goo blog サービス終了のお知らせ 

安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

当ブログのご案内

当サイトは列車の旅と温泉をメインに鉄道・旅行を楽しみ、また社会を考えるサイトです。

「あなたがすることのほとんどは無意味でも、あなたはそれをしなくてはなりません。それは世界を変えるためではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためです」(マハトマ・ガンジーの言葉)を活動上の支えにしています。

<利用上のご注意>

当ブログの基本的な運営方針

●当ブログまたは当ブログ付属サイトのコンテンツの利用については、こちらをご覧ください。

●その他、当サイトにおける個人情報保護方針をご覧ください。

●当ブログ管理人に原稿執筆依頼をする場合は、masa710224*goo.jp(*を@に変えて送信してください)までお願いします。

●当ブログに記載している公共交通機関や観光・宿泊施設等のメニュー・料金等は、当ブログ管理人が利用した時点でのものです。ご利用の際は必ず運営事業者のサイト等でご確認ください。当ブログ記載の情報が元で損害を被った場合でも、当ブログはその責を負いかねます。

●当ブログは、ネトウヨから「反日有害左翼ブログ」認定を受けています。ご利用には十分ご注意ください。

●管理人の著作(いずれも共著)
次世代へつなぐ地域の鉄道——国交省検討会提言を批判する(緑風出版)
地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
原発を止める55の方法(宝島社)

●管理人の寄稿
規制緩和が生んだJR事故(国鉄闘争共闘会議パンフレット「国鉄分割民営化20年の検証」掲載)
ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

【転載記事】東電原発事故は「勝てる事件だった」。刑事裁判で旧経営陣の責任を追及した弁護士の悔い なぜ無罪決着に終わったのか、9年半の闘いに思うこと

2025-03-28 21:34:25 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟

東電原発事故は「勝てる事件だった」。刑事裁判で旧経営陣の責任を追及した弁護士の悔い なぜ無罪決着に終わったのか、9年半の闘いに思うこと(47ニュース)

----------------------------------------------------------------------------

 
共同通信の単独インタビューに応じる石田省三郎弁護士

 未曽有の大事故から14年、東京電力福島第1原発事故で強制起訴された旧経営陣は無罪が確定し、刑事裁判が終結した。この事件は、検察が旧経営陣をいったん不起訴にしたが、市民で構成される検察審査会が「起訴するべきだ」と判断したため、弁護士が代わりに検察官役となって旧経営陣の刑事責任を追及するという経緯をたどった。

 裁判で検察官役の指定弁護士を務めた一人、石田省三郎弁護士(78)は「勝てる事件を勝ちきれなかった」と唇をかむ。選任されてからの期間は、指定弁護士の任期として過去最長の9年半にわたった。単独インタビューに応じ、なぜ引き受けたのかや裁判の意義、制度の課題など多岐にわたるテーマについて語った。(共同通信=帯向琢磨)

▽反対の立場「割り切れる」

2012年8月、弁護人を務めた東電女性社員殺害事件を巡り記者会見する石田省三郎弁護士

 1973年に弁護士となった石田弁護士は、ロッキード事件やリクルート事件、東電女性社員殺人事件で弁護人を務めるなど、日本を代表する刑事弁護人として、40年以上にわたり検察と対峙してきた。

 それが今回、双葉病院(福島県大熊町)の入院患者ら44人を死亡させるなどした容疑について、検察審査会が「起訴すべき」と議決したのを受け、2015年に訴追する側の検察官役となった。

 「そこは割り切れると言わざるを得ない。結局、証拠を見て証拠に基づいて主張をするわけだから」。プロの法律家としての矜持をのぞかせ、「争いの一方当事者として職務を淡々と遂行するだけだった。受けたときからそう考えていた」と話した。

 ロッキード事件で田中角栄元首相の弁護団に加わったときは、それまで新左翼関連の事件を担当していたこともあり、その転身ぶりに抗議や脅迫の電話が相次いだという。「その時と比べると、今回は大きな影響はなかった」

▽「どうしても」と頼まれて

東京電力旧経営陣3人の強制起訴が決まり、垂れ幕を掲げる「福島原発告訴団」のメンバー=2015年7月、東京地裁前

 受任の経緯を尋ねると、事務所の奥から色あせたノートの束を持ってきてくれた。関係者とのやりとりの記録や、事故のポイントを整理した手書きの備忘録だ。最初の日付は2015年7月31日。所属する第二東京弁護士会のある弁護士から「どうしても」と依頼されたことが書かれていた。

 この時、一部の時効があと半年ほどに迫っていて、時間との闘いでもあった。

 弁護士として長年一緒にやってきた仲間からの後押しもあり、8月21日に選任が決まった。

 強制起訴の対象となった裁判はそもそも、検察が証拠が十分ではないとして起訴せず、裁判にしなかったものだ。その判断を覆さなければならず、ハードルは高い。そのことを「非常に困難な壁に立ち向かう意識だった」と表現する。

元東電幹部を強制起訴する検察官役に指定され、記者会見する石田省三郎弁護士(中央)ら=2015年8月、東京・霞が関の司法記者クラブ

 ノートの8月30日の記述によれば、検察から引き継いだ証拠はファイルにして191冊、段ボール箱にして138個。最大の争点となった国の地震予測「長期評価」の信用性について、旧経営陣側がこれを基に対策を進めようとしていたことを示す文書が「いろいろ残っていた」のだという。石田弁護士が「勝てる事件だった」と振り返るゆえんだ。

▽感じた手応え、遠い認定

東京地裁前で開かれた被災者らの集会(左上)、煙を上げる福島第1原発3号機(右下)を背景に、武藤栄元副社長(右上)ら東京電力旧経営陣のコラージュ

 かくして指定弁護士は16年2月、勝俣恒久元会長=昨年10月に84歳で死去、武黒一郎元副社長(79)、武藤栄元副社長(74)の3人を強制起訴した。

 東京地裁で審理された一審では、東電の当時の担当者らも指定弁護士の主張に沿う重要な証言をした。公判の「ハイライト」と位置づけた被告人質問も「(知っていたのに)知らんぷりをしたという印象を与えられれば良かった。尋問としては成功だったと思う」と一定の手応えも感じた。だが、裁判所の認定は遠かった。一審でも二審でも有罪判決を得られず、上告した。

 だが最高裁は今月5日、上告を棄却する決定をした。「結局、見方や考え方の違いだけの問題に収斂されてしまい、極めて不本意だった。われわれの立証のどこが足りなかったのかも書かれていなかった」と肩を落とした。

 この決定では、草野耕一裁判官が別の起訴内容について「犯罪の成否を論じる余地があり得た」と言及する異例の意見を出したことも注目されたが、石田弁護士は「(起訴内容は)検審の議決の範囲内で構成しなければならず、限界がある」と反論した。

▽「民意実現できず責任感じる」

強制起訴された東京電力の旧経営陣の公判が開かれた東京地裁の法廷=2018年2月

 旧経営陣の裁判で出てきた証拠は民事裁判にも生かされ、福島の住民らも「知らないことが明らかになった」と意義を強調する。

 それでも石田弁護士は「実務家としては裁判は勝たなければ意味がない。検審が示した民意を実現できなかったことに責任を感じている」と残念がった。元々高いハードルだったとは、言い訳しなかった。

 これまで刑事弁護人のキャリアを通じて、「無罪に対する検察官の控訴はけしからん」と主張してきた。この考えが変わったわけではないが、今回は指定弁護士との立場を貫き、最高裁まで争った。「民意を反映しなければいけないという公的な責任がある。自分の思想や考え方は、別にしなければいけない」

 それに、これだけの大事故の刑事責任について「一審や二審の判断だけで終わらせるわけにはいかなかった」との思いもあったという。

▽負荷に見合った手当を

石田省三郎弁護士

 制度面の不備についても言及した。

 石田弁護士ら指定弁護士としての役割は選任されてから9年半に及んだ。これだけ長期にわたったにもかかわらず、制度上、手当が一審につき最大315万円と固定されており、「負荷に見合っていない」のだという。

 証拠の評価が問題になる今回のような事件は時間が多くかかり、特に一審段階は膨大な証拠の読み込みなどに多大な時間を費やし、他の仕事をする余裕はなかった。こうしたケースに対し、弁護士会からのバックアップも含めた対策を求めた。

 指定弁護士としての重責は、石田弁護士にとってどんなものだったのか。最後にこう聞くと、しっかりとした口調で、引き受けた案件に全力で取り組む姿勢をこう表現した。「われわれにとってはワンオブゼムなわけですから。どんな事件でもね」

© 一般社団法人共同通信社


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【訃報】佐藤栄佐久元福島知事 プルサーマルに反対し国・東電と闘った信念の人

2025-03-22 23:28:23 | 原発問題/一般

佐藤栄佐久元福島知事が死去、85歳 5期18年…分権、原子力で国と対峙(福島民友)

-------------------------------------------------------------------------

 福島県知事を5期18年務め、地方分権の推進や本県の均衡ある発展に尽力した佐藤栄佐久(さとう・えいさく)さんが19日午前3時1分、老衰のため郡山市の高齢者施設で死去した。85歳。自宅は郡山市。通夜は27日午後5時、葬儀・告別式は28日午後2時から郡山市方八町の郡山斎場で。喪主は長男栄祐(えいゆう)さん。

 佐藤さんは郡山市出身。安積高、東京大法学部卒。日本青年会議所副会頭を経て1983年の参院選で初当選し、大蔵政務次官を務めた。参院議員を辞職して立候補した88年の知事選で初当選。以降、連続5回当選した。全国知事会副会長、北海道東北知事会長などを歴任した。

 知事時代は一貫して地方分権の確立を掲げ、小中学校の少人数学級制や森林環境税の導入など独自施策を展開、地方の自立を目指して積極的に声を上げた。

 2002年に東京電力のトラブル隠し問題が発覚した際には、福島第1原発でのプルサーマル計画受け入れを白紙撤回。原子力政策への問題提起を通じ国とも対峙(たいじ)するなど、「物言う知事」としても知られた。

 任期中は、ふくしま国体やうつくしま未来博の開催のほか、福島空港の開港と国際化、会津大開学、あぶくま高原道路の整備、アクアマリンふくしまの開館など大規模な事業を次々手がけた。東京一極集中に異議を唱え、本県への首都機能移転も推進。1997年に発覚した県の公費支出問題では大きな批判も浴びた。

 収賄で有罪

 5期目の06年9月、県発注工事を巡る談合、汚職事件に絡み、実弟が東京地検特捜部に逮捕されると知事を辞職。翌月には自身も収賄容疑で逮捕された。裁判では無罪を主張。一審東京地裁と二審東京高裁の有罪判決を不服として上告したが、12年10月に最高裁で懲役2年、執行猶予4年の刑が確定した。

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後は、講演などで反原発の発信を続けた。

 次女美樹子さんの夫は玄葉光一郎衆院副議長。

 内堀知事、哀悼の意

 佐藤栄佐久さんの訃報を受け、内堀雅雄知事は19日、コメントを発表した。佐藤さんが知事在任中に掲げた県民運動のスローガン「うつくしま、ふくしま。」は策定から30年以上が経過した今もなお、多くの県民の心に息づいているとし「これからも福島県が復興していく姿を見守っていただきたかっただけに、本当に残念でなりません」と哀悼の意を示した。

-------------------------------------------------------------------------

佐藤栄佐久元福島県知事が死去した。ご紹介した福島民友の記事にあるように、福島原発へのプルサーマル導入計画と闘った。在任中から逮捕、起訴に至る過程では、政策・人物のどちらにも賛否両論ある人だったが、東日本大震災・福島第1原発事故後は、原発のずさんな管理運営を続けてきた東京電力から県民を守るため、果敢に闘った知事として評価が急上昇した。

あぶくま高原道路の整備など、個別の政策の中には疑問を感じるものもあったが、福島第1原発事故の直後、親しい福島県民の前で不用意にそれを口にしたら、「栄佐久さんこそ先見の明を持って東電と闘ってくれた恩人。福島県で今後もうまくやっていきたいと思うなら、栄佐久さんを悪く言わないほうがいい」と「忠告」を受けたこともある。

福島県民には他県以上に佐藤姓が多いため、県民同士では、それほど親しい間柄でなくても、佐藤姓の人を、他の佐藤さんと区別するためファーストネームで呼ぶ習慣がある。「栄佐久さん」も、特に3.11後は県民に慕われていた。「栄佐久さんが知事のままで2011年までいてくれたら、あの事故は起きなかった」と多くの県民が今も言う。その県民の言葉に、私は全面的に同意する。

栄佐久さんの政治家人生を暗転させた「収賄罪」の刑事裁判では、記事にもあるように懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を下しながら、裁判所が認定した収賄額は「0円」だった。それならなぜ有罪なのか、意味がわからない。「東京電力にとって目障りだった栄佐久さんを陥れ、抹殺するために検察が仕組んだ国策捜査だった」とする説は福島県民の間でコンセンサスとまでは言えなくとも、かなり広く信じられている。ご自身が「知事抹殺」という本を上梓。最近では「知事抹殺の真実」(我孫子亘監督)という映画も制作されている。私も、あの原発事故への怒りを忘れないために、その説を信じる県民の列に加わりたいと思う。

これだけの功績を残した「福島県民の恩人」栄佐久さんを「0円の収賄」で起訴した検察は、あれほどの事故を起こした東京電力旧経営陣を不起訴にした。検察の主張を鵜呑みにし、栄佐久さんに有罪判決を下した最高裁は、検察審査会の議決で強制起訴された東京電力の旧経営陣には無罪判決を下した。裁判所も検察もどこを見て仕事をしているのか。今、東京では毎週のように財務省解体デモが行われているが、役立たずどころか有害な裁判所も検察もこの際、一緒に解体したらどうだろうか。

福島原発をめぐって、東電によるトラブル隠しが発覚したのは2002年2月だった。激怒した栄佐久さんは東電管内の原発稼働を拒否。2003年4月から2006年7月まで3年以上にわたって東電管内全原発が止まった。だがこのとき、東電管内で停電はおろか、電力不足も起こらなかった。3.11後、私たちが反原発運動を進める中で、「原発が動かないと電力が不足する」と市民を脅す原発推進派に対し、「原発が止まっても電力不足は起きない」と胸を張って堂々と主張できたのは、栄佐久さんがこのときに「証明」してくれていたからである。原子力ムラ挙げての「電力不足」キャンペーンに打ち勝つことができたのは、栄佐久さんのおかげである。

このような経緯があり、福島原発告訴団・福島原発刑事訴訟支援団の集会に、ゲストとして招請しようという話が持ち上がったのも一度二度ではなかった。だが、ここ5年ほどは栄佐久さんのご体調が優れず、その目標はかなわないままとなった。私たちの闘いを支えてくれた栄佐久さんに、改めてお礼申し上げたいと思う。全原発廃止までもう少し時間はかかると思うが、いずれ栄佐久さんの墓前に「原発全滅」の報告ができるよう頑張りたいと思う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<地方交通に未来を(21)>新幹線と原発の怪しい関係

2025-03-16 12:14:27 | 鉄道・公共交通/交通政策

(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 この話はずっと前から当コラムに書きたくて仕方なかった。それができないでいたのは自分の中で確証が持てなかったからである。だが最近になって確証とは言えないまでも「状況証拠」はかなり揃ってきたように見える。ずばり、原発誘致や再稼働同意と引き替えに新幹線が「返礼品」として贈られているのではないかという「疑惑」についてである。

 整備新幹線は、1997年に開業した北陸新幹線東京~長野を皮切りに、順次延伸開業を続けてきた。だが、延伸した新幹線の路線図を見ていた私はあることに気づいた。延伸した新幹線がことごとく原発や原子力施設のすぐそばを通っているのだ。例えば、2010年に延長開業した八戸~新青森を見ると、七戸十和田駅から30km圏内に六ヶ所村の使用済み核燃料再処理施設がある。20世紀のうちに開業する約束だったのに、27回も完成が延期になり、つぎ込まれる税金は19兆円とされるいわくつきの施設だ。

 北海道新幹線も、現在の始終点である新函館北斗から札幌までは、特急「北斗」や貨物列車がひんぱんに走るメインルートの室蘭回りではなく、かつては急行「ニセコ」が走ったものの、単線で現在はメインルートを外れたはずの余市~小樽を経由する。その沿線にあるのは北海道電力泊原発だ。

 長野から先の北陸新幹線も、金沢開業を経て、2024年3月に現在の福井県・敦賀まで延伸している。ここが日本一の原発銀座であることは本会報読者には説明するまでもなかろう。稼働中のものだけでも関西電力美浜原発1基、高浜4基、大飯2基の計7基が集中する。この先、関西までのルートが決定していないことは、すでに当コラムで何度も述べているが、政府が目指しているのは福井県・小浜から京都を経由して新大阪に至るルート(小浜・京都ルート)だ。このルートになれば美浜原発のみならず、新たに高浜・大飯原発のすぐそばも新幹線が走行することになる。

 鉄道と原子力施設との歴史をひもとくと、1999年に茨城県東海村のJCO東海事業所で起きた臨界事故の際、すぐそばを通るJR常磐線が数日にわたり不通になった。常磐線の車両基地である勝田電車区がJCOから至近距離にあることを理由に、関係者の放射線被ばくを恐れたJR東日本が勝田電車区への社員の出勤を停止したためだ。

 福島第一原発事故でも、常磐線が津波に流された上、避難区域となった区間では復旧作業もできず、長期にわたって不通になった。いざ原子力施設で事故が起きればこのようなリスクがあることは過去の事例からはっきりしているのに、なぜわざわざ原子力施設のそばに新幹線を通す愚行をこの国の政府は繰り返すのか。私にはずっと疑問だった。

 特に、小浜・京都ルートに関しては、古都の水環境や自然を破壊する「千年の愚行」だとして京都仏教会が反対署名に乗り出す事態になっている。これほどの反対があるにもかかわらず、政府がなぜわざわざ7基の原発がある地域を走行するルートに固執し続けるのかという疑問について考える中で、私がたどり着いた推論こそ冒頭に書いた「原発立地地域に対する新幹線『返礼品』説」だった。

 最近、私のこの推論を裏付ける証言・証拠が複数の関係者から出てきている。北海道新幹線と北陸新幹線の延伸が決まったのは2012年6月29日。整備費用は、同時に着工が決まった九州新幹線西九州ルートと合わせて3兆400億円に上った。

 福島原発事故からわずか1年。原発ゼロが続いていた日本で、野田民主党政権が示した大飯原発再稼働方針に反対する首相官邸前の反原発デモが20万人に達した時期だった。野田政権は、このわずか13日前(2012年6月16日)に大飯再稼働を決定している。これを「偶然の時期の一致」と思うほど筆者はお人好しではない。

 2024年12月4日、「北陸新幹線の延伸に関する与党整備委員会」に出席した杉本達治福井県知事はあけすけにこう述べている。「原子力発電所の立地地域ということを申し上げた。50年以上も志を持って電力を供給し、関西・日本の発展のために尽くしてきた。原子力基本法にある『立地地域の振興』というものを、しっかりと国の責務として果たしていただきたい」。国の原子力政策に協力してきたのだから、立地地域振興のため「新幹線という返礼品をさっさとよこせ」というのだ。

 1987~2003年まで4期16年務めた栗田幸雄元福井県知事も重大な証言をしている。「当時の自民党は一層、原子力発電に力を入れていくということで、福井県が原子力発電へ積極的に協力してくれるならば、いわばその見返りとして新幹線を1日でも早く自民党として努力しましょうと言ってくれました」。歴代福井県知事の間で、新幹線=原発協力の見返りは公然の秘密だったのだ。

 1999年、地元選出の辻一彦衆院議員(社会党→民主党)が提出した「北陸新幹線若狭ルート堅持に関する質問主意書」はこう述べている。「福井県、特に若狭の住民は、この三十年近く「いつか新幹線が通る」という悲願で生きてきた。そのために原発銀座を許容するという苦渋の選択を受け入れてきたのである。日本一の原子力発電地域を国土の均衡ある発展から取り残すことのないようにするのは政治の責任である」。新幹線を原発受け入れの返礼品とみなす考え方は、自民党だけではなく、野党にまで広く浸透していたのだ。

 福井以外の地域の話もしておこう。本会報前号でも紹介した九州新幹線西九州ルートである。1973年、田中角栄首相が日本列島改造論を唱え、整備新幹線の根拠法である「全国新幹線鉄道整備法」を制定、5整備区間(北海道、東北、北陸、鹿児島、長崎)を決定した。だが、決定直後に石油危機が起き、5区間すべての計画が凍結される。この凍結は5年後の1978年に解除となるが、その際、5区間の中で最も優先順位が低いとみなされていたのが長崎新幹線だった。

 長崎新幹線が着工されるか危惧した久保勘一長崎県知事は、高田勇副知事を自民党本部に派遣。「長崎新幹線の工事着工は、他の四路線に遅れないこととする」との約束を自民党から取り付ける。当時の党3役――大平正芳幹事長、中曽根康弘総務会長、江崎真澄政調会長が直筆で署名した約束文書は、放射能漏れ事故を起こし、寄港先を失っていた原子力船「むつ」の修理を佐世保で受け入れる見返りとされた。この文書が後に「むつ念書」と呼ばれるようになったゆえんである。

 政府与党が頑ななまでに「小浜・京都ルート」にこだわる理由も、このように考えると見えてくる。同ルートを熱心に推進する西田昌司参院議員(自民党京都府連会長)は今夏の参院選で改選となるが、石破茂総裁のままでは選挙を戦えないとして辞任を要求するらしい。良い噂などひとつとして聞いたことのないあなたこそ、この際、潔く政界から引退されてはいかがだろうか。

(役職はいずれも当時。2025年3月15日)

<参考記事>

北陸新幹線延伸「原発立地地域振興を」早期着工を要望 福井県知事(2024.12.5「朝日」)

「これで長崎は良くなる」 新幹線計画決定・むつ念書 見返りは空手形に 長崎新幹線の軌跡・1(2022.6.15「長崎新聞」)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カテゴリー再編について(今後の予定など)

2025-03-15 19:06:34 | 運営方針・お知らせ

管理人より、カテゴリー再編についてのお知らせです。

・「共産趣味」カテゴリーを「共産趣味/労働問題(公共交通・原発除く)」に変更しました

便宜上の措置ですが、「その他社会・時事」カテゴリーに含めていた労働問題関係の記事をここに移動するため、カテゴリー名を変更しました。

もともと、当ブログが「観察対象」にしているのは、本気で経営側と闘って社会改革や問題提起につなげることを目的としている戦闘的労働組合やその周辺に関するものがほとんどであり、共産趣味の一環と捉えてもいいと考えたからです。

労働問題のうち公共交通に関するものは「鉄道・公共交通/交通政策」カテゴリで、原発に関するものは「原発問題/一般」カテゴリーで扱います。この2つは従来通りです。

この措置により「その他社会・時事」カテゴリーの記事数は200を割り、だいぶコントロールしやすくなりました。なお、どのような記事をどのカテゴリーで扱っているかについては、2013年4月1日付記事に掲載しています。

・「原発問題/福島原発事故刑事訴訟」カテゴリーの今後の取り扱いについて

2025年3月7日付記事「東電刑事裁判、経営陣2人を「無罪」とする不当判決が確定/福島原発告訴団等の声明」のとおり、最高裁が東京電力旧経営陣3被告のうち、途中で死去した1名を除く2被告に無罪判決をしたことにより、2012年の福島原発告訴団結成以来、12年半にわたった原発事故の刑事訴訟が終わりました。

今後、4月30日に無罪判決に抗議する集会が予定されているものの、それ以降、福島原発告訴団・福島原発刑事訴訟支援団をどのようにするかは決まっていません。

もし、福島原発告訴団・福島原発刑事訴訟支援団が活動を終える場合、当ブログのこのカテゴリについても更新することがなくなります。「原発問題/一般」カテゴリーと統合することもひとつの選択肢ですが、統合後のカテゴリーの記事数が500を超える規模になります。種々雑多な問題がひとまとめになっている「その他社会・時事」と異なり、特定問題の専門カテゴリーのためコントロールは効くと思いますが、この規模では過去記事の検索も難しくなります。

また、刑事裁判の過程で明らかになった証拠類を多く含むこのカテゴリーの記事は資料的価値が高く、独立したカテゴリーとして残し続ける意味もそれなりにあると思います。

4月30日以降も、当面、更新しないことを前提としてそのまま残しておき、その後の扱いは追って考えたいと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3.11 全交関電前プロジェクト 関電前行動へのメッセージ

2025-03-09 20:16:48 | 原発問題/一般

管理人よりお知らせです。

3月11日、関西電力本店前で「老朽原発うごかすな!上関に使用済み核燃料を押しつけるな!311関電本店抗議行動」が行われますので、お知らせします。この集会に向け、私から以下のとおりメッセージを出しましたのでご紹介します。

------------------------------------------------------------------------

 関電前行動に参加のみなさん、こんにちは。3.11福島原発事故当時、福島県西郷村に住んでいた元県民の1人としてメッセージを送ります。

 国が、2月に正式決定した新しいエネルギー基本計画で、「原発依存度をできる限り低減」するとの文言が削られ、原発「最大限活用」の方針に転換したことは、今なお続く原発被害も、事故の教訓そのものもなかったことにするものであり許すことはできません。国が何度口先だけの「反省」を基本計画に書き込んでも、心の痛みは消えることがありません。

 東京電力旧経営陣が強制起訴された「東電刑事裁判」で、3月5日、最高裁は武藤栄、武黒一郎の2人の元副社長を無罪とする決定をしました。日本の歴史上最大最悪となった原発事故でさえ、刑事責任を誰ひとり問われないことが確定したのです。もはや日本で企業犯罪の責任は、社会が滅亡してからでないと問えないとでもいうのでしょうか。苦痛の中で14年を過ごしてきた元福島県民として、認めることはできません。

 原発でいったん巨大な事故が起きると、国も原子力ムラも誰ひとり責任を取ることができないし、取る気もないという事実が改めて突きつけられています。刑事裁判の1審、東京地裁判決も旧経営陣を無罪にしましたが、一方で裁判長は「原発事故の安全対策に完全はない。事故を防止したいなら、その方法は原発停止しかない」とわざわざ判決文で言及しているのです。だったらみなさんの力で止めようではありませんか!

 福島原発告訴団を2012年6月に結成し、旧経営陣を刑事告発しました。強制起訴が決まったのが2015年7月。そこから10年近くにわたる長い刑事裁判は、多くの成果を残しました。(1)政府、国会、東電、民間の4つの事故調査委員会がまとめた報告書をすべて合わせたよりも多くの事実、証拠を明らかにできたこと、(2)「賠償金目当て」などとバッシングされることを恐れて、民事訴訟に踏み切れなかった多くの福島県民の共感も得て、政治的立場の違いを超えた大きな闘いとなったこと、(3)他の民事訴訟との共同を作り出す中から、最高裁の堕落・腐敗の実態を明らかにできたこと――などです。

 多くの最高裁判事が東京電力と密接な関係にあることが暴露され、最高裁の権威は完全に失墜しました。昨年の最高裁裁判官国民審査では、有権者から10%を超える罷免賛成率を突きつけられる裁判官が20年ぶりに出るなど、裁判所は市民の大きな不信を招いています。一方で、私たちが何も悪いことをしていないという事実は無罪判決であっても変わりません。旧経営陣を有罪にすることはできなかったため、勝利と評価するのは控えたいと思いますが、相対的には勝利と見ることもできるかもしれません。

 この3月、私の地元の「北海道新聞」は初めて原発事故と甲状腺がんの関係に言及する記事を掲載しました。歩みは遅くても、時代を進歩させるのは私たち市民の力です。それを信じて、脱原発社会の実現のために進んでいきましょう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【訃報】竹田とし子さん(「大間原発訴訟の会」代表)津軽海峡の「対岸」から大間原発反対運動を率いる

2025-03-08 23:56:03 | 原発問題/一般

青森・大間原発建設差し止め訴訟原告の竹田とし子さん死去 76歳(朝日)

----------------------------------------------------------------------------

 建設中の大間原発(青森県大間町)の建設差し止めなどを求める訴訟を起こした北海道函館市の市民団体「大間原発訴訟の会」代表の竹田とし子さんが死去した。76歳だった。2011年の東京電力福島第一原発事故の前から「命を守れ」と声を上げ続けた半生だった。

 訴訟の会事務局長の中森司さん(76)によると、竹田さんは2月28日朝、市内の自宅で倒れ、くも膜下出血で亡くなった。

 北海道旭川市で生まれ、キリスト教を基盤に女性の社会参画、人権や健康や環境が守られる世界の実現を目指す国際NGO「YWCA」の活動に参加した。結婚して函館で暮らしはじめ、夫と食料品店を営んだ。1986年のチェルノブイリ事故を機に原発問題に取り組み、大間原発建設地の30キロ圏内にある函館で2006年に発足した訴訟の会の代表に推された。

 市民ら168人で訴訟を函館地裁に起こしたのは10年7月。原告総数は第9次訴訟までに1168人に上った。地裁は18年3月、住民側の請求を棄却。住民側が札幌高裁に控訴し、審理が続く。

 竹田さんは一審の第1回口頭弁論で意見陳述してから、昨年7月の控訴審第12回口頭弁論までに計6回、陳述に立ったという。

 4日夕、函館市内の寺で通夜・告別式が営まれた。大間原発の用地買収を拒み続けた故・熊谷あさ子さんの娘で原告の1人でもある厚子さん(70、大間町)は「とし子さんは母と一緒で、信念を持って原発をなんとかしようとがんばってきた。勝訴する前に亡くなったのが残念でならない」と声を詰まらせた。

 中森さんは「温厚で人の話をよく聞く人だった。危険な原発を造らせないという遺志を引き継ぎ、大間原発を建設中止に追い込みたい」と語った。

 訴訟の会は今後、お別れの会を開くという。

----------------------------------------------------------------------------

すでに10日ほど経っているが、「大間原発訴訟の会」代表・武田とし子さんが2月末に急逝された。2月26日に開かれた青森県・東北電力大間原発差し止め訴訟の意見陳述に立つなど精力的に活動されていた。私は直接、面識はなかったが、連れ合いは札幌高裁での裁判傍聴の際、何度かお会いしたという。

大間原発は、青森県・下北半島に電源開発が建設中で、完成後は東北電力に引き渡される。本来なら青森県の地元住民が頑張らなければならないが、六ヶ所村に使用済み核燃料再処理施設を受け入れてしまっていることもあり、青森県内の原発反対運動は抑え込まれ、孤立させられている。代わって、津軽海峡の対岸にある函館が闘いを担ってきた。

函館市も、電源開発を相手に2014年に訴訟を起こしたが(参考:大間原発の建設凍結のための提訴について/函館市)、これには先行する「大間原発訴訟の会」の訴訟の存在も大きかったとされる。工藤寿樹・前函館市長が自民党を含む市議会全会派を説得して提訴にこぎ着けた。

行政、民間がそれぞれ大間原発建設の凍結を求めて提訴した背景には、函館市が対岸の大間原発から30km圏内にあるという事情が大きい。福島原発事故後、原発から半径30km圏内自治体は避難計画の策定を義務づけられたが、青森県外であるため原発の運転に対する同意権限も持たない函館市が、事故が起きれば甚大な被害を受けることに対する強烈な危機感があった。

函館市の危機感が単なる絵空事ではないことは、以下の写真を示せばご理解いただけるだろう。いずれも私が2016年4月9日~10日にかけて現地を訪問した際に撮影したものだ。

<写真1>大間フェリーターミナルから望遠(300mm)レンズを使って撮影した大間原発。目と鼻の先にある

<写真2>出港直前の船内客室から。青森県側の大間港に停泊中なのに、対岸・函館のテレビ放送がクリアに映る。電波が何ものにも遮られずに飛んでくるということは、いざというとき、放射線も飛んでくるということを意味する

<写真3>大間出港直後の青函フェリー船内から。すでに対岸の函館市街地がくっきり見える

このような状態で、福島の惨事を見せつけられた函館市の行政も市民も「次は自分たちの番かもしれない」と思うのは当然だろう。

大間原発訴訟の会で竹田さんは中心的存在だった。「竹田さんがいたから会がまとまってこられた」と話す関係者もいるほどだ。裁判そのものは会の他のメンバーが引き継ぐが、新しい幹部が竹田さんほどの求心力を持てるかどうかはわからない。

竹田さんを失ったことは、函館の反原発運動にとって痛手であることに間違いない。だが、対岸にあり地元である青森県内の運動が孤立させられている以上、引き続き函館での闘いが重要であることも事実だ。私も引き続き、この闘いを支援していきたい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東電刑事裁判、経営陣2人を「無罪」とする不当判決が確定/福島原発告訴団等の声明

2025-03-07 22:08:07 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟

東電強制起訴、旧経営陣の無罪確定へ 福島原発事故で最高裁上告棄却(毎日)

私自身も、福島県民に参加者を絞って、2012年6月に発足した福島原発告訴団発足から関わり、12年半にわたって支援を続けてきた福島原発事故刑事訴訟について、最高裁は3月5日付で、1~2審の無罪判決を不服として検察官役の指定弁護士が行った上告を棄却する決定をしました。日本の歴史上最大の被害を出した福島第1原発事故の刑事責任は、誰ひとり問われることなく終わることになります。

告訴・告発運動を担ってきた福島原発告訴団と、検察審査会による強制起訴以降の裁判支援運動を担ってきた福島原発刑事訴訟支援団は、この決定を受け、共同で声明を発表しました。福島原発刑事訴訟支援団ホームページから全文をご覧いただけますが、念のため、当ブログでも、全文をご紹介します。

印刷に適したPDF版をご希望の方は、福島原発事故刑事訴訟支援団ホームページからダウンロードできます。

----------------------------------------------------------------------------------

東電刑事裁判、最高裁の上告棄却決定に抗議する声明

被害者を踏みにじり、次の原発事故を準備する最高裁を許さない!

2025年3月6日

福島原発告訴団

福島原発刑事訴訟支援団

東京電力福島第一原発事故の刑事責任を問う東電刑事裁判において、最高裁判所第2小法廷(岡村和美裁判長)は3月5日付で、業務上過失致死傷罪で強制起訴された武黒一郎、武藤栄両被告について、検察官役の指定弁護士の上告を棄却し、1~2審の「無罪」の判決を維持する決定をしました。

最高裁第2小法廷は、三浦守裁判官を除く裁判官3人(岡村和美裁判長、草野耕一裁判官、尾島明裁判官)全員一致として「業務上過失致死罪の成立に必要な予見可能性があったものと認定できず」「発電所の運転停止措置を講じるべき業務上の注意義務が認められない」とし、被告人を無罪とした第1審判決を是認した原判決の判断は「不合理な点があるとはいえない」と最悪の決定をしました。

私たちは、東京電力との深い関係にある草野耕一裁判官が裁判の公正を妨げると考え、事件の回避を求めてきましたが、3月21日の定年退官の直前の判断に強い憤りを禁じえません。一方で、2022年、東電民事裁判の最高裁6.17判決で、少数意見を書いた三浦守裁判官が事件を回避したことにも驚きました。

そもそも、第1審判決は、地震本部の長期評価に基づいて東電設計が算出した15.7メートルの津波高をもとに、東京電力が常務会で津波対策を承認していながら武藤らによって先送りした事実が公判で明らかになり、予見可能性は十分立証されたにもかかわらず、東京地裁永渕健一裁判長が握り潰した不当判決でした。

この最高裁の決定は、本件の双葉病院から避難の途中で亡くなった被害者とその遺族をはじめ、万余の人々の生活と人生を壊した、日本最大の公害事件である福島第一原発事故の全ての被害者と被災者を踏みにじるものです。

さらに、人災事故を引き起こし、国民の生命と財産を窮地に陥れ、甚大な被害をもたらしながら、原子力発電事業者は何らの責任も問われず免責されるという法的前例をつくり、むしろ、新たな原発事故を準備するものです。

決して許されるものではありません。満腔の怒りをもって抗議するものです。

私たちは、2012年、福島原発告訴団を結成し福島地検に告訴して以来、事件が移送された東京地検における不起訴処分と検察審査会の起訴議決を経て、市民の力で強制起訴を勝ち取り、2016年の福島原発刑事訴訟支援団結成、2017年から東京地裁の37回の公判の中で多くの真実を明らかにしました。2019年東京地裁の不当判決。2021年からの控訴審と23年の控訴審判決、さらに23年から24年にかけての最高裁で上告審と13年にわたる道のりでした。

私たちは、改めて無念の死を遂げた被害者、その遺族、そして被災者の14年の想い、これまでの道のりの中で鬼籍に入られた多くの方々の想いを、決して忘れることはできません。

私たちは、兄弟姉妹関係の東電株主代表訴訟はじめ、全国で裁判を続ける仲間の皆さん、各地に生きる原発事故被災者の皆さんと共に、今も続く過酷な福島原発事故の被害に真摯に向き合い、原子力行政におもねる司法をも変えるためにも、これからもあきらめずに活動を継続して参ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(関連資料)

最高裁決定

最高裁決定に対する指定弁護士のコメント(PDF版のみ)

東電刑事裁判の歩み

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3月6日に開かれた福島原発刑事訴訟支援団・福島原発告訴団の記者会見、及び検察官役の指定弁護士の記者会見の動画がyoutubeで公開されました。

東電刑事訴訟指定代理人記者会見

東電刑事訴訟支援団、東電告訴団記者会見


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【週刊 本の発見】『3.11 大津波の対策を邪魔した男たち』

2025-03-06 20:02:09 | 書評・本の紹介

(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

無視された警告〜そして事故は起きた

『3.11 大津波の対策を邪魔した男たち』(島崎邦彦 著、青志社、本体1,400円、2023年3月)評者:黒鉄好

 私は、本書の著者・島崎邦彦さんの講演を、福島原発刑事訴訟支援団の集会で一度、聞いたことがある。穏やかな学究肌で組織内政治や権謀術数とはおよそ無縁の人である。その穏やかな人柄を象徴するような優しい筆致で書かれているが、内容は辛辣だ。自身が再三にわたって発してきた警告を無視した者に対する告発の書である。

 島崎さんは福島第1原発事故後、原発政策立案と規制の分離を目的として発足した原子力規制委員会の委員長代理を務めた人物として知られる。一方、1995年から2012年まで17年もの長きにわたり、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)長期評価部会長の任にあったことはあまり知られていないかもしれない。実際には、島崎さんの功績はこの地震本部時代のほうが大きい。東京電力以外の電力会社は、島崎さんの下で2002年7月に公表された三陸沖地震に関する長期評価を津波対策に取り入れるよう求めた旧原子力安全・保安院の行政指導を受け入れ、津波対策を実施した結果、事故を免れたからである。

 「長期評価」は、津波地震の影響範囲を極めて広く設定したこともあり、公表に当たって政府筋から様々な圧力を受けたと島崎さんは明かす。首相が議長を務める中央防災会議からの圧力によって、長期評価に限界があるかのような奇妙な前文が島崎さんたちに相談もなく付け加えられた。政府機関であるはずの地震本部が公表した長期評価の価値、影響力を低め、貶めるような策動がこの間、政権中枢によって絶え間なく続けられた。

 本書では、長期評価の過小評価の一方で、土木学会が取りまとめ公表した「津波評価技術」なる著書が過大評価されていく過程を描き出す。土木学会という名称からアカデミックなイメージを描く人が多いかもしれないが、現実には電力会社やJR各社など大規模インフラ事業を担う企業の関係者がメンバーの多くを占める。資金もこれら業界から提供されており「日本土木業協会」とでも呼ぶほうがふさわしい。インフラ事業者が費用対効果の範囲内で安全対策をそこそこやろうね、という枠組みに過ぎない業界団体のマニュアルが政府機関の報告より上位に置かれる。司法もそれを追認し、東電経営陣に1、2審とも無罪の判決を出す。本書を通じて見えてくるのは日本の厳しく悲しい現実だ。

 2018年5月9日、東電刑事裁判第11回公判に証人出廷した島崎さんは「長期評価に従って防災を進めておけば、原発事故も起きなかった」と重大な証言をしている。長期評価の「生みの親」として、貶められた「我が子」の名誉を命あるうちに回復したい――今年79歳となる島崎さんの決意を私は本書の中に見た。私もその決意に応え、東電経営陣を告発した被害者の1人として、最高裁で逆転有罪を勝ち取らなければならない。

 司法が原発事故被害者の切り捨てをこれ以上続けるなら私にも覚悟がある。さしあたり、先の大戦で誰ひとり責任を取った者がいないのが裁判所と医学界だということははっきりさせておきたい。法衣の下に東電のユニフォームを隠し着て原発事故の責任を免罪し続ける裁判官たちと、通常の1000倍も甲状腺がんが過剰発生しているのに原発事故と無関係だと言い張り続ける医者たち。戦後80年の今年、この2つと徹底的に闘争し、戦争責任からきちんと取らせる――本書を読んで改めて固めた2025年の私の大目標である。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬来たりなば春遠からじというけれど・・・人手不足の春、来たる

2025-03-01 22:09:42 | 日記

3月に入った。

4月人事の公表は3月中旬でまだ明らかではないが、うっすらとわかっているのは、どうやら「サプライズ人事」はなさそうだということ。そしてはっきりとわかっているのは私自身にはこの春も異動はないということである。2013年4月から続く北海道生活は、丸12年を超え、13年目に入る。こんなに長く続くと思っていなかった(最近は毎年同じことを言っている気がするが)。個人的には、ここの生活はかなり気に入っているので、役職定年となる60歳まで、もうこのままでもいいと思っている。

