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天高く、復調の秋

2024-10-12 23:15:28 | 日記

ここ10年ほどの日本列島は、1年の半分が夏という状況になり、明らかに熱帯化している。フィリピン沖より北の海域では発生することがないとされていた熱帯低気圧が、今年は日本近海で相次いで発生するという、気象学の常識を覆す出来事も起きた。

そんなしぶとかった猛暑もいつの間にか過ぎ、西日本でもようやく最高気温が30度を切るようになった。ここ北海道では、最低気温はすでに10度を切り、5度を切る日もある。気密性の高い北海道の住宅ではまだストーブを焚くほどではないが、これ以上最低気温が下がると必要も出てくるだろう。この3連休でストーブの準備をするつもりでいる。

さて、読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋などと言われるが、私にとっては「復調の秋」となりそうな気配が濃厚になっている。昨年夏以降、1年以上にわたって続いてきたスランプから脱出の気配……というより、完全に脱出したといえそうだ。それはなにより、最近投稿する文章の好調と、確かな手応えという形で現れている。特に、当ブログ8月23日付記事「じわり広がる「令和の米騒動」 これは日本の「暗い未来予想図」か」と、その続編に当たる9月24日付記事「余波続く「令和の米騒動」 日本の歴史的転機になるかもしれない」には近年にないほど大きな反響があった。

この記事は、もともと「地域と労働運動」誌向けに執筆し、レイバーネット日本に転載したものだが、転載後、右翼と思われる人物から私をライターから解任するようレイバーネットに要求があったという。この不当な要求をレイバーネット日本が拒否したことはいうまでもない。レイバーネットでは、記者を含む「運営委員」は、年に1回、3月に開催される総会で選出されている。死去するか、本人から辞任を申し出ない限り、不当にその地位を奪われることはない。本人の意思に反して運営委員を解任できるのは総会だけと決められているのだ。

スランプが顕在化した昨年夏からしばらくの間、私の書く文章に、支配層・右翼・原発推進派などの「敵対陣営」からでなく、「こちら側」であるはずの運動関係者からクレームが付くということが、立て続けに3度続いた。そのほとんどは、文章全体から見れば些末な部分に過ぎなかった。だが、ただでさえ疲れていたところにこういうことが続いて精神的に嫌になった。3度のクレームのうち2回を占めていた「ある媒体」での休筆を宣言したことは、当ブログ2月14日付記事「年末に見た夢の意味が、少しわかってきた。私にとって「書くこと」の意味」で詳しく述べた。

スランプ期間中、普段あまり書くことのない日記を頻繁に書いてきた。6月2日付記事「閉塞感で行き詰まったとき、ふと思い出す「幼き日」の出来事」、そして6月10日付記事「Good times,bad times あきらめない いつか飛び立てる時まで(渡辺美里さんの曲の歌詞より)」も、読者からは大きな反響があった。それまでの当ブログは、硬派な政治情勢や運動・闘いの記事を中心に「弱みを見せない」ことを運営方針の中心に据えてきた。それだけに、ほとんど露出することのなかった私の「人間的な悩み」が、リアルで面識のない読者に興味深く、そして割と好意的に読んでいただけたと思っている。

「ある媒体」の編集長からは「とりわけ原発問題に関しては、あなたがいないと紙面が成り立たない」と懇願され、結果的に、以前と同じペースでの執筆はできないとの条件で復帰している。休筆前には、週に2本の記事を書くこともあったが、30代~40代の頃のペースのまま執筆を続けることは、50代という年齢を考えても限界に突き当たっており、見直すいいきっかけになったと思っている。

スランプ脱出への気配をはっきり感じたのは、夏がピークを過ぎる頃だった。自分の書いた文章にキレがかなり戻ってきた。スランプに陥る前のように、ほとんどの原稿が書き直しもなく1回で点検・校正を通過するようになった。「こちら側」からのクレームはなくなり、「令和の米騒動」記事に見られるように、攻撃は再び「敵対陣営」から来るようになった。これは、私の書く文章に、権力・支配層に対する「攻撃力」が戻ってきたことを意味している。

『優れた文章、迫力のある文章には、揚げ足取りのような批評者をねじ伏せるだけの生命力がある。それが長年にわたってライターとして生き残ってきた私の率直な実感である。・・「ある媒体」に復帰するかどうかはもうしばらく様子を見たい。・・以前と同じように、つまらない批評者をねじ伏せるだけの生命力を自分の書く文章に再び宿らせる自信ができたら、それが復帰の時である』

前述した2月14日付記事「年末に見た夢の意味が、少しわかってきた。私にとって「書くこと」の意味」で私はこう述べた。『つまらない批評者をねじ伏せるだけの生命力を自分の書く文章に再び宿らせる自信』が戻って来ている。これが復調の第1の意味である。

     ◇    ◇    ◇

そして、復調を確信させる出来事の2つ目は、9月12~13日に受講した職場の研修(非管理職対象)である。上京し、1泊2日の研修に、全国から20歳代~50歳代まで10人が参加した。「業務上のミス防止」をテーマに、実際のミスの事例を基にした再発防止策を事前にまとめ、当日、プレゼンする。10人の参加者のうち、プレゼンした再発防止策の採用がその場で即、決まったのは私を含め2人だけだった。誰でもできる簡単な内容の割には、業務効率化の効果が見えやすいというのが、私のプレゼンが採用された理由だった。

もっとも、この研修参加者のうち、50代は私1人だけ。他は全員が20代~40代だった。経験年数からいえば、最も長い私がこれくらいの結果は出せて当然で、そうでなければ職場で生き残ること自体、難しい。

私の職場で、定年後の再雇用者を除けば、非管理職の最年長者は別地域にいる50代後半の人だが、その人はアルコール依存傾向が強く、たびたび遅刻している。遅刻せずに通常勤務できている非管理職の中では事実上、私が最年長である。同年齢の人はほぼ全員が管理職になっており、そもそも非管理職向けの研修にこの年で参加していること自体が異例中の異例なのだ。

この先、自分にどんな道が待っているかは、自分が決めることではないだけにまだわからない。だが、上で紹介した6月2日付記事、6月10日付記事で書いたように、私は幼少期から「長」のつく仕事とは無縁の人生を生きてきた。他人と同じことを他人と同じスピードでこなすことが苦手だった。電気屋のチラシに掲載されている時計の針がすべて10時10分を指していることなど、普通の人はどうでもいいと思って気にしないことが気になり、理由が知りたくて仕方なく、何度も図書館に通い詰めたあげく、最後には時計メーカーに電話までして理由を教えてもらった(そのとき聞いた理由は、こちらに記載されているのと同じ内容だった)。

その一方で、普通の人なら備わっていて当然のことに対する注意力ーー例えば、忘れ物をしない、自分が出した物は元通り片付けるといったことへの注意力ーーは散漫で、明らかに欠けていた。興味・関心・記憶力を向ける対象がはっきり偏っており、「他のクラスメートや、同年代の友達に約束されているであろう『普通の幸せな人生』は、自分にはないかもしれない」と、小学校4年生の時に早くも悟った。

発達障害という概念自体がまだなかった時代だったが、ASD(自閉症スペクトラム障害。少し前まで「アスペルガー障害」と呼ばれていた)のテストを受ければ、該当かグレーゾーンかは別として、「正常ではない」との診断を下される可能性は、今なおあると思っている。だが、そう診断されることが自分にとって幸せかは別問題であり、社会生活を送れている限り、診断を受ける必要はないと考えている。

自分がこの年齢まで生き延びてこられたのは、「全力を尽くしてもダメなら、自分のペースで最後まで走りきるように。最後までやり抜くことは、ずるをして勝つよりもずっと価値があること」だという母の言葉を実践してきたからだ。幼稚園の時のマラソンで、下級生にも負け続け卒園までずっとビリなのが嫌で仕方なかった。だが、たとえ勝てなくても、あきらめさえしなければ最後に自分の居場所はできるというのが、半世紀を生きてきた私の人生訓である。

自分ひとりだけ50代で非管理職のままだとしても、そこが自分の居場所なら、逆らわずにそこできちんと結果につなげる。結果につながらないときでも、次につながる何かを残す。今回の研修で、誰が見ても効果がはっきり理解できる業務効率化提案をプレゼンしようと私が決めたのも、そのことが大切だと思ったからである。

     ◇    ◇    ◇

1994年4月に今の職場に勤め始めてから、今年で30年となり、表彰も受けた。

採用辞令を受けたとき、30年勤務の表彰を受ける大先輩の姿を見ながら、あの大先輩たちのように、30年後も私がこの職場に残れているだろうか、と思った。30年後まで残れる可能性は五分五分だというのがそのときの感覚だった。就職氷河期まっただ中、1年就職浪人をしてまでやっとつかんだ正規職の職場であり、「ここまで苦労してつかんだのだから、絶対辞めるものか」という気持ちが半分。残りの半分は「不器用な自分が30年も生き残ることが果たして本当にできるのだろうか」という不安だった。

今振り返ると、30年はあっという間だったような気がする。昨日と今日がまったく同じということはなく、退屈なのではないかと予想していた職場が意外にもそうでなかったことは嬉しい誤算というべきかもしれない。

未熟な自分を温かく見守り、励ましてくれる先輩方がいる一方で、理不尽なことで八つ当たりをしてくる先輩も、自分に非がないとわかっているのに叱ってくる上司も経験した。正直に告白すれば、すべてを捨てて逃げ出したいと思ったことも、この30年で2回ある。だが2回とも優れた上司、先輩に恵まれ何とかやってこられた。

新人時代、理不尽な八つ当たりをしてきた先輩は30年を待つことなく、気づけば職場を去っていた。自分に非がないとわかっているのに叱ってくる上司は、2度と出会うことのない遠い関連会社に出向となり、やはり30年を待たずに職場を去った。一方で、私を温かく見守ってくれた先輩方は、そのほとんどがふさわしい役職に就いている。やはり、世の中とはよくできているものだと思う。

30年務めたので表彰を受けたことを、離れて暮らしている両親に報告したら、大変喜んでくれた。特に母は「継続は力なり。よく頑張ったね」と言ってくれた。「最後までやり抜くことは、ずるをして勝つよりもずっと価値があること」だと教えてくれた母は、半世紀の時を過ぎてもまったく変わっていなかった。私に理不尽な八つ当たりをし、30年を待たず職場を去った先輩が、今の私を見たらどう思うだろうか。

まもなく厳しい冬が訪れる。だが「このスランプがあったから今があるのだ」と思えるときも、必ず来るというのが半世紀を生きた私の実感である。厳しい冬が訪れる前のわずかな期間、さわやかに吹き抜ける風を全身に浴びながら、少しだけ自分を褒めてあげたいと今は思う。


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これが「自民党の補完勢力候補/原発推進派」国民民主党の実態です

2024-10-10 23:03:07 | 原発問題/一般

発足間もない石破政権が解散総選挙に踏み切った。今回の選挙は、安倍晋三元首相が世を去ってから初めて行われる国政選挙になる。2012年の安倍政権成立で政権復帰してから、自民党は国政選挙で負け知らず。全戦全勝を続けてきたが、それも安倍元首相が右派「岩盤支持層」を徹底的に固める戦術に徹してきたからである。

しかし、安倍氏が世を去り、右派「岩盤支持層」にとって希望の星だった高市早苗氏が総裁就任に失敗した今、岩盤支持層が離れた自民党が安倍氏の存命中と同じような選挙を戦えるかどうかはわからない。場合によっては、自公で過半数を割り込む展開も考えられる。

そうなったとき、自公の「補完勢力」として連立入りに最も近い位置にいるのが国民民主党だろう。電力総連の支援も全面的に受け、原発推進の姿勢を明確にしており、「原子力ムラ」村民にとっては自公の次に都合のいい勢力であることは間違いない。

その党首・玉木雄一郎代表の家族関係をめぐって、こんな話が飛び出している。公党党首の家族がこんな人物と関係を持っていていいわけがない。

取材は、フリージャーナリスト山岡俊介氏。権力者・支配層が嫌がるスキャンダルを何度も発掘し、そのため危険な目にも何度も遭っている人物だ。ぜひ、以下の動画をご覧いただたい。

複数の詐欺トラブルで刑事告訴された国民民主党・玉木雄一郎代表の実弟・秀樹氏。反社指定者から借り入れしたものの約束の期日に返済するどころか有力指定暴◯団幹部を使い借金踏み倒しを…深層追及する!


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ALPS処理汚染水差止訴訟第3回公判開かれる~改めて知った原発事故の被害の広さ、深さ

2024-10-05 19:27:26 | 原発問題/一般

(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

 ALPS処理汚染水差止訴訟第3回公判が10月1日、福島地裁(小川理佳裁判長)で行われ、42席の傍聴席を求めて80人が列を作った。

 *写真=福島地裁前に集まった原告・支援者

 この日は原告2人が意見陳述した。この訴訟の事務局も務めるいわき市の丹治杉江さんは「海のない群馬で生まれ育った私にとって、海は憧れだった。25年前にいわきに嫁いでから、海は生活環境そのもので、汚染水の海洋投棄によって世界中からここが汚れた海と言われないか心配。海洋投棄が始まってから、地元の魚であるメヒカリなどを食べない生活を送っている。国際的な線量限度の20倍に当たる20mSvの被ばくをさせられている私たちに、さらに汚染水の海洋投棄という「二重の加害行為」をすることは許されない」と国・東京電力の犯罪性を訴えた。

 また、汚染水海洋放出に当たって、東電が「地元漁業者の理解なしには行わない」と文書で約束した件について、丹治さんは「理解とは同意を得ることだったはず。また、同意を得る対象がなぜ漁民だけなのか。消費者に同意は得ないのか」と、漁業者が同意しないままの放出や、漁民以外の意見を聴かない放出のあり方に疑問を投げかけた。

 「マスコミを動員して、汚染水を放出しても基準を下回っているので安全というキャンペーンが繰り広げられているが、現在行われていることは核ゴミの投棄に変わりなく、こうした姿勢は民主主義を危うくする」として、危険な汚染水放出を安全と言い張る国・東電・メディアを批判。「原発事故で背負った課題を、さらに重くするようなことは避けたい。海洋投棄を許してしまったまま福島の真の復興はない」と、直ちに放出を停止するよう求めた。

 いわき市で、菓子職人としてみずからの作った菓子を販売してきた長岡裕子さんは「小中高と競泳選手で、海水浴を楽しんできた。『常磐もの』と呼ばれる地元産の海産物を食べることも好きだ。事故後しばらくは常磐ものを避けていたが、時間が経過し、再び地元産の海産物を食べるようになってきたところだった。海は私にとってアイデンティティだったが、汚染水放出後は海を見るたびに心が沈むようになった。常磐ものの海産物を食べることも再び避け、千葉、西日本、北海道産などを探すようになった」と怒りを表明。「政府・東電への不信感は強まった」。

 長岡さんは、いわきで取れた塩を原料として菓子を作り、店で販売してきたが、原発事故が起きてから、いわき沖で取れた海水から塩を製造していた業者が廃業し、みずからも菓子製造をやめざるを得なくなった。「地元産の塩を使うことが誇りだったのに、仕事をやめることになり、菓子職人としての誇りを失った。同業者も廃業し、復活の見込みはない」と述べた。福島で汚染水放出の話をすると「風評加害者」とやり玉に挙げられ、不安を口にできないことも息苦しいという。自分の思いを表に出せなかった長岡さんが、率直な思いを吐露した場面だった。改めて、原発事故はこんなところにまで影響を与えるのかと、その被害の広さ、深さに憤りを覚えた。

 その後は原告代理人弁護士による意見陳述に移った。過去の公判で、汚染水の海洋放出を「許可」した国(原子力規制庁)は「国民ひとりひとりの個人的健康は法による保護を受けるべき一般的公益に当たらない」とする詭弁を弄してきた。こうしたすり替え、ごまかしだらけの国側主張に対して、私は「一般市民の健康を守ることが一般的公益に含まれないというなら、国が主張する一般的公益のひとつとしての「環境保護」とはそもそも何なのか。私たちの健康を守ることを抜きにして実現する「環境保護」に環境保護たる意味があるのか。疑問しかない」と批判している(「ALPS処理汚染水差し止め訴訟、第1回口頭弁論~平気で約束を破る東電に漁業者、市民は怒り 国側「反論」は支離滅裂」2024年3月17日付記事)。

 今回の公判で、多くの原告、傍聴人から「難しくてよくわからない」という声が上がったのが、海洋放出の「処分性」をめぐる議論だった。法律用語、行政用語としての「処分」とは、国民の基本的人権に何らかの変動を生じさせるような行政機関(国・自治体など)の判断や行動を指す。企業が経済活動を継続できなくなるような不利益処分(許可取消など)はもちろん、自動車運転免許の交付(法による禁止の解除)のように、国民にとって利益となるような行政機関の判断・行動も処分という用語に含まれる。

 ALPS処理汚染水差止訴訟では、国側は「原告側が発生したと主張している被害は具体性がなく、被害が発生したとはいえないので、放出認可は「処分」に該当せず、原告がその取り消しを求めることはできない」と主張し、原告適格を認めることなく原告側の訴えを却下するよう求めている。要するに「汚染水海洋放出によって、国・東電は国民の基本的人権を何ら侵害していないので、訴えの利益がない」と主張しているのだ。

 こうした国・東電側の不当な主張を崩すには、汚染水海洋放出の認可が「処分」に当たることを証明する必要がある。そのためには汚染水海洋放出で原告の基本的人権が侵害されていることを証明しなければならない。

 原告代理人は原告が汚染水海洋放出によって受けた被害を具体化する立証を行った。①汚染水が放出された海域の海産物を食べることで発生する可能性がある生命・身体の危険、②海との接触を制限されることで原告が受ける「精神的被害」(地元住民)や「福島やその周辺海域の海産物を選択する権利の侵害」(消費者)に加え、③海産物が売れなくなることによる損害(漁業権侵害)--の主に3点を、汚染水海洋放出によって原告が受けた「具体的被害」として立証し、国側主張に反論した。

 このうち②については、昨年11月の第1回公判後、弁護団が原告に対して行ったアンケート調査を参考にした。海水浴や釣り、その他の海のレジャーに行く回数、地元産海産物を食べる回数などが、原発事故後、また汚染水海洋放出後にどのように変化したかを聞くもので、私も回答している。こうした海のレジャーや、海の景観を楽しむことを「平穏生活権」(人格権の一類型)と位置付けた上で、それができなくなったことを基本的人権の侵害と捉え、国の汚染水海洋放出「認可」によってこれらの被害が新たに生じた以上、その認可は「処分」に当たる、という原告代理人の主張はよく理解できる。形に表せるものや、数字で算出できるものしか「具体的被害」と認めないという国側の主張は、現実にこの間、原発事故をめぐって「精神的苦痛」に対する賠償が行われてきたという事実に照らしても不当なものである。

