうか。

「おくりびと」の英語の題名が“Departure”(出発、旅立ち)という前向きなイメージのものになっているのも、そうした精神構造の変化を物語っているのかもしれない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大黒摩季新アルバム感想【ネタバレなし】

2009-02-06 21:24:01 | 芸能・スポーツ
2月4日発売の大黒摩季ニューアルバム“Luxury22-24pm”を聴いてみた。
旧ビーイング時代のシングル曲をアレンジしたセルフカバーアルバムなのだが…

正直、私、今後も大黒摩季ファンであり続ける自信をなくしてしまった。前作“POSITIVE SPIRAL”の時、少しは彼女を再評価したりしていたのだが、また元の木阿弥だ。

「ああ、もうこの人は二度とホールでのライブはできないな」というのがこのアルバムを聴いた第一印象だ。最近メールのやりとりをしている友人が「アルバムを聞いて彼女が目指しているものが見えたような気がした」と評したが、その意味が理解できた気がする。

大黒摩季の目指す道は「身の丈にあったホームエンターテイメント」だろう。小さくまとまり、半径数メートルの世界の中に甘んじて、ステップアップを放棄する大黒摩季の現在の精神構造が凝縮されている気がする。「かすれた声を利用したプロデュース」という友人の評価にも全く同感で、私は大黒摩季が「超えてはいけない最後の一線」を超えてしまったのではないかという気がした。

ぶっちゃけた言い方をすれば「曲のほうを縮小していく自分に合わせた」という感じで、こんな使い方をされる過去の曲がかわいそうに思えるし、こんな状態の作品を「セルフカバー」なんて言ってはしゃいでいるようでは、さらなる彼女の地位低下は避けられないと思う。「セルフカバー」と言えば聞こえはいいけれど、要は単なる劣化コピーだ。

彼女はもうホールでのライブはできない(少なくともこのアルバムではやらないでほしい)し、やるならライブハウスだと思うが、世に送り出す曲が過去の遺産の劣化コピーに過ぎないものであるならば、やがてはライブハウスですら埋めることはできなくなるだろう。次々と劣化コピーを生み出していき、そしてそれがもはやこれ以上劣化できない状態になったとき、アーティスト大黒摩季は死ぬ。いずれにせよ、このままでは彼女の歌手生命はあと数年ではないだろうか。

ただ、新しく彼女のファンになった層は、過去の大黒摩季との連続性を知らないだけに、エンターテインメント指向を強めている彼女の作品を単純に楽しいと思うだろうし、私たちのような悲壮な感想は持ちようがないだろう。

この春、福島で2度目の大黒摩季ライブもあるようだが、正直、参加することに迷いを感じ始めている。もし、これが大黒摩季の目指す方向性であるならば、私はファンであり続けることが自分のためになるかどうか再検討しなければならないと思う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHKのど自慢

2008-12-07 20:43:05 | 芸能・スポーツ
ネタバレもほどほどにすべきと思うので、あまり詳しく書けないが、今日、我が村にNHKのど自慢がやってきた。ダメ元で観覧券を申し込んでいたところ、当選して観覧できることになったので、妻と2人で出かけた。この当選で今年1年分の運を使い切ってしまった気がするが、今年ももう終わりなので、気にすることもあるまい。

会場は西郷第二中学校講堂。講堂と銘打ってはいるが、実質的に体育館だ。少しでもいい席を確保しようと、朝4時半から並んだ猛者もいるという。

9時から入場整理券を配るというので、観覧券を持っていったん出かける。9時半頃、整理券確保に成功。ここで座席が指定されるから、もうこれ以上並んでいる必要もなく、いったん帰宅して朝食。開場は11時だから、遠くから来ている人は、この中途半端な1時間半近くが手持ちぶさたに違いない。12月初旬とはいえ小雪のちらつく季節に外は寒かろうし、車の中で待つか、周辺をドライブしながら待つくらいしかできないと思う。

11時開場。11時半頃、会場入りするとすぐリハーサルが始まる。冒頭、佐藤正博・西郷村長が挨拶、続いてNHK福島放送局長が挨拶する。福島放送局長によれば、西郷村からは4年も前に開催の打診があったという。多くの地方自治体にとって、NHKのど自慢はまだまだステータスのようだ。

NHKは一時期、受信料問題でバッシングも受けたが、それも今では静まり、今年4~9月期の平均視聴率がついに民放各社を抑えて1位となるなど努力が実りつつある(テレ東やテレ朝はともかく、日テレやフジも抑えてNHKが視聴率1位というのは、北京五輪などの「特需」があるにせよ異例のことだ)。そうした事情を反映してか、しっかり者のNHK福島局長、「NHKは皆様の受信料で成り立っています。引き続き受信料もよろしくお願いします」とアピールすることを忘れなかった。

司会の徳田章アナウンサーによれば、出場希望者は300名ほどいて、ここから予選で20組に絞った。予選参加者は前日、6日(土)午後から始まり、本番に勝ち残った20組は夜9時過ぎまでリハーサルと打ち合わせがあったという。NHKスタッフは夜10時過ぎまで会場で照明や音響の調整などをしたというから、苦労が偲ばれる。観覧希望者は、1000人のキャパに対して「3倍の競争率」だという話だったから、3000人が応募したことになる。

NHKのど自慢おなじみの「鐘のおじさん」秋山氏の紹介に引き続き、徳田アナから裏話が披露。「鐘1つ」「2つ」「合格」の判断は、楽屋裏の「審査室」からひとりひとりの出演者ごとに秋山氏に伝えられることになっており、「鐘のおじさん」に決定権は与えられていないという。合格の場合、「ドシラソ、ドシラソ、ド・ミ・レ」の形で鐘が鳴らされるが、「ドシラソ、ドシラソ」は「良くできました」の意味で鳴らされ、最後の「ド・ミ・レ」が合格を表すという。つまり、合格は世間で言われているとおり「鐘3つ」なのだ。

そのような裏話の後、出場者の応援のため横断幕などを作ってきている観覧者は事前に見せてくださいと、局側からチェックが入る。この段階で、横断幕が逆さになっている人、「ガンバレ」が「ガバンレ」になっていたりする人がいたら、修正が入る。

のど自慢で使われるマイクはワイヤレスマイクなので、電波の発信源が会場内にあるとマイクが誤作動するらしく、NHKスタッフから「本番開始までにケータイの電源を切るよう」厳重なお達しがある。会場内でのケータイのほか、録音・録画、飲食、喫煙、そして土足は禁止。生放送なので、「万一、本番中に緊急地震速報が出た場合は、徳田アナウンサーから緊急地震速報が出たことをお伝えしますが、すぐに出口に向かって走り出さないよう」注意があった。東北では、震度6以上の地震が今年、二度もあったから冗談と思えない。

やがて午後12時15分、本番開始。いつも通り平和に進行し、午後1時に予定通り本番が終了した。

番組としてはここで終わりだが、午後1時以降もステージは続く。「今週のチャンピオン」となった人のアンコールの後、ゲストの前川清さん、田川寿美さんがそれぞれ追加で2曲を歌う。田川さんは「花になれ-うめ さくら あやめ あじさい ひがんばな-」「誰も泣きたい時代だね」を、前川さんは「長崎は今日も雨だった」「そして、神戸」の2曲を追加で熱唱。

「そして、神戸」は徳田アナウンサーがカラオケでよく歌う曲らしく、前川さんからそれを指摘されると会場から「徳田」コール。結局、徳田アナと前川さんがコンビで歌うという予想外の展開もあり、おもしろかった。

ステージは、午後1時30分に終了。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする