陸自情報収集は憲法違反


陸自情報収集について

琉球新報2007年6月7日掲載

 陸上自衛隊の情報保安隊が自衛隊の活動に批判的な市民団体などの動向を
調査した「内部文書」作成した問題で、久間防衛相は

「自衛隊の活動に関し、市民団体などの動きが国民全体の中で非常に多くなれば止めようとか、少なければ堂々とやれるとか、その判断材料になる。世間の動きを正確に把握することは悪いことではない。皆の動きを情報収集するのを悪いと思うこと自体がおかしい。」と発言している。

 民主主義社会では自衛隊はシビリアンコントロールでなければならない。自衛隊が政治判断をやっていはしけない。自衛隊の自発行動は許されず、自衛隊の行動は政府が決定することなっている。ところが久間防衛相は自衛隊が国民の動向を情報収集して国民の動向を見ながら自衛隊の行動を判断するのは当然だと発言している。
 つまり自衛隊がみづからの意思をもつことを認めているのである。この思想はシビリアンコントロールの思想から脱線している。自衛隊は外国と対峙する存在であって国民を支配したり国内の内情を調査してはならない。自衛隊は独立した存在ではなく独自の思想を持ってはいけない組織なのだ。
 市民団体は国民であり市民団体の支持する政党が政権を握ることもあり得る。もし、自衛隊に反対する政党が政権を握る可能性があった時には自衛隊はその政党を破壊する工作をやっていいのだろうか。市民団体の動向を調査して自衛隊の行動判断の材料にするということは極端に言えば自衛隊が政治権力に介入することを認めるということである。

 自衛隊は国民に対して自衛隊独自の意思を持ってはならない。特定の市民団体を調査するということは自衛隊が国民に対して独自の意思を持つということである。それは民主主義国家では許されないことである。だから自衛隊内に国民の動向を調査する部隊があることがあってはならない。自衛隊が国民の動向を調査するということは国民主権を無視することである。
 自衛隊に批判的な市民団体を調査をするのなら公安委員会がやる仕事である。政府がその市民団体を国家に対して危険な存在として指定するなら公安委員会が調査するのは法的には問題がない。しかし、政府が国家にとって危険な存在であるとを証明できないのなら公安でも調査する権利はない。

 共産党の緒方晴夫氏の追及も的がはずれている。

「市民の自由、結社の自由に公然と踏み入るものだ。」と主張したが「団体が公開の場で行う集会に出かけて事実を把握するだけで表現の自由を抑えるものでもない。」と久間防衛相に反論されている。この討論では久間防衛相の弁に分がある。 自衛隊の国民への情報収集は「市民の自由、結社の自由」の問題ではないのに的を外れた追求をするから反論されるのである。

 「写真撮影は違法だ。」という追及に「マスコミなども一般的に写真を撮っている。取材がよくて自衛隊が駄目だという根拠はない。駄目なものは誰がやっても駄目だ。」と反論している。
 反論を食らった原因は自衛隊の情報収集を「市民の自由、結社の自由に公然と踏み入るものだ。」という視点から追求したことに原因する。ブルジョア国家をひとくくりにして敵対視する共産党の欠点である。一党独裁政治が共産党の理論であるから自衛隊も警察もひとくくりにしてしまう。自衛隊=軍隊と警察を区別していない共産党であるために突っ込みが足りない。

 久間防衛相は自衛隊が国民の動向を調査することを認めている。それは自衛隊が独自の意思で国民と対峙することを認めていることになり。民主主義国家の軍隊はシビリアンコントロールでなければならない規律を逸脱している。
 自衛隊とマスコミは性質がぜんぜん違う。マスコミは情報を集めて公開報道する
ことを使命にしていて、情報収集は公開するためにやっているのだ。
 一方、自衛隊は武力を持ち外国からの侵略を防ぐために戦うことを使命にしている。自衛隊にとって国民は守らなければならない存在であって国民と対決したり国民の一部を差別してはならない。

 自衛隊の最高司令官は首相であり国民を代表する者である。自衛隊の長も民間人であることを前提にしている。民主主義国家日本では自衛隊はシビリアンコントロールをされなければならない。

 情報を収集するということは情報を分析することにつながる。情報を分析すれば対策を練ることになる。つまり意思を持つことになる。自衛隊が国民に対して特別の意思を持つことは憲法違反である。公安警察が国内の情報収集することと自衛隊が情報収集することは法的に違うのである。

 共産党にとっては公安の情報収集も自衛隊の情報収集も同じ国家の市民弾圧に見えるのだろう。共産党が民主主義社会を発展させる力になれないのは残念である。

 久間防衛相の「マスコミなども一般的に写真を撮っている。取材がよくて自衛隊が駄目だという根拠はない。駄目なものは誰がやっても駄目だ。」という発言は民主主義を否定する暴論である。こんな暴論をされてしまう共産党、野党はだらしがない。イライラする。

 自由法曹団は

「自衛隊情報保全隊は内部情報の流出や漏洩を防止するのがその任務。国民に対する捜査権もなければ、監視、調査の権限もない。・・・国民の基本的人権を抑圧しようとすることは、戦前の暗黒政治を復活させるものであり、現憲法下では絶対に許されない暴挙」と即時中止を求めた。自由法曹団の意見が妥当である。

 「戦前の暗黒政治を復活させるものであり」は大げさであり、書かないほうがいいと私は思う。しかし、民主主義国家では自衛隊には国民に対して捜査権もなければ監視、調査の権限がないことを強力に主張して自衛隊の市民団体の調査は止めさせなければならない。自衛隊の国民に対する権限をはっきりさせるために裁判をするのもいい方法である。

 新基地阻止の市民団体は

「すべての国民に対し国の意向に従わせようとするものであり、従わない者に銃口を向けるもの」と批判しているが、この批判は被害妄想であり、的外れの批判である。的確な批判ではない。

防衛省の守屋事務次官は

「監視ではなく、特定の人物をマークしたり、排除したりするためにやったわけではない。」と答弁しているが
国民を調査することが自衛隊はやっていけないこどてある。

 イラク派遣に反対した民主党議員らを「反自衛隊活動」位置づけたことは自衛隊が独自の意思を持ったことでありシビリアンコントロールを逸脱したものであり許されるものではない。自衛隊がこのような体質になったのは自民党が長い間政権についていることも原因する。自民党と民主党の二大政党になることが望まれる。

 自衛隊への批判は民主主義国家発展の手段と考えるべきである。日本の民主主義社会はまだ未成熟であり永続的に民主主義変革をしていかなければならない。今回の自衛隊情報収集問題では自衛隊が完全なシビリアンコントロールされることを目的にして抗議や批判はするべきである。

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