集団自決は二重の悲劇

 集団自決の記述から軍命を削除・修正した検定問題に対する抗議署名が7万人を超えた。これは実行委員会の予想を超えたものであり抗議署名はまだまだ増えるという。
 
 集団自決は悲劇である。教科書検定に対して抗議の反応が高いのは集団自決の持つこの上ない残酷な惨劇であるからだろう。親が子を殺し、夫が妻を、兄弟が殺しあうのである。手榴弾で死ねなかった時は鎌や棒で殺したという。
 あまりにも悲惨である。私が高校の頃は慶良間で集団自決というのがあったらしいという噂は聞いたことがあったが、今日のように体験談が新聞に掲載され、世間の話題になることはなかった。
 生き残った人は口を閉じて話さなかったと聞いたことがある。余りにも残忍であり、しかも親兄弟が死んだのに自分だけが生き残ったという自責の念も強かった。
 

 集団自決は根本的には軍命である。皇民化教育が徹底され、天皇ために死ぬことが名誉である教えられた沖縄の人たちにとって軍の命令は天皇の命令であった。

 渡嘉敷村の集団自殺の時は「天皇陛下ばんざい」と叫んでから自殺している。渡嘉敷という離れ島で戦争と関係のない生活を送っていた貧しい人々が日本の軍国主義が勝ち目がないと知りながら仕掛けたアメリカとの戦争に巻き込まれて集団自決に追い込まれた。残酷な運命である。

 なぜ、彼らは自決することができたのだろうか。そこにメスを入れないと沖縄の問題の底が見えてこない。

 米田光子さんの証言で、光子さんたちが集団自殺の現場から逃げる時に「あんたたちは日本人じゃないのか。逃げるのか。」と言われている。集団自決をした人々の最後のプライドは日本人として死ぬことであった。それは沖縄人としては悲痛なことではあるが認識しなければならない。
 沖縄は懸命にいや命がけで日本になろうとした。沖縄が豊かになるには日本になることであると信じていたのだ。
 皇民化教育は日本政府が沖縄に押し付けた面もあるが、沖縄の知識人や政治家は積極的に皇民化教育を受け入れている。沖縄が日本の一員として認められるには戦争で活躍することであると知識人や政治家そして教育者は啓蒙していたのだ。
 
 沖縄人は日本にあこがれ日本人になることを望み、日本の中央政府や軍部に認められる努力をした。原因は沖縄の貧困である。日本政府を信じ、軍部を信じ、天皇崇拝の沖縄になった根本には沖縄の貧困がある。
 
 戦後、すぐに高揚した大衆運動は祖国復帰運動である。集団自決、10万人近い民間人が死んだ沖縄戦は日本軍部がアメリカに仕掛けた性であると分かっていても戦後沖縄は祖国日本に帰ることを望んだ。
 
 集団自決と祖国復帰運動は沖縄人の根底で通じるものがある。それは日本に身も心もあずけるという姿勢である。沖縄の根底にはだから自立の思想がない。
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もっと文民統制の主張を

 表現の自由侵害 違憲か
  「戦力」の矛先われわれに

         高良鉄美(1954年生、琉球大学法科大学院教授

       に対する私的批判

 高良氏は辺野古の事前調査に自衛艦を派遣したことが言論の自由、集会の自由に対する無言の圧力であり憲法違反と主張している。
 自衛艦派遣が自由への圧力ということに対しては疑問である。海上での基地建設反対派の抗議行動は国が決めたことに対する実力を伴う反対運動であり、国が事前調査を成功させるために自衛艦を派遣するのは表現の自由への圧力にはならないと思う。

 「海自投入を問う」のシリーズに投稿している知識人の意見はほとんど共通していて海自の投入を言論の自由、集会の自由への圧力と主張している。しかし、国の調査を邪魔する目的の行動への国の対処は自由の圧力にはならない。
 こじつけのひどい主張である。

 
 自衛隊がアメリカ軍の飛行場建設の事前調査をやっていいかどうか。このことは法的に自衛隊活動を定義づける重要な問題である。
 高良氏は自衛隊が事前調査するのは自衛隊の任務外としている。

事前調査は

 侵略に対する防衛任務ではない。
 公共の秩序、安全の維持は警察の任務である。
 災害派遣に該当しない。
 人命、財産保護、治安維持の対象ではない。
 緊急性、非代替にも当たらない。

として、自衛隊の事前調査は自衛隊任務を逸脱していると主張している。

 自衛隊は国家機関であり法によって行動する。特に自衛隊は武器を使用する殺人集団であるのだから特に法を遵守した行動をしなければならない。
 高良氏は「今回の安易な派遣は、国民に、シビリアンコントロールの基盤の弱さに対する不安を感じさせるだけでなく、戦力の矛先が自分の側に向けられる懸念を強めるものである。」としめくくっている。

 問題は政治家の中にシビリアンコントロールをいい加減に考えている者がかなりいるということである。久間防衛省大臣がそうである。
 マスコミが情報収集しているのに自衛隊が情報収集してなにが悪いのかと公の場で発言している。その発言は非常に深刻ん゛問題を含んでいる発言である。
 マスコミと自衛隊はそのあり方が全然違う。マスコミは情報を集めて国民に知らせるのを業としている。しかし、自衛隊は武力を持ち、外国からの侵略を防衛するのが任務である。国内の特定の市民を調査するのは自衛隊には法的に許されないことである。

 自衛隊の事前調査を自由への圧力であるという主張は遠慮した方がいいと思う。その代わり自衛隊のシビリアンコントロール、法の遵守については徹底的に追求するべきである。
 民主主義国家をつくるために。
 

 
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