 また①に関しては、「将来の被害発生の恐れだけでは具体的な基本的人権の侵害とは言えない」と国側が主張してくることを見越して、原告代理人はロンドン条約(1996年議定書)を根拠としている。同議定書は、「締約国は、……海洋環境に持ち込まれた廃棄物その他の物とその影響との間の因果関係を証明する決定的な証拠が存在しない場合であっても、当該廃棄物その他の物が害をもたらすおそれがあると信ずるに足りる理由があるときは、適当な防止措置をとるものとする」(第3条1項)として、条約加盟国政府に「予防措置」の義務を課している。また、結論としては原告敗訴だったもんじゅ差し止め訴訟の最高裁判決でも、国民の生命・身体の保護を原子炉等規制法の対象とする判示が行われている、とも主張した。これらの主張をした上で、原告側代理人は、漁業者以外にも「原告適格がある」とした。

 公判後の報告集会では、この裁判のために実施したクラウドファンディングが、目標の1000万円を超える金額を集め成功したことが報告された。次回、第4回公判は2025年1月21日、第5回公判は2025年6月17日に行われる。

 (取材・写真・文責/黒鉄好(ALPS処理汚染水差止訴訟原告))


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「浦河トロッコまつり」に参加

2024-10-01 17:32:09 | 鉄道・公共交通/趣味の話題

2021年に日高本線の一部区間(鵡川~様似、116.0km)が廃止となったが、浦河町内の旧JR浦河駅構内で行われた「浦河トロッコまつり」に参加してきました。

このトロッコまつりは、旧浦河駅から国道を挟んで反対側にある浦河町役場でこの日、行われた「産業まつり」に合わせて開催されたもので、かねてから廃線跡ウォークイベント「旧日高線を歩く会」などを開催してきた「浦河鉄路活用プロジェクト」が中心となって行われました。

日高本線・鵡川~様似間の廃線に最も強く反対していたのは、実は浦河町民でした。「浦河鉄路活用プロジェクト」には、廃線反対運動に参加していた人、廃線決定後に集まってきた人など様々な人がいます。

当日の模様を短い動画にまとめました。ぜひご覧ください。

2024.9.29 廃線から早2年……日高本線「夢の復活?!」浦河「トロッコまつり」でトロッコ走る


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余波続く「令和の米騒動」 日本の歴史的転機になるかもしれない

2024-09-24 20:12:56 | その他社会・時事

(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2024年10月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 ●反響あった前号

 前号掲載の拙稿「じわり広がる「令和の米騒動」 これは日本の「暗い未来予想図」か」には大きな反響があった。記事をレイバーネット日本に転載したところ、右翼と見られる人物からレイバーネット日本に対し、私をライターから解任するよう要求があったという。「自民党が“保守”“愛国”を標榜しながら、舞台裏では、激しく攻撃している「左翼」以上に亡国的な政策を長年にわたって続け、日本と日本の市民を破滅の崖っぷちに追い込んでいる」実態を暴露されたことが、右翼・保守陣営にとっていかに打撃だったかを余すところなく物語っている。


 フランスの経済学者ジャック・アタリ氏に関する「ウィキペディア」(インターネット百科事典)日本語版の記事には、「日本人はいずれ雑草や昆虫しか食べる物がなくなる」という氏の発言が紹介され、レイバーネット日本に掲載された拙稿が出典として脚注に掲載されるに至った。この発言は「食料自給率が低い日本がこの先、どう生き残れば良いのか」を問うNHKのインタビューに答える形で行われた。アタリ氏は、高齢化が進んでいる農家の実態に触れ、農業が失われないよう農家になりたいと思う条件を整えることや、食生活を変化させ別の食材に切り替えることを提唱。その流れの中から飛び出したのが件の発言だったが、日本社会に与えるインパクトは私の想像をはるかに超えていた。

 ●食料危機の時代の入口か?

 主食の米が手に入らないという事態が現実化し、日本にとって食料危機の時代の入口になるのではないかとする論評も、経済ジャーナリスト荻原博子さんなど一部の識者から出始めている。十数年後に振り返ったとき「いま思えば、あれが飽食の時代から飢餓の時代への最も象徴的な転換点だった」と言われることになる可能性は、それなりに出てきていると思う。


 前号の拙稿で、私は1993年の「平成の大凶作」との比較で論じた。全国の作況指数が75になるとともに、東北の太平洋側では作況ゼロとなり、米が全滅する地域も出た1993年と、作況指数が101(平年並み)の今年ではそもそも比較対象にならないとの主張も多い。

 流通段階から米が不足し、「流通業者はおろか、農家に行っても米が買えない」という状況さえ見られた1993年と今年を比較することは確かに無理筋だろう。だが、前号の拙稿で指摘したとおり、この年でさえ793万トンの生産量を上げられた米を、ここ数年来の日本では700万トン程度しか生産できていないことは紛れもない事実である。人口が当時と比べて横ばいなのに、これだけ米消費を減らしても日本で飢餓が起きていない原因として、米消費の減少分を日本人が麺類消費の増加で補ってきたこともすでに指摘したとおりである。生産をいくら減らしても、それ以上に消費が減少するため余剰となった米の一部は、近年はこども食堂やフードバンク、フードパントリーに無償で提供されてきた。先進国とは思えないレベルでこの国に存在している「貧困のため食事にも事欠く子どもたち」にとって、これらの米が命綱になってきたことは、こども食堂やフードバンク、フードパントリー運動に関わってきた人たちにとっては周知の事実だろう。

 1993年は確かに壊滅的な米の作況だったが、これには前々年、1991年に起きたピナツボ火山(フィリピン)の噴火の影響だったことが今では知られている。20世紀に地上で起きた火山噴火としては最大規模で、噴出物は成層圏にまで巻き上げられた。日照時間が減り、地球全体の気温を0.5度も押し下げる要因となった。

 「平成の大凶作」は、火山噴火という一過性の出来事によるものだったため1993年限りに終わり、1994年の作況は平年並みに回復した。それに対し「令和の米騒動」は水田農業基盤の弱体化がもたらした構造的なものであるため、影響は今後も続くものと見込まれている。危機という意味では今回のほうがはるかに深刻なのである。

 農業危機は日本に限らず世界的なものである。アタリ氏が指摘する農家の高齢化もそのひとつだが、より根本的な問題は日本でも世界でも「農業では食べられなくなっている」ことだろう。農家にも生活がある。食べられなければ農業を辞め、別の仕事に移る。そうした労働移動が世界的に進行した結果、農業人口は減った。国連食糧農業機関(FAO)のデータによれば、2000年に10億人だった世界の農業人口は、2019年に9億人と報告されている。減少といっても20年間で1割であり、たいしたことではないなどと思ってはならない。世界の農業人口の75%は家族農業を中心とした小規模経営であり、しかもそのうちの95%は5ヘクタール以下の農地面積しか持たない零細農家だと報告されているからだ。

 これらのデータは、20年で1割減った農業人口の多くが大規模経営体の労働者であったことを示唆している。農産物価格の変動は、実は大規模経営体ほど大きな影響を及ぼす。資本主義的に大規模化した農業経営体から順に破たんし、その労働者が農業から他産業に移転。同時に、大規模経営体の破たんによって農業人口の減少を上回る規模で農業生産が減少していることも示唆するデータといえる。

 農業の大部分が、子どもを育てる必要がなく自分の老後の生活さえ保障されればよい高齢者によって担われるようになっている。こうした動機で農業を続ける農家は経営規模が小さいため、たいした生産量にならない。しかし、こうした農業者が世界の食料供給を支えてきたことに私たちはもっと着目する必要がある。

 このような実態は長く隠されてきたが、その一端はコロナ禍により明らかになった。農家だけでなく、食品加工、物流などエッセンシャルワークに携わる多くの労働者が不足していた。生活必需品自体は不足していないにもかかわらず、運ぶ人がいないため出荷できない工場が続出した。日本国内でも、製紙工場には天井に届かんばかりにトイレットペーパーが積み上げられているのに、最寄りの店頭にはなく、多くの人がトイレットペーパーを求めて長い行列を作った。あふれかえるコロナ患者を収容できない医療機関の状況を見た多くの有識者が新自由主義の終わりについて語ったが、終わるべきなのは新自由主義にとどまらず、人間の生存にとって真に必要な基幹産業における労働への対価(=賃金)をきちんと測定できず、そのためこれらの基幹産業に適正な労働力の配置もできない資本主義体制そのものではないのか。

 基幹産業とは、言うまでもないが医療、福祉、教育などの公共サービス、物流を含む公共交通、そして農業を含む食料供給などである。社会的に高い意義を持つが低賃金のため、人手不足がもう何十年も続いており、打開もされてこなかった分野である。こうした産業への大規模なテコ入れをこれ以上怠るならば、21世紀は人類にとって最後の世紀になるだろう。

 ●「飢餓の世紀」は予想されていた

 21世紀が飢餓の世紀になることが予測されていたといえば、多くの読者は驚かれるかもしれない。しかしそれは事実である。1995年に日本語版の初版が発行された「飢餓の世紀」(レスター・ブラウン著)は、自然条件の制約に伴う食料生産拡大ペースの鈍化について論じたもので、奇をてらったものではない。ブラウンは、人口大国であると同時に食料消費大国である米中印の三国について論じ、そのいずれも従来の食料生産の拡大ペースを、自然条件の制約のため維持できないと結論づけた。ブラウンが同著の執筆に取りかかった1990年代を起点として40年後の2030年代――それは今から見れば6年後の未来である――には世界に飢餓が訪れると予想していたのである。気候変動による温暖化ももちろん考慮に入れられている。


