「方便」はマスコミのでっちあげ 





鳩山氏は、「海兵隊も地上部隊とヘリ部隊が切り離せないとの話になり、全体としての米軍の存在があるんだ」とヘリ部隊の存在意義をきちんと説明した上で「抑止力」という言葉を使っている。選挙中に「最低でも県外」と発言していたときの鳩山氏はヘリコプター基地の役目を理解していなかった。

ベトナム戦争の時、サイゴンが陥落寸前のときにベトコンに包囲された南ベトナム側の人々を救ったのはヘリコブター部隊だった。カンボジアのクーデターのときもヘリコプターは同じ働きをした。また、フィリピンのイスラム原理主義の部隊と戦ったときもヘリコプターを使った。ヘリコプターはジャングルの戦闘で活躍すると同時に、敵に囲まれて脱出できない者を救出するのに必要である。戦争は戦闘だけではない。傷ついた兵士を運んだり、窮地に追い込まれた部隊や民間人を救出するの戦争のひとつだ。ヘリコプターは戦争になくてはならないし、暴動が起こった時や自然災害の時もヘリコブターは活躍する。

「抑止力」は嘉手納飛行場や原子力空母、潜水艦、スパイ衛星などのアメリカ軍全体で働くのであり、ヘリコプター基地も重要な存在である。一部の部隊が「抑止力」を持つものではない。鳩山氏は首相になり、普天間基地を県外に移す行動に出て初めて、官僚たちに「抑止力」ついて説明されてそのことに気づいたということだ。

「最低でも県外」を公約にしていた鳩山氏は官僚の説明に本当に納得したかどうかは疑わしい。まだ、本当には納得していなくて、論争でやり込められたことに不愉快な思いをしているかもしれない。だから、記者に言葉尻を取られて「抑止力」という方便が必要だったのかという誘導尋問に乗って、「それを方便と言われれば方便だが」といったのだ。しかし、鳩山氏は「方便」とはっきり言ったのではなく。中途半端な言い方をしている。それは県民に向かって「最低でも県外」と公言したのに、辺野古に戻ってしまったことを県民に大変すまないことをしてしまったという気持ちあったからだろう。

鳩山氏はきちんとアメリカ軍の全体が抑止力であり、その一翼をヘリコプター基地が担っていることを説明した上で「それを方便と言われれば方便だが」と述べている。ところがマスコミは鳩山氏の首でもとったように「方便」を大々的に宣伝したのだ。

鳩山氏の発言の中で真剣に検証しなければならないのは、「海兵隊も地上部隊とヘリ部隊が切り離せないとの話になり、全体としての米軍の存在があるんだ」の発言だ。普天間基地の辺野古移設反対を主張する人たちはヘリコプター基地は抑止力がないことを根拠にしている。しかし、ヘリコプター基地を単独に判断してはならないというのが鳩山氏の説明だ。サッカーは、11人の選手がゴールキーパー(GK)、ディフェンダー(DF)、ミッドフィールダー(MF)、フォワード(FW)の4種の役目に分かれ、それがひとつのチームとして闘う。それと同じようにアメリカ軍の「抑止力」はそれぞれの役目を持った部隊の総合力で効果を発揮するということだ。

嘉手納飛行場の代わりは原子力空母ができるが、ヘリコプター基地の代わりは原子力空母では難しいだろう。

革新政治家たちは沖縄のアメリカ軍基地はアメリカの安全を守るために押し付けられていると主張するが、日本政府は日本の安全を守るためにアメリカ軍駐留を望んでいたことは否定できない。
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