上原氏琉球新報を提訴







戦中戦後の沖縄の様子をアメリカの公文書を丹念に調べて琉球新報に掲載していた上原正稔氏の「パンドラの箱を開く時」は興味深く読んでいた。
沖縄戦を描いた本の多くはかなり政治色の強い内容であると私は感じていたが、上原氏の文章は客観性があり、通常の戦争本とは違っていた。

琉球新報を提訴した理由に、「慶良間の集団自決の真相を広く県民に伝えようとした表現を封殺された」と述べているが、それはありうることだと思っている。

私は、集団自決の原因を日本軍の強制だけの性にするのには疑問がある。自分で自分の命を絶つということは最終的には自らの選択でもあり、その選択をさせたもうひとつの原因は教育にあると書き、手りゅう弾を渡したのは日本軍であり、手りゅう弾のピンを抜かしたのは沖縄の教育であったという内容の文章を投稿したが掲載されなかった。
また、「鬼畜米英」を広めたのは日本軍だけでなく、沖縄の知識人、教育者、役人も広めた。日本になじんでいない沖縄の人々が日本軍のいうことを真に受けるはずがなく、沖縄の知識人、教育者、役人の言動のほうが沖縄の人々には浸透していったはずであり、、「鬼畜米英」、「アメリカ軍に捕まったら女は乱暴され、男は股裂きにされる」という噂が信じられたのは沖縄の知識人、教育者、役人にも責任があるというような内容の投稿もしたが掲載されなかった。

掲載されたかったので、露骨な表現を避けたが駄目だった。教育関係でも、内容によっては掲載されなかった。

新聞社は公的な会社ではなく、私的な会社であるというのが投稿して初めて痛感した。軍国主義時代の検閲と同じかそれ以上の検閲を新聞社はやっている。

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