 ブラウンは、周光召・中国科学院教授(当時)の研究結果から、中国が食料を自給できなくなり、最悪の場合、世界から4億トンもの穀物を輸入しなければならなくなる事態に警告を発していた。現在、世界で7億人程度(世界人口の1割弱)が飢餓に瀕しているが、世界人口の半分が飢えるような破局的事態に至らなかったのは、良い意味でブラウンの予想が外れたからである。中国による2023年の食料輸入量は1億6千万トン。決して少ない量ではないが、ブラウンの30年前の予想に比べれば半分以下にとどまっている。これによって、世界食料危機が始まる時期は幾分、先送りされることになった。

 それでも世界の食料需給は逼迫基調にある。ブラウンが予想もしていなかった新たな食料需給逼迫要因も生まれている。ブラウンが「飢餓の世紀」の執筆を始めた1990年代は、ソ連が解体し、旧ソ連諸国が「独立国家共同体」(CIS)という緩やかな国家連合に再編され再出発したばかりの時期にあたる。かつて同じソ連だった兄弟国家同士が、世界の一大食料生産基盤となっている肥沃な大地の上で戦う事態など想定していなかったに違いない。ウクライナ戦争が今後も長く続けば、中国が作ってくれた「良い意味での誤算によるモラトリアム(猶予)期間」は終わり、世界の食料危機の時代が再び早まることもあり得るのである。

 兆候もすでに出ている。アフリカのナミビアやジンバブエでは、長引く干ばつのため食料が不足し、ゾウ200頭を処分、食料にすることを発表している。ジンバブエ当局は、国内人口の半分が飢餓に直面する可能性があると理由を説明する。

 ●求められる農政の方向性とは?

 エッセンシャルワークといわれる産業分野への適正な労働力の配置も、そこで働く労働者への適正な賃金の支払いもできない資本主義体制は、それが可能な新たな経済体制に席を譲らなければならない。しかしそれが今日明日のレベルで不可能であれば、当面は市場の失敗を踏まえた政府の出番とならざるを得ない。


 令和の米騒動に対し、農林水産省には驚くほど危機感がない。農水省職員の「現場無知」は昔からで、今に始まったことではないが、最近はますます酷くなっている。2010年代に入り、農水省に集中的にかけられた定員削減攻撃のため、農林統計担当職員数は2011年の2365人から、2018年には613人と、わずか7年で4分の1に減らされた。たったこれだけの人数で何ができるというのだろうか。

 実際、食糧事務所と並んで、かつて農水省の中でも花形といわれた統計情報部、地方統計事務所はなくなり、今は農政局の一部署になってしまっている。以前であれば、農政局統計情報部の職員が直接、農家に出向き「今年の作柄はどうですか」などと膝詰めで話しながら、要望を聞き、政策に反映させていたが、組織もなくなり人員も4分の1になった今の農林統計の現場にそのような力はない。そもそも昨年度産米の作況指数「101」(平年並み)自体、きちんとした調査やデータ分析に基づき、実態を反映している数値なのか。そこから検証しなければならないほど、農林統計業務の弱体化は深刻な状況にある。

 減反政策は、少なくとも表向きは廃止されたことになっているが、「生産目安数量」が地方自治体を通じて農業現場に降ろされていることは前号拙稿ですでに述べた。前号での分析を踏まえ、さしあたり、現状の農政で真っ先に改めなければならないのは価格維持政策である。農家が持続可能な水準で農産物価格を設定するなら、農産物価格は大幅に上がることになり、ただでさえ物価高にあえぐ消費者を直撃することになる。一方、消費者が満足する現行水準での価格が続くなら、農家の持続的経営は到底不可能だ。今の制度は、農家の利益と消費者の利益がトレードオフになっており、両方を満足させることはできないからである。

 この問題はかなり前から認識されており、かつては一度、メスが入れられようとした時期もある。2009年に成立した民主党政権は、価格維持政策を取りやめ、豊作によって農産物価格が暴落し、農家の手取り収入が下がった場合、国が農家に直接補償を行う「農業者戸別所得補償制度」を導入した。農産物価格の維持のため、作りたくても我慢しなければならなかった過去の農政からの決別であり、意欲的に生産した結果「豊作貧乏」になっても国から減収分が補償されるこの制度は、足下では農家に好評だった。

 だが2012年、自民党が政権復帰し安倍政権が成立すると廃止され、元の価格維持政策に逆戻りしてしまった。農業者戸別所得補償制度がそのまま残っていれば、「令和の米騒動」は起きていなかったと思われるだけに残念だ。「悪夢の民主党政権」などと安倍元首相は盛んに旧民主党攻撃を繰り返したが、悪夢は一体どちらなのか。こうした制度を作った旧民主党政権の実績はもっと正当に評価されるべきだ。

 令和の米騒動を通じて、価格維持政策よりも農業者戸別所得補償制度のほうが優位であることが示された。ただちに農業者戸別所得補償制度を再導入し、農業経営の安定性、持続性と意欲的生産の保障を通じた安定供給の確保に踏み切る必要がある。

 この場合、農業者への所得保障に税金が使われることになるが、日本以外の諸外国では「食料は軍備と同じ価値を持つ」が常識である。市民を危険にさらす防衛費や国土破壊の象徴である原発に使うカネが何兆円もあるのに、食料安全保障にカネを回さず、市民が主食を買えない事態が起きても放置し続ける自民党こそ最低最悪の反日売国政党であり、左翼を「反日」などと非難する資格はない。

 ●「赤上げて赤上げないで、白下げないで白下げろ?」

 令和の米騒動の背景に、8月8日、宮崎県日向灘沖で起きたマグニチュード7、震度6強の地震をきっかけに発表された「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」の影響を挙げる向きもある。だがこれに関しては、私は、影響は限定的だったと判断する。


 ただ、タイミングとしては最悪だった。仮にこの地震の発生がもう1か月遅ければ、すでに新米が出回り始めていたであろうし、逆にもう1か月早ければ、新米の流通開始まであと2か月近くもあるから、政府は迷うことなく備蓄米放出に踏み切れたであろう。このタイミングの悪さを混乱の背景要因のひとつに挙げる程度なら差し支えないと考える。

 情けないのは政府の対応が後手に回り、しかもちぐはぐだったことだ。南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が発表された直後は「大地震に備え、生活物資を備蓄しておきましょう」と呼びかけながら、米不足が始まると一転して「無駄な買い占めは控えましょう」と真逆の呼びかけを行った。「赤上げて赤上げないで、白下げないで白下げろ」と言われているようで、これでは混乱が起きないほうがおかしい。

 9月に入り、店頭には徐々に米が戻り始めているが、以前であれば2000円でお釣りが来ていた5kg入り白米1袋が3000円を超えているところも出ていると聞く。鳥インフルエンザの大流行によって鶏が大量に処分された結果、一時は完全に店頭から姿を消し、数か月後に戻ってきたときには価格が倍になっていた鶏卵の前例もあるだけに、今後しばらく価格は戻らないかもしれない。

 「今までが安すぎただけで、これが適正価格だ」とする見方も一定程度正しい。そもそも日本の消費者は米がどれほど安いかご存じだろうか。食管制度時代の古いデータではあるが、茶碗1杯のご飯が標準米で25円、コシヒカリ級のブランド米でもわずか45円に過ぎない。「これが高いとおっしゃるならば、もう勝手になさいと申し上げるしかない」――2022年に死去した農民作家・山下惣一氏の著書の「あとがき」として、作家・井上ひさし氏はこのような言葉を贈っている。

 「令和の米騒動」は日本と日本人の生存基盤の脆弱性を印象づけるまたとない機会だった。農家のためにも消費者のためにもならない農政はもとより、米の複雑な流通実態、政府の情報発信のあり方、デフレに慣れきった結果としての「安ければいい」という消費者意識に至るまで、今まで私たちが常識と考えていたことのすべてをこの際、ゼロベースで見直さなければならない。

<参考資料・文献>
・「飢餓の世紀」(レスター・ブラウン著、1995年、ダイヤモンド社)
・「今、米について。」(山下惣一著、1991年、講談社文庫)
世界の農業が抱える問題と国際報道
ゾウを国民の食料に 飢餓差し迫るジンバブエ

(2024年9月22日)


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東北新幹線「はやぶさ・こまち」分離事故について/安全問題研究会

2024-09-22 16:38:27 | 鉄道・公共交通/安全問題

(この記事は、当ブログ管理人がレイバーネット日本に投稿した記事をそのまま掲載しています。)

黒鉄好@安全問題研究会です。

東北新幹線で先日起きた「はやぶさ6号・こまち6号」の列車分離事故については、今後の調査や報告を待ちたいと思いますが、取り急ぎ、現時点でのコメントです。

「はやぶさ6号・こまち6号」の連結器が走行中に外れ、両列車が分離した事故に衝撃を受けています。この手の事故は、在来線では古くからあるものですが、高速走行中の新幹線では、報道されているように初の事態です。

鉄道車両のブレーキは、自動車でもバス・トラックなどの大型車に導入されているものと同じです。圧縮空気の力でブレーキパッドを車輪に押し当て、摩擦で止めます。圧縮空気は、機関車/先頭車からの操作によって、車両同士を結んでいるパイプを通じて後方の車両に順次、送られていきます。この圧縮空気の力で、ブレーキパッドを操作しています。

この状態で、連結器が走行中に外れると、圧縮空気のパイプも引きちぎられて外れます。パイプが外れると、圧縮空気が一気に抜け、ブレーキパッドが車輪の上に落ち、摩擦で急ブレーキがかかります。外れた連結器よりも後ろ側の車両はもちろん、それより前の車両も空気が抜け、すべて止まってしまいます。このようにすれば、全車両が駅間で停車してしまうため、外れた連結器より前の車両だけが先の駅・区間まで走り去ってしまう事態も避けることができます。

海外事情には詳しくありませんが、少なくとも日本の鉄道では、走行中の列車の連結器が外れた場合、このような形で自動的にブレーキがかかる仕組みになっています。今回もこの「フェイルセーフ」が安全側に作動したという意味では、長年の事故対策の取り組みが生きているといえますが、問題はフェイルセーフの作動を手放しで礼賛し、事故そのものを不問に付そうという動きが(特にネットを中心に)早くも出てきていることです。

安全問題研究会は、こうした「知ったかぶりの薄っぺらなフェイルセーフ礼賛論」とは当然ながら距離を置いています。フェイルセーフについて論じる場合は、それが確立された歴史的経緯にもっと目を向けるべきです。

鉄道の歴史を見ると、駅間には列車を検知する軌道回路がない時代が長く続きました。そのような区間では、定められた区間(閉塞区間)内のどこかに列車がいるものと推定する方式で列車のコントロールをしていました。この列車が次の閉塞区間に到達するまで、後続列車/反対方向の列車を発車させないという「最低ライン」さえ守れれば、少なくとも衝突は防げるので、それでいいという運行形態だったのです。

そんな時代に、ある列車の連結器が途中から外れ、機関士(機関車運転士)は「なんとなく列車が軽くなったような気がした」ものの、まさか連結器が外れたと思わず、そのまま走り去りました。外れた連結器より後ろの車両は、本線上に取り残されたままになっていますが、駅間に軌道回路がない区間では、取り残された車両を検知する手段がありません。そのため、別の列車が走ってきて、本線上に取り残されていた車両と衝突するという事故が、国鉄時代に実際に起きています。

全国のすべての駅間に車両検知装置を設置するには莫大な費用がかかり、当時の国鉄の予算では難しかったため、国鉄は「次善の策」として、連結器が外れると自動的にブレーキがかかるように車両を改造しました。

連結器が外れた場合に、自動的にブレーキがかかる仕組みは、このような経緯を経て確立されたものです。それを、さも初めから存在していたかのように「フェイルセーフ万歳」と礼賛することは、かえって事故原因の究明や再発防止策の決定を難しくしてしまうため、有害でしかありません。特にネット上では、企業批判と見るとすぐに絡んでくる人が多いのですが、こうした「贔屓の引き倒し」的行動が、かえって擁護しているはずの企業の寿命を縮めていることに、そろそろ気づくべきでしょう。

連結器が外れると、圧縮空気のパイプも外れ、空気が抜けてブレーキがかかる安全装置として出発した仕組みですが、当然ながら欠点もあります。それは、一度圧縮空気が抜けてしまうと、分離した車両を再び連結し、外れたパイプもつなぎ直した後、圧縮空気を充填するまでブレーキが解除できない点にあります。これにより復旧に時間がかかるため、最近では圧縮空気を抜く代わりに、電気信号でブレーキをかける方式に順次、取り替えられています。新幹線は初めからこの方式で出発している車両も多く、今回の「はやぶさ・こまち」もこの方式によっています。

そのため「異常な電気信号が送られ、連結が解除されたのではないか」との見解を述べる鉄道ジャーナリストもいますが、私は、現時点ではこの見解に疑問を持っています。というのも、「はやぶさ」用車両(E5系)は2011年3月改正、「こまち」用車両(E6系)は2013年3月改正から登場しており、両系統の連結運転はすでに11年の歴史を持ちます。(この車両に固有のトラブルであれば別ですが)電気系統の異常なら、もっと早い段階で今回のような事態が発生していてもおかしくなく、「なぜ今、この時期なのか」という疑問が拭えないからです。

これに対し、鉄道アナリスト川島令三氏は「老朽化で連結器を固定したピンが摩耗し外れたのではないか」とする見解を述べています。連結運転開始から11年という時間経過を考えると、現時点ではこちらのほうに説得力があります。

ところで、東北新幹線が自然災害以外のトラブルで止まるのは、今年に入ってからだけですでに5回目と報道されています。今年は、東海道新幹線でも、保線車両の衝突事故で新幹線が丸1日不通になるという事態も起きました。明らかにトラブルが激増しています。自然災害まで含めると、特に8月は南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)の発表により、東海道新幹線が1週間にわたって徐行運転となったほか、「ノロノロ台風」10号の影響もあり、8月はお盆の最繁忙期が含まれていたにもかかわらず、ダイヤ通りに動いた日は数えるほどしかなかったのではないでしょうか。

自然災害は仕方ありませんが、JR自身によるトラブルが激増しているのは気がかりです。新型コロナによって、旅行・出張が手控えられた結果、ガラガラ状態で出発する新幹線の映像は世界に衝撃を与えました。あの「緊急事態宣言」から4年――常時満席→コロナでガラガラ→再び常時満席という両極端な利用状況が繰り返された結果、JR各社の基礎体力が大きく削られ、それまでは当たり前にできていた多くのことができなくなっているのが、長年、公共交通専門家としてこの世界を見てきた私にはわかるのです。

ただ、JRをはじめとする鉄道会社の生命力に陰りが見えていることを、私はすでに「生命力尽きたJRグループ~新幹線殺人事件から見えたJRの「最終章」」という記事(2018.6.14付け)で明らかにしています。6年も前の記事ですが、表向きは巨大な黒字を計上していても、JR各社が衰退していく未来は、この時点で私にははっきり見えていました。

ここまで基礎体力を落とし、衰弱したJRの現在の6社体制をそのままにして、復活は難しいと私は思っています。労働安全の世界では、ハインリッヒの法則(1:29:300--1つの大事故の裏に29のヒヤリ・ハットと300の小さなトラブルがある)がよく知られています。今年に入ってからだけで6回も発生したトラブルは、明らかなヒヤリ・ハットの世界です。

こうした状況が続いているのに、今回の列車分離事故について、運輸安全委員会が「重大インシデントに当たらない」として早々に幕引きを図っているのが不思議でなりません。というのも、今回と同じように走行中の列車の連結器が外れた2023年11月の大井川鐵道(静岡県)の事例では、運輸安全委員会は直ちに「重大事故」として現地調査に入っているからです。速度の遅いローカル私鉄での「連結器外れ」が重大事故なのに、時速315kmで約1000人近い乗客を乗せて走っていた新幹線でのトラブルが重大事故はおろか、重大インシデントにも当たらないという判断は不公平で怒りを感じます。これでは、運輸安全委員会は「強い者には優しく、弱い者にだけ厳しい組織」「JRに不当な忖度をする組織」だと思われても仕方ありません。

直前に連結し直す作業したのに…連結器”外れ”は「重大事故」 国交省が調査を開始 静岡・大井川鉄道

いずれにせよ、「フェイルセーフが作動して良かったね」で済まさせるトラブルではありません。引き続き、推移を注意深く見守りたいと思いますが、この記事を読んでいるみなさんにだけこっそりとお教えします。

「トラブルが打ち続いているのに何ら有効な手を打てない」「トラブルの発生頻度が加速度的に増えている」という意味で、今のJRの状況からは、福知山線脱線事故が起きる直前のJR西日本と同じ薄気味悪さを感じます。誤解を恐れず言いましょう。このままでは、向こう数年以内に、新幹線で大事故が起きます。

(取材・文責:黒鉄好)


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<地方交通に未来を(18)>鶏が先か卵が先か、その答えは能登にある

2024-09-18 21:32:59 | 鉄道・公共交通/交通政策

(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 鉄道が廃止されると人口が減り、町が寂れるのか。それとも、人口が減って町が寂れ、鉄道利用者も減ったから廃止になるのであって、両者は無関係なのか。ローカル線廃止絶対反対派と、廃止支持派の間でもう半世紀以上も続き、おそらく永久に決着のつくことがない論争である。決着がつかないのは「どちらも正しい」からである。「廃線推進派を相手に、そんな“鶏が先か卵が先か”のような消耗戦をいつまでしていても時間の無駄だ。人口が減って鉄道が廃止されるとさらに人口が減り、ダウンサイズされたバスなどの公共交通がまた廃止になるスパイラルなのだから、私なら『(負の)連関』のひとことで済ませる」。「次世代へつなぐ地域の鉄道」執筆に私とともに加わった桜井徹・日本大学名誉教授は明快だ。私も各地の講演などでこの質問が出たときは「鉄道廃止は、人口減少や町の衰退の原因であるとともに結果でもある」と答えてそれ以上の議論はしない。貴重な講演時間がその論争で終わってしまっては疲れるだけで無意味だからだ。

 元日の能登半島地震から8か月経った。震源地が北陸電力志賀原発の近くにあり、またかつて珠洲原発の計画を阻止した歴史もあるため、原発関連で話題が出ることはあっても、鉄道と絡める形で能登地震の話題が出たことはこの8か月、まったくといっていいほどない。今回はその面からの話をしておきたい。

