辺野古移設反対運動で初めて死者が出た 原因は牛歩運動

辺野古移設反対運動で初めて死者が出た 原因は牛歩運動


辺野古埋め立てが進むにつれて埋め立て反対の県民は減っていった。
辺野古移設については、最高裁判決で、玉城デニー知事が軟弱地盤の改良のため設計変更を承認する義務を負うことが確定した。にもかかわらず判決に従わなかったため、国は承認を代執行し、工事は1月に着手された。さらに2月末には、代執行のために国が起こした訴訟で県の敗訴が確定した。
埋め立て反対のデニー知事は裁判で敗北したのだ。政府が埋め立ての執行権を県から政府に移す代執行権利を最高裁は認めたのだ。それに加えて、県会議員選で埋め立て容認の自民党が勝利した。辺野古埋め立ては法的にも政治的にも阻止することが不可能であることがはっきりした。デニー知事派敗北し辺野古は終わったのである。


ところが辺野古容認が決まった県議会選挙の12日後に名護市安和で辺野古埋め立て反対運動の犠牲者が出た。犠牲者は反対運動家ではない。警官でもない。民間の警備員でぁる。辺野古埋め立て反対運動で死者が出たのは初めてである。
死者が出たのは辺野古ではない。名護市安和である。辺野古とは反対の西海岸で犠牲者が出た。安和は土砂の搬出港である。反対派は港の出入り口で牛歩戦術でトラックの出入りを邪魔していた。
 牛歩戦術とは車道をゆっくりと横断してトラックを停める戦術である。横切るときに停まったら違法行為であるがゆっくり歩くのは違法ではない。牛歩戦術は効果があり、写真のように土砂を運ぶトラックが立ち往生する。運ぶ土砂はかなり減る。牛歩戦術は埋め立てを阻止することはできないが遅らすことはできる。埋め立てを遅らすのが目的の牛歩戦術である。遅らすことが反対派の勝利である。反対派は牛歩戦術で土砂運びを遅らせることを勝利としている。アホらしい。




◎反対派は埋め立てを遅らすのを目的にして牛歩戦術の運動を展開しているが、政府も米軍も埋め立てが遅れることを気にしていない。遅れても困ることはないからだ。普天間飛行場を辺野古に移設することが政府の本当の目的ではない。
 自民党政府が辺野古移設を決めたのは反米軍運動を鎮静化するのが目的だった。
1995年に三人の米兵による少女暴行事件が起こった。それを発端に沖縄の米軍基地に反対する運動が激しくなっていった。翌年には8万5000人の沖縄県民総決起大会が開かれた。反米軍運動がこれ以上高まっていくことを恐れた自民党政府は運動を鎮める方法として普天間飛行場の移設を考え出した。
県内は普天間飛行場の国外、県外、県内などの移転に関心は移った。辺野古移設は県民の反米軍感情を抑えるのが目的である。反米感情が高まらなければ辺野古に早く移設する必要はない。




移設反対派が移設阻止ではなく、移設引き延ばしの牛歩戦術を展開しているのは政府の望むことである。
米軍は辺野古に移設したくない。辺野古は海に囲まれているからだ。暴風などの塩害で戦闘機の被害は大きいだろう。できるなら普天間飛行場に留まりたいのが米軍の本音である。しかし、日米政府が辺野古移設を決めた。米軍は政府の決めたことに従わなければならない。牛歩戦術で移設が伸びるのを米軍は歓迎している。


辺野古移設反対派が牛歩戦術を展開している港で死亡事故が起こった。事故が起こったのは港の出入り口である。
上の写真のように真っすぐな国道であったなら事故は起こらなかっただろう。港の出入り口であったために事故が起こったのである。道路は広いし写真では事故が起こるような場所とは思えない。しかし、事故は起こった。

 反対派の牛歩戦術によるトラックへの接近は異常なほど接近していた。事故が起こる可能性が高かった。だから、土砂を運ぶ会社は県に警察を派遣するように何度も申請した。しかし、県は「法的根拠がない」いう理由で会社の要請を無視した。会社は事故を起こさないために独自に警備員を雇ったのである。事故を防ぐために雇った警備員が事故に巻き込まれ死んだのである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 米兵差別の8...   
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。