一時は停滞気味だった私の精神状態は、当ブログ昨年10月12日付記事「天高く、復調の秋」で書いたとおり、かなり復調してきている。いったん休筆宣言した後「以前と同じペースでの執筆はできないとの条件で復帰」した「ある媒体」に関しても、結局、以前と同じペース(週1本程度)での執筆に戻りつつある。

ここ最近は、自分自身の停滞を象徴するような「おかしな夢」も見なくなったが、これには「悟りを開いた」ことが大きいだろう。今年1月12日付記事「日本社会の縮図だった同窓会と、私の「これから」」に書いたとおり、経営層や管理職、花形部署で看板業務をしている人たちが思う存分手腕を発揮できるよう、「評価対象にならなくても、職場・社会のために誰かがやらなければならない仕事」を引き受けることが私の今後の役割なのだ。

とはいえ、この4月以降、しばらく苦しくなることがはっきりしている。私の向かい側の席の人が、昨年10月以降、今年5月いっぱいまで育休に入っている。その代替要員を11月から採用し、5月いっぱいまで雇用を続けることになっていたのだが、結局、3月までで退職することになってしまったからだ。

育休者の代替要員としての雇用だったはずなのに、その人にも1歳児がいることを採用後に知らされた。上層部は、面接で事前に知った上で採用したとのことだが、実質的には短時間勤務に近く、代替要員としての意味は、振り返ってみるとほとんどなかったように思う。

少子化の進む日本にとって、子育てはある意味、仕事よりはるかに重要な国家的ミッションであり、それだけなら問題にするほどでもなかっただろう。だが、2月に入って以降、「今後、この仕事を続けていく自信がない」などの発言が出るようになり、突発的に休むことが増えた。様子がおかしいことは明らかだったが、先日、その理由が判明した。彼女が精神障害者保健福祉手帳を所持していること、それをカミングアウトせずに健常者として面接を受け採用に至っていたこと、等々である。

私はこれまで誰よりも長く労働組合役員を務めてきたし、連れ合いはケアマネージャー(介護支援専門員)の資格を持つプロの福祉職である。当ブログ昨年3月30日付記事「路傍の雪が溶け、他人の幸せを祝う春」でも書いているように、地域ユニオン(自由加盟の労働組合)に駆け込んできた26歳の若者の生活保護受給支援などの活動も続けてきた。少なくとも、障害者への差別意識は持っていないつもりだ。

この若者を就労支援施設にあっせんする過程で、最近の障害者の就労支援に関する状況も知ることができた。「障害者であることをカミングアウトすることは、就職活動上の義務ではない。障害者としての自己認識の結果、初めから障害者雇用一本に絞り込むことによって自分の可能性を狭めてしまうのではなく、カミングアウトせずに健常者と同じ雇用形態で自分の可能性を試したいと思っているなら、挑戦してかまわない」とアドバイスしている就労支援事業所が多いことを知ったのは、この活動を通じてである。

1歳児がいることは承知の上で採用を決めた上司も、精神障害者保健福祉手帳所持者であることは知らなかったという。彼女もまたカミングアウトせずに健常者と同じ雇用形態で自分の可能性を試したいと思って私の職場の採用試験に応募したのだろう。

ただ、1歳児の育児をしながらフルタイムの雇用形態で働くことは、健常者でも難しい。精神障害者保健福祉手帳を所持する人にとって、無謀な挑戦だったように私には思える。さすがに、彼女自身もそのことを悟ったようで、4月から採用される新しい職場では障害者雇用枠での扱いになるという。

本人にそのことを告げられたとき、課長は驚いて頭を抱えたというが、私は驚きながらもこのような結末になるのではないかという予感は、2月に入る頃からあった。さすがに「カミングアウトしていない精神障害者」という展開は予測できなかったものの、不安定な出勤状況や「今後、この仕事を続けていく自信がない」等の発言から、4月以降はどうなるかわからないな、という予感めいたものは薄々出てきていたのも事実だ。

本人には「自分に合った働き方を見つけたのであれば、それはいいこと。新しい職場で、自分の心身の状態と、今後の社会人としての未来、可能性とのバランスを上手く取りながら、進んでほしい」と無難にアドバイスした。

結果的に、4~5月の間、期待していた彼女は去り、育休中の社員も復帰しないまま、最も忙しい新年度を欠員で迎えることになる。現場業務を行う別の課でも、3月いっぱいで辞める臨時社員の後任者をハローワークで募集しているが、現在まで応募がないまま。こちらも欠員のまま4月を迎える公算が強まっている。

ここ数年、日本社会全体で人手不足が報道されてきた。私自身はこれまで他人事だと思っている部分もあったが、いよいよ私とその周辺にも影響が及んできたことになる。当ブログをいつも見に来てくれる非正規労働者の方のように、雇用形態としては本来、不安定な非正規であっても、ある程度長期間(数年以上)勤務し、業務にも熟練しているため代替が難しく、経営側が容易に解雇できない状況になっている労働者を、期間の定めのない正社員とまとめて「長期安定雇用グループ」に含めると、ここ数年来の日本の雇用状況は「長期安定雇用グループ」と、主婦・学生・シニアを中心とした「スキマバイト」「スポットワーク」と呼ばれる超短期間雇用に二極化しつつあるように思える。

両者のちょうど中間に位置し、これまで経営者から「雇用の調整弁」として扱われてきた数か月から数年単位での労働者を確保することが、著しく困難になってきている。「冬季だけの除雪作業員」「夏場だけの観光地での接客業務」「育休、病休者の代替要員」(数か月~1年程度)といった求人への応募が極端に少なくなっており、ここを埋めてくれる人材は、彼女のような精神障害者に至るまで奪い合いの状況になっている。

逆に「イベント期間中、3日間だけの応援」とか「クリスマス期間中だけの臨時菓子店員」といったスキマバイト、スポットワークには応募が殺到している現実もあるのだ。

4~5月の2か月だけ要員を採用する手もないわけでもないが、そんな短期間の求人に応募する人材が現れるとは思えないし、たとえ採用できても業務を教える間もなく終わってしまう。どう見ても「欠員のまま、残った人が残業で回す」以上の妙案は思い浮かばず、150%そうなるだろう。考えるだけで憂鬱な春である。

ここ数年は、向かい側の席に座っている社員が、アルコール依存でたびたび欠勤する人だったり、彼女のようにやる気はあってもメンタルがついて来ず、やはり休みがちだったりと安定しない状況が続いている。優秀な人事評価を得られているわけでもなく、普通に過ぎない自分自身を、私はこれまでたいしたことがないとずっと思っていた。だが、このような状況が長く続くと事態は根本的に変わる。「毎日きちんと定時出社して退社時間まで勤務を続けられる」「ルーチンワークを問題なくこなせる」という当たり前のことが価値を持つようになるのだ。少なくとも、私が上層部、管理職の立場であれば、働きぶりは人並みに過ぎなくても「先の見通しが立てやすい」社員に対しては、それだけでありがたいと思うだろう。