 能登地震の最も大きな被害を受けた能登半島先端部には、2005年3月まで「のと鉄道」が走っていた。旧国鉄の特定地方交通線・能登線を引き継いだ第三セクター鉄道だ。時刻表の路線図を広げると、今ものと鉄道は残っているが、これはJR西日本から譲渡された旧七尾線区間であり、もともとの区間とは違っている。旧能登線は穴水から蛸島(珠洲市蛸島町)までを走っており、もともと交通不便なこの場所で住民や観光客が効率よく動ける地元の貴重な足だった。

 能登地震から3か月が経過した3月下旬、能登半島先端部では水道が未復旧の地域がいまだに1割もあるとの情報を入手した。全水道(地方自治体の水道事業職員で構成する労働組合)関係者の話であり、情報源としては信頼できる。全国の水道事業の実態を最もよく把握しているのは自治体水道労働者であり、被災水道の復旧も彼らが地元業者と連携して進めているからである。

 水道だけではない。横倒しになった建物も再建どころか撤去もされていない場所が多く残る。過去の大地震被災地である東北や熊本などと比べて、明らかに復旧が遅い。国は復旧が遅れている理由を「半島の先端のため人も車も入れない」などと説明しているが、それならなぜ20年前、のと鉄道を廃止したのか。貴重な地元の移動手段を残していれば、旅客列車を休止させ復旧物資用貨物列車を走らせるなどの非常手段があり得たと思う。

 「大災害が来ればどうせ鉄道も不通になるのだから意味がない」と、廃止支持派は言うだろう。確かに被災した「瞬間」だけを見ればそうかもしれない。だが、廃止以降の20年という長い時間軸にしてみると、見えてくる風景はまったく異なる。 内閣府が6月26日に公表した「令和6年能登半島地震における災害の特徴」によれば、旧のと鉄道の終点駅・蛸島駅のあった珠洲市の高齢化率(全人口に占める65歳以上の比率)は約52%、輪島市が約46%。珠洲市は全人口の半数以上が65歳以上という恐るべき比率だが、それでも2016年熊本地震の主要被災地である益城町が約54%、南阿蘇村でも約43%だったのと比べると同程度で、能登が突出して高いわけではない。

 むしろ私が注目したのは能登被災地の人口減少率の高さである。被災6市町(七尾市、輪島市、珠洲市、志賀町、穴水町、能登町)における人口減少率は、1985年を1として2020年は0.6であり、35年間でなんと4割も減っている。石川県全体では人口は横ばいであり、全国では同じ期間、過去の蓄積もあり1985年の人口をまだ上回っている。

 人口が4割減った被災6市町のうち、志賀町以外は旧のと鉄道の走っていた地域と重なる。ただ、人口減少のペースを見れば1985年から、のと鉄道廃止(2005年)を挟んで2015年までの30年間、一本調子で減っており、鉄道廃止との強い関連性は認められない(同時に、志賀原発建設が始まった1988年以降も減少ペースが鈍っていないことから、原発が来れば地域が栄えるという原発推進派の宣伝もウソであることは指摘しておきたい)。

 「35年間で4割も人口が減るような地域は、あと40~50年も待てば誰もいなくなる。そんなところに巨額の復旧復興予算を投じるのは無駄だ」と国が考えていることは、財政制度等審議会(財務省の諮問機関)が今年4月に公表した提言にも現れている。能登復興に当たっては「維持管理コストを念頭に置き、集約的なまちづくりを」――提言は包み隠さず、財務省の本音をこう述べているのだ。

 国交省が2016年に発行したパンフレット「もしも赤字の地域公共交通が廃止になったら?」には「地域鉄道廃止と地域活力との関係」を示す表が掲載されている。鉄道が廃止された地域の人口が2000年を1として、10年後には0.95と5%減っているのに対し、存続している地域では1と横ばいを維持している。鉄道廃止が地価に与える影響を示す別のグラフでは、2000年を1として、鉄道が廃止された地域の15年後は0.5と半額に下落しているのに対し、鉄道が存続した地域では0.6。下落には違いないが、鉄道が残れば「負け幅」を1割も縮小できることを、この資料は示している。ただ、5%にしても1割にしてもあまりに小さすぎる。この程度なら「誤差の範囲内」であり、地域衰退と鉄道廃止は「無関係」だと信じたい廃線支持派にも一定の根拠を与える結果になっている。

 だが、能登被災地からは、数字では表すことのできないこの国の本当の姿が見える。35年間で4割も人口を減らした町では、かつて「どうせ誰も乗っていないのだから、そんな鉄道などなくなっても誰も困りませんよね?」と主張する行政と鉄道会社に同意し、鉄道を手放した。大災害が襲った20年後、地元住民たちは、単語だけを入れ替え、国に再び問われるのだ。「どうせ誰も住んでいないのだから、そんな地域などなくなっても誰も困りませんよね?」と。災害復旧さえ行われないまま廃止に追い込まれたローカル線と同じことが、地域社会全体に拡大して行われている。地域社会全体の「廃止協議」である。

 ローカル線廃止を支持してきた人たちに私は問いたい。「どうせ誰も住んでいないのだから、そんな地域などなくなっても誰も困りませんよね?」と「廃止協議」が始まる次の場所がもしあなたの町だったとき、それでもあなたは同意するのか。いつまで経っても復旧しない能登被災地を見ていると、そう問われているとしか思えないのだ。 

(2024年9月10日)


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【転載記事】なぜ、ブラジル最高裁はXを禁止したのか?/超富豪イーロン・マスクの野望

2024-09-16 23:15:26 | その他社会・時事

ブラジル最高裁、「X」のサービス停止命令 偽情報対策めぐり(BBCニュース)

現地時間8月30日(日本時間31日)、ブラジル最高裁がSNSサービスのX(旧twitter)を全面禁止する判決を出した。ブラジル国内のプロバイダー事業者にXに接続できなくなるような措置を講じるよう命じるだけでなく、アクセス禁止をかいくぐって利用した国民にも1日当たり5万レアル(今日のレートで約126.5万円)の罰金を科すという徹底的に厳しい判決だ。

ブラジル最高裁をここまで強硬な判決に走らせた背景に何があるのか。商業メディアの報道ではまったく背景がわからなかったが、ジャーナリスト印鑰智哉(いんやくともや)さんによる衝撃的な記事がレイバーネット日本に掲載されたので、転載する。これを読めば、ブラジル最高裁の判決にほとんどの人が納得するはずである。

なお、この問題は単なるICT技術の問題ではなく、背景にある広範な社会問題を含むので、「IT・PC・インターネット」カテゴリではなく「その他社会・時事」カテゴリで取り扱う。また、写真を含む記事を読みたい方は、レイバーネット日本の該当記事「なぜ、ブラジル最高裁はXを禁止したのか?/超富豪イーロン・マスクの野望」に飛んでほしい。

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なぜ、ブラジル最高裁はXを禁止したのか?〜超富豪イーロン・マスクの野望

印鑰 智哉(いんやくともや・ジャーナリスト)

 ブラジル最高裁判所がブラジルにおけるX(Twitter)社の操業を禁止し、ブラジルでのXの利用は8月30日に禁止となった。VPNを通じたアクセスも禁止され、VPNを使ってXを使えば5万レアル(今日のレートで約126.5万円)の罰金が科される。個人的にもブラジルの民衆運動の動きをXを使って追ってきたが、現在は海外に拠点のある団体を除き、投稿は止まった。今、XなどのSNSがどのような影響を社会に与えているか、改めて振り返る必要がある。

 なぜ、ブラジル最高裁はXを禁止したか? 直接的には偽情報を出し続けるアカウントの規制の要求にX側が一切応じてこなかったことで、ブラジルの法制を無視したとして禁止されることになったと報道されているが、その情報だけでは、問題の全体像は見えてこない。

 イーロン・マスクがTwitterを買収して以降、イーロン・マスクがTwitterをどのように位置づけてきたかをみるべきだろう。イーロン・マスクはブラジル政権だけでなく、隣国ボリビア政権に対してもXを使って攻撃をしかけている。

 ボリビアはイーロン・マスクが所有するテスラ社が喉から手が出るほどほしがるバッテリーの原料となるリチウムの最大の埋蔵量を持つ。ボリビア政府はその乱開発には応じようとしない。イーロン・マスクは彼の邪魔をするものは誰でも攻撃するとXに投稿している。政権が覆れば、彼は自由にボリビアからリチウムを搾り取れるからだろう。安く搾り取られて荒れ果てた荒野だけが残るというシナリオはボリビア政権もボリビアの民衆も望んではいない。

 ボリビアだけではない。ブラジルでのアマゾン破壊も止まらない。そこで威力を発揮しているのがイーロン・マスクのスターリンクだ。非合法の採掘業者がこのスターリンクを使って、アマゾンの先住民族保護地域で盗掘行為を行っている。

 南米大陸の地下資源を自由にしたいイーロン・マスク、それに対して生態系やそこで生きる人びとの権利を守る政権が彼にとっては邪魔。だからXを使って、攻撃する。でもそんなことをすればXというサービスの評判は地に落ちる。実際、Xの広告収入は激減している。イーロン・マスクにとって、Xの採算などどうでもよくて、Xは自分の他の事業の利益を拡大するための道具に過ぎない。メディアとしてのXの発展なども考えていないだろう。

 そして2023年1月に起きたブラジル連邦議会、大統領府、最高裁判所への襲撃。Xはその扇動の場となった。

 他国の民衆が選んだ大統領を、米国の一人の超富豪が倒そうとする、こんなことが人類史の中であっただろうか。

 しかし実はXだけではない。そもそもボルソナロが大統領になったのもSNSの存在を抜いては考えられない。かつて労働者党政権は貧困者対策を掲げ、飢餓ゼロを大きな政策目標に掲げた。それは長く同党が掲げていた政策であったが、政権を取ると数々の貧困者対策を打ち出し、飢餓人口が消滅して国連FAOからも表彰されるほとの成果を上げた。直接選挙で行われる大統領選挙に民衆側の大統領が選出されるまでに至ったブラジルだが、しかし、富裕層が保持する権力は強大で、富裕層からの増税などには踏み込めなかった。貧困層は生活レベルが改善したが、中間層は変わらない。その矛盾に労働者党政権への憎悪を募らせる偽の情報がWhatsAppやFacebookを通じて大量に流された。これがなければそもそもボルソナロが大統領に選出されることもなかっただろう。

 ボルソナロ前政権が生まれたのは人類の不幸だった。アマゾンの森林破壊は急ピッチで進んだ。アマゾン森林の砂漠化・サバンナ化が懸念される中、保護政策を強化しなければならない決定的な時期に、その逆に森林を破壊し、農地に転換したり、鉱山資源を採掘するという最悪の破壊行為がボルソナロ政権下で行われたのだから。この夏、アマゾンでは日本の農地の半分におよぶ森林が消失してしまったが、もしボルソナロ政権が誕生しなかったら、状況は大きく違っていただろう。ボルソナロのせいで人類の生存はさらに危険になった。

 Twitterは画期的なメディアだった。スマホ一つさえあれば情報発信ができる。ブラジルは社会的格差が大きく、特に貧困層が住むファベラは麻薬組織に牛耳られ、軍警察と麻薬組織の両方に住民は苦しめられる。僕自身、リオデジャネイロに滞在していた1990年代前半、住んでいたアパート近くで、夜通し銃撃の音が鳴り止まない夜もあった。そこで何が起きているかは報道されず、翌日の新聞で何人死んだと報道されてお終いだった。しかしTwitterの登場で、それが変わった。住民が情報発信できるようになったからだ。

 小さな市民団体がつながり、大きなうねりを作り出していく、そんな動きも地球の裏からも知ることもできた。Twitterなしにそれは不可能だった。こんな画期的なメディアが誕生したのは初めてのことだろう。

 しかし、このすばらしいメディアの命脈も長く続かなかった。市民にとっては重要でも、大企業にとって都合の悪い情報を発信することには制約が設けられる一方、市民を惑わして企業を利するアカウントは野放しになった。そしてイーロン・マスクが買収して以降はXは、よりヘイトの場となった。

 ナチスドイツは少数であったにも関わらず、あたかも自分たちが多数派であるかのように装うことでその影響力を拡大したと言われるが、このXも同様に、数少ない少数の差別者がアカウントを多数作って、マイノリティを攻撃することで、差別が当たり前であるかのようなおぞましい言論空間を作り出した。

 社会にはいつも、ヘイトに与するよりも与さない人の方が多いと思うが、ヘイトしだした人を止めようと動ける人は多くない。そんな空間ができてしまうと、多数は黙ったままになる。その結果、マイノリティはさらに孤立し、差別・ヘイトが蔓延し、ヘイトが普通という恐ろしい場へと変わっていってしまう。実際、影響され変わっていく自分の知人を見かけると、本当に暗澹たる気分にならざるをえない。

 だからこそ、このようなプラットフォーム運営者は、そのような投稿を止めさせなければならないのだが、イーロン・マスク自身がヘイト投稿を続けるのだから、X社が止めることは期待できない。

 さらに、イーロン・マスクによる技術者大量解雇でXのバグは放置され、Xのイノベーションも止まった。広告収入も激減し、Xのサービスはさらに悪化する以外ないだろう。もはやXは死んだも同様だ。

 ブラジル最高裁が全会一致でX禁止を決めたことはこうした背景を考えていけば合理的な判断であったと言えるだろう。しかし、Xで個人的な関係、さらにはビジネスを築いてきた人にとっては、それがいきなり消失するということになる。自身が築いた社会的関係を奪われた人にとっては理不尽な決定に感じられてしまう。実際、ブラジルでは半数を超える人がこの決定に不満で、この決定の提案を行ったアレシャンドレ・ジ・モライス判事が攻撃されている。その攻撃と共にまたボルソナロ一派の政治勢力が息を吹き返している。もはやこれはX社の問題を超えた政治問題になっている。

 しかし、死んだものは死んだのだ。もはやXを使い続けることには合理性がないし、正当化が困難な状況になってきている。それではどうするのか? ブラジルではこの決定後、旧Twitter社の技術者が立ち上げたBuleskyに多くの人が移行している。ブラジルだけでなく、世界の多くの市民団体もBlueskyを使い始めているようだ。

 ということで、TwitterからBlueskyへの移行を今後、今後進めることを考えたいと思っている。Twitterでしかつながっていない人たちのことを考えると、すぐに断ち切ることはできないけれども、時間をかけて移行したいと思う。


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レイバーネット第204号放送を終えて~「昔、原発って物があってね」と早く言える時代にしたい

2024-09-15 17:07:01 | 原発問題/一般

(この記事は、当ブログ管理人がレイバーネット日本に投稿した記事をそのまま掲載しています。)

 黒鉄好です。レイバーネット204号の放送を無事終えました。13日までパソコンの前を離れていたので報告を書けませんでした。私が放送を担当した回では、いつも裏話を含め、報告を書いていますので今回も書きます。

(写真=空から見た北陸電力志賀原発/毎日新聞より)

 前回私が担当したのが羽田空港事故とJAL争議を扱った200回記念号でした。それからわずか4回後の放送です。私が担当するのはリニア問題と合わせると3回目ですが、司会者としての番組の「仕切り」は、実は今回が最も楽でした。何より後藤政志さんがテレビ向けのゲストだったことが大きいと思います。

 後藤さんのことは、原子力市民委員会委員として、元東芝の原子力プラント設計技術者として、その功績も、お名前も存じ上げていました。しかし対面できちんとした形でお話ししたのはこの日の放送が初めてです。3.11直後の後藤さんは、あまりに大きな存在で、雲の上の人のように感じていました。

 3.11直後、私は本当のことを伝えないテレビに絶望していました。私の住んでいた福島県南地域で、3.11直後から、なぜか地上波テレビが全局映らなくなっていました。映るのはBS放送だけという状況で、見る意味のないテレビの電源は消したまま。原子力資料情報室のインターネット放送に出ずっぱりの活躍をしていたのが後藤さんだったと記憶しています。福島第1原発の現状を解説する後藤さんの話を聞いているうち、「このままここにとどまっていては危険なのではないか」と考え、一時避難を決意したことが昨日のことのように思い出されます。

 後藤さんは、私を原発事故被害から守ってくれた恩人と言えます。彼がもし福島第1原発の現状を正しく伝えてくれなかったら、奇しくも、同じ日に11回目の公判期日を迎えた子ども甲状腺がん裁判の原告と同じ運命を、私もたどっていたかもしれません。

 ちなみに、一時避難を終えて福島県南地域の自宅に戻ってきたとき、映らなかったはずの地上波テレビは全局、再び映るようになっていました。福島県白河市内の山頂にあった地上波テレビ中継用の放送塔が、震度6強の激しい揺れで倒れたことが地上波テレビの映らなかった原因であることを、そのとき知りました。

 「正月の能登地震で、変圧器から油が大量に流出した映像が映し出されていましたが、壊れた場所は他にもあるのではないですか」と私が問うと、後藤さんは「志賀原発にはもっと重大な問題がある。変圧器なんてのは些末な問題で、(番組本番では)触れる気もない」。後藤さんの「熱弁」は、すでに本番前の出演者打ち合わせの時から始まっていました。

 一方、村田弘さんとは、私はオンライン含めると、年に4~5回くらいはお会いしています。全国各地で続いている原発賠償訴訟の全体像を最もよく知り、利害関係や、原告の置かれた立場もそれぞれ異なる原発訴訟原告団の調整役として欠くことのできない方です。温厚な人柄ですが、国・東京電力への怒りを表明すべき場面で、きちんとそれができることも村田さんが欠かせない理由です。

 番組終了後の懇親会では、酒の勢いも手伝って、後藤さんから「いや実は、こういう番組に呼んでもらったのは久しぶりなんだよね」という意外な発言も出ました。福島で起きた原発事故に伴う問題のうち、解決したものが1つでもあるでしょうか。そういう状況なのに、社会の関心はもう風化してしまっている。

 もちろん、毎日数百人単位で人が死んでいるウクライナやガザのほうに、目が向きがちなのは仕方がないことです。しかし、偶然同じ日に重なった子ども甲状腺がん裁判を見ていると、福島原発事故だって「緩慢な殺人」には違いありません。若者たちの輝ける未来をこんな無残な形で潰しておいて、一体どの口が少子化対策などと言っているのでしょうか。日本列島に50基もの原発を並べ、若者の未来を潰した自民党に少子化対策を語る資格などありません。日本にとって最大の少子化対策は、トンチンカンな政策ばかり打ち出して恥を恥とも思わない自民党に、1秒でも早く政権を降りてもらうことです。

 「もう事故から13年だよね。『昔、原発って物があってね』と言える時代が、今ごろ来てるはずだったんだけどな」と後藤さんは言いました。確かに、3.11直後の数年間、実際に原発は止まりましたし、これで本当に原子力ムラも終わりではないか、と思った時期もありました。泊原発停止で日本から全原発の火が消えた2012年5月5日、こどもの日--経産省前テントひろばでみんなで踊ったときの感動。そして、すべての大人が力を合わせ、日本の子どもたちに送った「原発のない日本」という最高のプレゼントを、私は今も忘れていません。

 しかし、一方で後藤さんは「脱原発は100%できる。少し時間がかかるとは思うけれども」と付け加えることも忘れませんでした。根拠こそ示しませんでしたが、13年間「原発業界界隈」を見続けていれば、言われなくてもわかります。できもしないとわかっているのに「やってる感」を出すだけの廃炉作業。収束の目処も立たない汚染水。たまり続ける一方で、まだ処理方法も見つからない核のごみ。青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理施設は、20世紀のうちに完成しているはずだったのに27回も延期になっており、「永遠の建設中」になりそうです。原発は資源を海外に依存しなくていい「純国産電源」だという経産省の宣伝も嘘っぱちで、ウラン燃料も実は海外からの輸入。輸入が途絶すれば運転できなくなります。

 昨年、岸田政権は原発大回帰政策の総仕上げとして、GX電源法、原子力基本法改悪を強行しましたが、3.11前に54基もあった原発の半分近くで廃炉が決まり、現在稼働しているのは12基。日本の発電量に占める原発の割合は3.11前は3~4割あったのに、現在は1割にも達していません。

 再稼働が進まない最大の理由は、実はコストにあります。3.11後に厳しくなった規制基準(私たち脱原発派から見れば緩すぎてお話にならないレベルですが、「原発のある場所が安全な場所」という運用が平然と行われていた3.11以前に比べれば、これでも厳しくなったほうなのです)により、かつては1基5000億円で建設できた原発が、現在は1基1兆円といわれています。電力会社にとっては、従来のように運転期間が40年ではまったく「元が取れない」のが現状です。5000億円の建設費の「元」を40年で取っていたのなら、1兆円の元を取るには最低でも80年運転する必要があります。GX電源法強行の際、3.11を教訓にせっかく作った「原発運転期間40年ルール」を政府・電力会社が撤廃してしまったのは、おそらくこれが本当の理由です。

 そして、そんなに長く運転できるわけがないことは、おそらく電力会社もわかっています。原発新増設が必要だ、さっさと建てろと騒いでいるのは電力会社の財務諸表など見たこともない「外野」ばかりです。13年間、原子力ムラが全力を振り絞って、それでも1割にも回復できなかった原発が、今後「主力電源」に躍り出られるとは、到底思えません。どこを見てもプラス材料はなく、原発が「終わらない理由」を探すほうが難しいのです。

 原子力ムラが直面している「当面の最重要課題」は、使用済み核燃料再処理施設が事実上頓挫しているため、各地の原発サイト内で、使用済み核燃料が行き場を失ったまま燃料プールにたまり続けていることです。燃料プールの「使用率」は原発ごとに異なりますが、60~70%台のところが多く、再稼働した原発の中には80%台に乗るところも出てきたようです。特に深刻なのが福井県内の各原発で、このまま推移した場合、早ければ5~6年後には燃料プールが満杯になり、六ヶ所村にも移送できないため、原子炉内の燃料を取り出せなくなり、運転を止めざるを得なくなります。これが事実上、原発の「自然死」になるとのシナリオが現実味を帯びてきています。

 「昔、原発ってものがあってね」と語り合える日はもう少し先になると思いますが、「そういえば原発って今、全然動いてないよね」と語り合える日は、50歳代以下の世代であれば、生きているうちにおそらく訪れます。ドイツのように大々的に「原発やめます!」宣言をするというのではなく、ある日、ふと気がついたら静かに息が止まっていた--という日本的展開になると思います。

 「甲状腺がんをはじめとする健康被害問題は、原発問題を語る上で1丁目1番地です。これを暴露されることを、何より原発推進派は恐れています。広島・長崎の黒い雨裁判も未だに続いています。おととい(9月9日)、長崎の黒い雨裁判で判決がありました。一部原告しか被爆者と認めない不当なものでしたが、一方で嬉しい出来事もあります。土壌中に沈着した放射性物質が原爆によるものか、戦後の大気圏内核実験によるものかはこれまでわからないとされてきました。しかし、土壌を深く掘り、積み重なった地層のうちどれに含まれているかを通じて、放射性物質が沈着した年代を特定する手法が開発されたのです(注:9月9日放送されたNHK「クローズアップ現代」の受け売りです)。

 この手法は、福島原発事故後の土壌調査を通じて開発されたといいます。原発事故は、確かに不幸な出来事でしたが、そこで開発された手法が長崎の被爆者を救うことにつながったのであれば、13年間頑張ってきた甲斐もあるというものです。広島、長崎、福島。すべての被害者が手を取り合い、お互い助け合いながら、最後はみんなで笑いましょう」。

 9月11日、レイバーネットTVの放送に先立って行われた子ども甲状腺がん裁判。東京地裁前で、私はこのようにスピーチしました。今の私の人生目標は「生きているうちに自分の目で日本の原発最後の日を見届けること」です。私は、必ずできると信じています。子どもたちに「原発のない日本」をプレゼントした12年前のこどもの日。みなさん、ぜひ力を合わせて、もう一度子どもたちにこのプレゼントをしませんか?

(報告・文責:黒鉄好)


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子ども甲状腺がん裁判:原発推進派がすがる「国連科学委員会」のウソ暴いた法廷

2024-09-14 16:52:28 | 原発問題/一般

(この記事は、当ブログ管理人がレイバーネット日本に投稿した記事をそのまま掲載しています。)

 311子ども甲状腺がん裁判は9月11日、東京地裁で第11回口頭弁論が行われ、傍聴券を求め若い支援者らを含む207人が並んだ。

*写真=入廷行進する関係者

 弁論では、甲状腺の半分を摘出した原告の1人が証言。「福島原発事故から半径100㌔圏内に住んでいた。自分の住む地域が高線量だと思っておらず、30~40分かけて自転車で通学や買い物に出かけた。原発の方角を向いた窓を換気のため開けていた。目の前の道路を自動車が通るたび、地面から粉じんが巻き上げられていた」と当時の被ばく状況を語る。「甲状腺がんと診断された時点で10・6㍉だったがんは手術時には11・6㍉になっていた。手術後は麻酔が切れると傷口が痛んだ。再発、転移のことを考えないようにして自分の精神状態を保った」。緊張しているものの、堂々と落ち着いた陳述だ。

 「原告7人を見ると、県民健康調査1巡目でがんと診断されたケースもあれば4巡目まで異常なしだったケースもある」。田辺保雄弁護士は、原発事故との「因果関係否定派」が根拠としているいわゆる「過剰診断論」(過剰な検査をした結果、見つける必要のない甲状腺がんまで見つけたとする非科学的「理論」)をデータに基づき否定した。

 只野靖弁護士は「福島県紅葉山に設置されたモニタリングポストのデータを解析すれば、甲状腺がんの原因である放射性ヨウ素131をはじめ、環境中に放出された核種が特定できるにもかかわらず、「国連科学委員会」(UNSCEAR)はその手法を否定。放射線測定目的で設置されているわけではないSPM局(大気中浮遊物測定装置)の濾紙で測定された放射性セシウム137の推定値を使用した」と指摘。原発事故と甲状腺がんの因果関係を否定するためならどんなごまかしでも行う「国連科学委員会」の「非科学委員会」ぶりが明らかにされた。

 原発事故と甲状腺がんとの関係を証明する意見書を東京地裁に提出した黒川眞一・高エネルギー加速器研究機構名誉教授に対し、東京電力が「放射線の専門家ではない」と主張していることについて、只野弁護士は「黒川名誉教授は高度の学識を持っており、専門家である。東京電力側の主張は黒川さんに対する侮辱であり、今後、このような侮辱は金輪際、やめていただきたい」と怒気をはらんだ声で陳述し、被告席をにらみつけた。

 東電は、原発賠償訴訟など他の訴訟でも、被害者のプライバシーを公開法廷で暴いたり、貶める主張を繰り返している。「自分たちの正しさを証明できないので相手を貶める」東電側代理人の、相も変わらずの卑劣な法廷戦術だ。ごみの処理ひとつまともにできない「汚い原子力」と毎日触れている連中は、精神まで卑しくなっていく典型に思える。

◎市民の支援に手応え

 報告集会では「裁判は、進むにつれて傍聴者が減るのが一般的だが、11回目の今回、逆に傍聴希望者が増え、200人を超えた」と報告があった。この裁判に対する市民の強い関心と支持に手応えを感じている様子がうかがえる。

 「1人の被害者も泣き寝入りさせないため、原発事故が起きたら被害との因果関係があるものと推定すべき」との法学者・我妻栄の言葉を引き、電力会社に原発事故の全面かつ無過失責任を負わせた原子力損害賠償法(原賠法)の成立の経緯が井戸謙一弁護士から紹介された。国会審議時における我妻の発言こそ原賠法の「立法者意思」であり、現在の国・東電の姿勢はこの立法者意思を踏みにじっているという意味でも不当きわまりないものだ。

(報告・文責・写真 いずれも黒鉄好)

*「国連科学委員会」の正式名称は「原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)」。2014年に福島に関する報告書を出している。


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