Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

道程~Oの愛した光景

2014-08-03 10:00:54 | 日記・エッセイ・コラム

Oさん、去年暮れの急逝より半年余り。貴初盆が近づきました。一報に接した時は、本当に貴訃報を直ちに受け容れる事ができませんでした。ただ、どんな悲報であっても、引きずるべきでないのも事実です。大変な状況下、早めにお知らせを下さったご家族に、今はただ感謝する日々であります。

それにしても、巷では芳しくない事態が続いております。国内にあっては、父の故郷に近い、長崎県下での女子高生同士の、又、我々にとり大切な土地たる新潟県下にては、性的変質者によるとされる、暴行殺人が明らかにされました。犠牲被害の各位には、一言弔意とお見舞いあるのみ。地方や容疑者の年代こそ違え、共通すると思われるのは、それぞれ自身の価値基準がとち狂っていると言う事でしょう。長崎県下の方は、容疑者の小動物解剖体験が昂じて人にまで及んだ側面が指摘され、新潟県下のそれは、容疑者が、昨年来性暴力事件などを頻発していながら見過ごされていた所があります。これらの深刻な「病んだ価値観」を持つ者に対しては、その兆候が事前に掴めたはずですから、一般市民に害悪が及ぶ前に日頃からの行動監視を決行し、地域レベルでの警戒を強めるべきでした。我国では、こうした事件が生じると、何かと言えば「(容疑者の)個人の人権尊重」などと口走る者が蔓延って、本当に必要な安全確保が等閑にされ続けて来た所がありますね。もう欧米先進国では当然の事となった「本当に大事なのはどちらか」との思考と対策が、いつまで経っても講じられない。人としての、思考の進化が停滞してしまっているのです。まあエセ人権勢力共は、進歩に必要な勉強も思考も放棄してしまった「猿以下」に堕ちていますから、余り取り合わず、社会の安全を守る為の議論を進めるべきだとも愚考する次第。それと、報道メディアも事件報道につき、加害者に偏った報道を行っていなかったか反省を加えられるべきだし(これは自浄力に期待するだけではダメだと思います。)、酷な様ですが、被害者側にも「己だけは大丈夫」の様な油断がなかったか、再考をお願いする位は考えられて良いのでは、とも思います。とまれ、事件の大元に横たわるのは、加害者よりは道徳心を、被害者よりは警戒心を奪い去った「戦後レジーム」そして「戦後教育」のあり様自体にあると、俺は信じます。安倍現政権は、その「戦後レジームよりの脱却」を目指し、色んな法制を整えるべく行動を起こしているのは認めますが、何よりも「こんな体制を国民市民レベルの力で壊し、もっと日本及び日本人の幸せに近づけられる仕組みにすべき」との強い意思が必要だとも思いますね。こう書くと、もう「革命」に近い趣もありますが、我国の現状を顧みると、もうこれ位の思考が必要な段階に来ている様な気がするのです。

海外にあっては、やはり半世紀を超えて続く、中東パレスチナの戦乱が最大のそれでしょうか。これらの事共には、多くの犠牲を生じたのが遺憾なるも、民族と宗教の問題が大きく関わりますので、立ち入った見解は控えますが、我国のエネルギー需給にも大きく影響するだけに、早い時期の平定が強く望まれる所です。これらの「戦争と平和」の問題に、本当は強い影響力を持たなければならない国際連合の力量が再考される事や、当事国の一方だけに肩入れするとされる、米合衆国の姿勢も問題視されて良いと思います。大変相済みません。記事が脱線してしまいました。ここらで戻します。

当地、JR名古屋駅を出た列車は、金山副都心にて方向を南東から北東に変え、一路長野の松本盆地を目指します。沿線には、愛知・岐阜県境の紅葉名所、古虎渓(この辺りに、高度成長の頃ルート変更された旧中央西線の廃線敷きが残り、時折公開される事があります。)や悪友との行動で馴染みとなった、瑞浪市より恵那市へと至る田園、中津川市郊外の木曽川沿いにある桜並木、馬篭・妻籠の両宿場の近辺や、名勝「寝覚めの床」を脇に見ながら、木曾・信濃の分水嶺、鳥居峠を北へ越えて、松本盆地へと至る次第。

勿論、まだ行程は続きます。松本よりは、有名な冠着(かむりき)峠を越え、余り名誉ではない名の、姨捨(おばすて)駅より臨む、緩やかな千曲の流れと長野盆地、それに同市中心街の模様は、亡き作家 宮脇俊三さんが「我国の鉄道車窓三景に入る」と称賛されたのは、ご存じだったと心得ます。これは本当に良い景観です。善光寺の門前、長野よりは、長野・新潟県境の妙高高原を北へ越え、桜の名所、高田城址を擁する上越市より日本海岸を新潟へと向かうのはご存じの通り。海水浴場としても名高い、鯨波海岸にて暫し貴方と撮影に興じたのは、今も良い思い出です。

とまあ、貴方ももうお分かりの、当地より新潟磐越へのルートをざっとおさらいして参った訳ですが、この行程も様変わりしようとしています。来春に迫った北陸新幹線 長野~金沢間開業で、特に信越線 長野~(上越市)直江津間の経営変更がほぼ確実となり、これまで親しんで来た、この行程も来春よりは変更のやむなきかも。尤も今でも、全国の夜行列車が退潮している所では、陸上唯一の直行交通手段、夜行高速バスに流れがちであるのも事実です。

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