正直、5年くらい前までの私は、「偉くもなれず、若くもない」自分のような社員は、真っ先に早期退職制度(45歳以上が対象)の適用対象者になるのでは・・・という不安が頭から離れなかった。だが今の私にそのような不安はない。同期はみんな管理職昇任しているとはいえ、「歩のない将棋は負け将棋」(「歩」北島三郎)という昔の歌にあるように、どんな組織も兵隊がいなければ戦えないし、周囲の状況を見ていると、私は「歩」「兵隊」としてはかなり強い位置にいる。

4~5月は例年と比べ、3人いるはずの課を2人で回さなければならないのだから、忙しさ1.5倍の状況になること必至だが、このような全体状況と自分の立ち位置を考えると、まぁ良しとしよう。上層部、管理職にとって私が「先の見通しが立つ、使いやすくてそれなりに強い兵隊」としての価値を持っているならば、当面はそのような形で使われておくのが最も適切な生き残り策であることは間違いないのだ。

そういうわけで、北海道からの発信13年目になる当ブログに、引き続きご助言、ご鞭撻をお願いしたい。

歩/北島三郎


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【転載記事】関生支部・湯川裕司委員長に完全無罪判決!―懲役10年の求刑を打ち破る

2025-02-27 21:37:28 | 共産趣味/労働問題(公共交通・原発除く)

レイバーネット日本からの転載です。

---------------------------------------------------------------

2月26日 京都3事件 関生支部・湯川裕司委員長に完全無罪判決!―懲役10年の求刑を打ち破る/愛知連帯ユニオン

この日、京都地裁には、ベストライナー・近畿生コン・加茂生コンの京都3事件の判決があり、全国の支援300名、韓国オプティカルハイテクの仲間が駆けつけて早朝より集会を行いました。経営側(大阪生コン広域協組/写真下)も250名が傍聴抽選に並びました。10時に開廷した法廷では、懲役10年の求刑を受けていた湯川裕司委員長に3事件すべてに無罪の判決があり、2時間に渡って判決が読み上げられました。

ベストライナー事件は、2014年からの生コン輸送会社の解散争議で、労働組合が経営者団体である京都生コン協同組合に1億5000万円の解決金を支払わせたことが恐喝とされた事件です。


近畿生コン事件は、近畿生コンの廃業に伴い、協同組合が労働組合に6000万円の清算金を支払ったことが恐喝とされた事件です。
加茂生コン事件は、(1)就労証明書の発行、あるいは(2)廃業に当たってプラントの解体とミキサー車の引き渡しを求めたことの共謀が問われた事件です。
いずれも元々、犯罪等とされる筋合いのない「事件」でした。

ストライキ通告は恐喝には当たらない

判決は、生コン業界では過当競争の抑制が必要とされ、通産省も共販を奨励していて、京都協同組合でもアウト業者による廉売対策が課題であったという背景を認定、他方、関生支部のストライキは、時に就労してない者も動員し、車両の前に立ちはだかる等して出荷を止めるようなこともあったが、事業者側が出荷を自粛する、あるいはアウト対策としてコンプライアンス活動を行う等というものでもあったと認定しました。

そして、京都3事件以前の10年間は直接出荷を止めるようなストライキがない等、生コンの価格維持に共同して取り組んでいた京都協組と関生支部の具体的関係に踏まえ、検察の「関生支部が京都協組を畏怖させ、思いのままに支配していた」という主張を退けて、恐喝行為を認めませんでした。

「争議行為が生産の一定の阻害を想定している」ことからして、労働問題の解決を目的にした関生支部のベストライナー事件におけるストライキの通告を「害悪の告知」による脅迫とすることはできないとしました。また、京都協組側が争議の金銭解決を提案し、関生支部側がそれに加えて7人の組合員の雇用保障を求めたという組合側の主張を信用できるとしました。

近畿生コン事件においては、京都協組内の人事交替で労働組合と協調路線に転換しており、アウト業者に転売されないよう労組がプラントを占拠した費用を京都協組が負担したことに恐喝は存在しないと認定しました。

加茂生コン事件では現場の概要の認識はあっても、現場での詳細なやり取りにまで被告たちが関与したとは言えず、あるいは、プラントの解体要求は労組以上に協組の利益となるものであり、協組の独自の利害から出た言動と考えられるとしました。

15時から弁護士会館で湯川委員長と5人の弁護士による報告集会

報告集会には100名の支援が参加、湯川委員長からは支援へのお礼が述べられ、「弾圧以降は最悪の事態を想定した組織運営をしてきたが、今日は裁判官の顔が穏やかで、もしや、無罪かと解った。2019年に当時大津事件で勾留されていたが、京都事件で京都に移送され、その後、3回逮捕された。それから6年、労働法学者先生の証言が採用され、私たちの産別運動が労働組合活動として認められたのが嬉しい。権力と一体化した使用者側には運動で返していく。今日は仲間と労をねぎらいながら飯を食べるのが楽しみです」と喜びを語りました。その後、事件を担当した5人の弁護士から判決の解説があり、保釈請求の準備をしたこと等のエピソードも語られました。

闘いが報われた日

2018年以来、81名の組合員が逮捕され、湯川委員長(写真左)は644日も勾留された「戦後最大の刑事弾圧」(労働法学者声明)。その中でも最後に最も重い罪に問われた京都事件で無罪判決が出されたことは、関生弾圧が不当弾圧であったことを白日の下に明らかにしました。

関生支部は京都事件について、京都、名古屋、東京、沖縄などでシンポジウムを開催、大手メディアが沈黙する中、良心的なジャーナリストたちの力を借りつつ地道な発信を続けて来ました。これからも困難な闘いの日々が続きますが、この日は大勝利の1日となりました。全国の支援の皆さん、本当にありがとうございました。

---------------------------------------------------------------------------------

恐喝罪など問われた関西生コン幹部ら2人に無罪判決 京都地裁(NHK京都)

関西の生コンクリート業界の労働組合の幹部ら2人が、京都府内の生コンクリート製造販売会社で作る協同組合の理事らを恐喝し1億5000万円を支払わせたなどとされた事件の裁判で、京都地方裁判所は2人に無罪の判決を言い渡しました。

無罪が言い渡されたのは、関西の生コンクリート業界の労働組合、「全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部」の武健一元執行委員長(83)と湯川裕司執行委員長(52)です。

2人は、2013年から2014年にかけて、生コンクリートの輸送会社の倒産をめぐり、製造販売会社で作る協同組合の理事らに対し、組合員の退職金などを名目に解決金の支払いを要求し、出荷を妨害するなどして1億5000万円を支払わせたなどとして、恐喝などの罪に問われていました。

26日の判決で、京都地方裁判所の川上宏裁判長は、「ストライキをはじめとする争議行為はその性質上、労働組合が使用者に一定の圧力をかけ主張を貫徹することを目的とする行為で、業務の正常な運営を阻害することはもともと当然に予定されているものだ」と指摘したうえで、「要求行為が脅迫に該当するとはいえず、犯罪の証明がない」などとして、無罪を言い渡しました。

判決について、京都地方検察庁の石井壮治次席検事は「判決内容を精査し、適切に対応したい」とコメントしています。

 
 
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする