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エジプトと日本・沖縄は違う・・・金平茂氏紀批判








TBS「報道特集」キャスターの金平茂紀氏はエジプトと沖縄・日本の政治状況の違いを理解していない。エジプトの若者たちの運動は自由と平等を求めた民主主義革命だ。それを金平氏は民衆革命と呼んでいる。民衆が広場に繰り出して反体制を叫ぶんでいるから民衆革命といえるが、このような革命は過去にもあった。ロシア革命の始まりもそうであった。民衆の怒りが結集して反体制運動になっていっても、反体制運動の方向は色々ある。

今度のエジプトの反体制運動は若者を中心とした明確な民主主義運動であることに大きな意義がある。フェースブックやツイッターは金平氏のいうように道具ではある。しかし、エジプトの運動が非組織的な運動であり、その運動が独裁体制を倒せるほどにまで拡大していったのは今までの歴史にないことだ(専門家ではないので"多分"ではあるが)。
フェースブックがなければ体制を倒せるほどの運動まで発展しなかっただろう。
独裁政治は徹底して報道を規制することによって都合の悪い情報を遮断する。しかし、インターネットの世界になって独裁国家が情報を遮断することができなくなった。このインターネットの世界が民主主義の拡大に大きく貢献している。


金平氏は日本の若者がエジプトのようにデモをしないことを批判し、デモは国民の権利であり、日本国憲法は集会・結社の自由を保障しているのに、日本の若者は街頭で意思表示すること自体が悪いことであるかのように長年の教育の過程で刷り込まれてしまっているのだと嘆いている。

金平氏はエジプトのデモを半分お祭りのようなものとして見ているようだ。日本にはあってエジプトにはないものを求めてエジプトの若者はデモをやったのだ。つまり、金平氏のいうように日本はデモは国民の権利であり、日本国憲法は集会・結社の自由を認めている。日本は民主主義社会である。エジプトの若者は日本国憲法が保障している自由・平等の民主主義社会を求めてデモをしたのだ。エジプトでデモをすることは命がけである。実際の何百名という死者が出ている。このよなエジプトと同じ目的のデモを日本の若者はやる必要はない。

1970年の「コザ暴動」とエジプトの反体制運動とは質が全然ちがう。確かに戦後沖縄はアメリカ軍の管理下に置かれたが、アメリカ軍が沖縄社会を直接支配していたわけではない。選挙権、表現の自由、商業の自由など沖縄の政治体制は民主主義に近かった。琉球政府主席、立法院、裁判所と三権分立の体制であったし、独裁政治ではなかった。瀬長亀次郎が那覇市長になったときのアメリカ軍の瀬長亀次郎追放は有名な話であるが、共産主義圏とアメリカが冷戦状態であるにも関わらず共産主義の瀬長亀次郎の那覇市長を認めたことは評価するべきではないか。瀬長亀次郎への弾圧は武力を使ったわけではなかった。アメリカが沖縄を武力支配しなかったのも私は評価する。

主席はアメリカ民生府が任命したので純粋な民主主義社会ではなかった。しかし、戦前に比べれば戦後の沖縄の庶民は数段も開放されたし、経済も活発になり生活も向上した。そのような社会をつくったのはアメリカ軍であった。沖縄はエジプトのように独裁政治であったわけではなく、コザ暴動も沖縄の人々の自由と権利を求める運動ではなかった。

コザ暴動は米兵の犯罪を沖縄が裁けないという不満が下地にあったのは事実である。しかし、コザ暴動は何十台ものアメリカ兵の車が燃やされ、大変な暴動に発展するくらいの勢いであったが、朝になるとあっけなく終わっている。コザ暴動は派手ではあったが内容は一時的な感情に任せた一夜のお祭りのようなものだったのだ。


県外移設を最初に模索したのは小泉元首相だ。
新聞コラムでは県外移設を最初に目指したのは鳩山としているが、それは事実ではない。普天間移設で最初に持ち上がったのは辺野古海上案だった。小泉首相時代に移設のための海底調査を始めたが、移設反対派の激しい抵抗があり調査は進まなかった。それに海上案は色々不都合な点が分かり、海上移設は断念した。その時に小泉首相は沖縄県の反発もあることから県外移設を目指すことを宣言し、守屋武昌元防衛次官に県外移設をするための調査を命じた。しかし、「総論賛成各論反対」のために結局は県外移設を断念した。
県外移設断念の次に考えられたのがV字型滑走路案だったのだ。私は新聞報道でそのことを知っている。それなのになぜ新聞社の人間であるのに事実に反したことを書くのだ。

鳩山氏にもっとも欠けていたのは、「信念を実行に移すための統率力」ではなく、小泉元首相時代の情報を参考にしなかったことだ。鳩山首相時代に出た県外移設のアイデアはほとんど全て小泉元首相時代に調査した上で断念したものであり、新しいアイデアはひとつもなかったこ。守屋武昌元防衛次官へのインタビューでそれが明らかになったではなかったのか。

エジプトと沖縄がつながっているとする金平氏は、エジプトの命を賭けた民主主義革命の重さを知らない。そして、コザ暴動を美化している。
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