「春に三日の晴れなし」の言葉通り、今日の当地は朝から雨模様である。「菜種梅雨」とも言われる由で、早めに開いた桜にも「花散らしの雨」となって「続きは来年のお楽しみ」となるのだろう。尤も、これから開花の所もあるのだから、当地だけでいつまでも見頃を独占していてはならないのも事実である。
さて、少し前で恐縮だが、今月、特に去る4/1はAipril Foolこと「4月バカ」。欧米が出所だろうが、この日だけは、バカらしい嘘や冗談が許される日であると聞く。俺などは、今月の一か月間はそんな月であると良いな、などと愚考するのだが、まあそう都合良くは参らないか。苦笑
新年度初めと言う事もあり、企業や学校など、新入生の話題で大いに賑わう頃だが、それに絡んで、新入児童を預かる幼稚園や保育所の新設が、子供の喚声を嫌う周辺住民との調整も絡んで難しく、苦労されているとの話を聞いた。まあ確かに、我々の幼少時にも覚えのある事だが、子供達の校内、或いは園内での甲高い喚声は相当に音量が高く、状況にもよるが、住民によっては受忍限度を超える事はあるかも知れない。ただ、一括りにただの「騒音」として片づけてしまうのには無理があるのではないか。
考えてもみたい。子供達の喚声は、それこそ人類の誕生時からあった音だ。昔から、それも我々の餓鬼時分の頃までは、子供達の喚声は、地域の生活に当然のつきものとして理解されていた様に思う。学校や幼稚園、保育所などでもそうだが、各家庭にあっても、近所の子達が家の前の道路で遊んでいるのは日常の光景だったし、深刻なものでなければ、多少の問題は、見守る大人達も「又やってる」で済んで行く事共も多かったと思う。勿論、今様のいじめや校内暴力、草野球のプレイ中に商店の窓硝子を飛球で破損、などの事態がない訳ではなかったが、そこはかつての大人のコミュニティたる地域社会が、適正な介入を行って健全に解決する術があったと心得るのだ。
「子供達の喚声=騒音」みたく解する短絡が横行し始めたのは、戦後随分経った高度成長以降だろう。なりふり構わぬ経済成長策が打ち出されて、昼夜を問わぬ一種暴走的な企業活動が正義の様にもてはやされ、経済社会の24時間化に伴って、大人達の中には昼を休み、夜働く向きも少なくなくなった。こうした人種には、子供達の喚声は確かに「騒音」の域を出ないかも知れない。ただ、同情には限界があろう。混雑する列車内などで、何も訳の分らない乳児が泣き出しただけで、すぐに怒鳴りたがる不埒者(それも好い齢をして)にはくれぐれもなりたくないものだ。うるさいからと言って、古くからある音と、新しく生じた音の違いも理解しない様では、地域の問題も国家の問題も国際社会の問題も解決しない。一部の新設校、新設園などでは、教室を防音仕様にして子供達の声が外に出難くする処置を講じた所もある様だが、高い費用の割には、問題の根本的解決にはなっていない様に思うのだ。
外国出身者を含め、色んな人が混在して住んでいる以上、難しい問題であるのは分るが、学校などの子供達の喚声を封じ込める様な思考や所業は決して好ましいものではない。かつて、道路上の遊びが交通の危険を招くとして一方的に禁止されて行った過程と何となく似ていないか。これなどは、隆盛した自動車交通の便宜の為にこの様になったのであり、便利さと言う「大人の都合」の為に、損なわれれば将来に禍根を残すだろう「子供の文化」が摘み取られてしまった印象を受ける。その一方で、事故防止に不可欠な、交通安全教育は後回しと言うよりも蔑ろにされ、結局「交通戦争」と呼ばれる深刻な事故多発を招いたのではなかったか。又「子供達は道路で遊ぶもの」との理解も一定までは必要だったはずだ。自己都合だけの快適さの為に、「子供達の喚声は皆騒音」などと勝手な解釈や主張を続けていては、交通安全問題同様、育児や教育への情熱は失われ、出生減、そして人口減を招くだろう。その事が結局、巡り巡って高齢に達した時の、この身勝手な連中の医療予算や年金財源を深刻に蝕んで行くのだろう。尤も、これが現実になれば明らかな自業自得なのだが、どこまでも得手勝手なこうした向きは、安易に行政や社会のせいにする事だろう。何せ「自己責任」なる観念がないのでね。嘆
とまれ、学校や幼稚園などが、様変わりしてしまった周囲とどうすれば共存できるか、教育側と住民側がもう少し歩み寄って知恵を出し合う姿勢がもっと見られても良いと思うのだが。
以上、4月バカからはややそれてしまったが、最近の幼児教育への視点はちょっとおかしいと思い、記事にしてみた次第。内輪の事に少し触れるが、今は高校に入った拙甥の幼少時、俺は会うとTVのお笑い番組などのネタで、甥の笑いを取った事が間々あった。勿論、甥も全部影響された訳ではなかろうが、学業などては相当苦労しているらしい。これを見た妹が「伯父貴のせいだ!」と冗談半分、本気半分で非難する事もある。まあ「笑う門には福来る」で俺は間違ってないと信じるのだが、結果が出るのはもう少し年月がかかる事だろう。
今回画像は、一昨日拝観した世界遺産にして国宝でもある、我国屈指の名城 姫路城の近影。数年に亘る大改修を終え、先日より公開されたばかりだが、雨の平日にも関わらず、内外の拝観者が多かった。改修前の、灰色がかった貫禄のある城壁も好感できたが、新築直後の同城は「白鷺城」の別名通り、ほぼ純白の城壁だった由で、今回改修ではそれができる限り再現されたそうだ。違和感が残るのは事実だが、当時の面影が忍べる貴重な光景でもありますね。これから2~3年は、この姿が拝めそうです。
さて、少し前で恐縮だが、今月、特に去る4/1はAipril Foolこと「4月バカ」。欧米が出所だろうが、この日だけは、バカらしい嘘や冗談が許される日であると聞く。俺などは、今月の一か月間はそんな月であると良いな、などと愚考するのだが、まあそう都合良くは参らないか。苦笑
新年度初めと言う事もあり、企業や学校など、新入生の話題で大いに賑わう頃だが、それに絡んで、新入児童を預かる幼稚園や保育所の新設が、子供の喚声を嫌う周辺住民との調整も絡んで難しく、苦労されているとの話を聞いた。まあ確かに、我々の幼少時にも覚えのある事だが、子供達の校内、或いは園内での甲高い喚声は相当に音量が高く、状況にもよるが、住民によっては受忍限度を超える事はあるかも知れない。ただ、一括りにただの「騒音」として片づけてしまうのには無理があるのではないか。
考えてもみたい。子供達の喚声は、それこそ人類の誕生時からあった音だ。昔から、それも我々の餓鬼時分の頃までは、子供達の喚声は、地域の生活に当然のつきものとして理解されていた様に思う。学校や幼稚園、保育所などでもそうだが、各家庭にあっても、近所の子達が家の前の道路で遊んでいるのは日常の光景だったし、深刻なものでなければ、多少の問題は、見守る大人達も「又やってる」で済んで行く事共も多かったと思う。勿論、今様のいじめや校内暴力、草野球のプレイ中に商店の窓硝子を飛球で破損、などの事態がない訳ではなかったが、そこはかつての大人のコミュニティたる地域社会が、適正な介入を行って健全に解決する術があったと心得るのだ。
「子供達の喚声=騒音」みたく解する短絡が横行し始めたのは、戦後随分経った高度成長以降だろう。なりふり構わぬ経済成長策が打ち出されて、昼夜を問わぬ一種暴走的な企業活動が正義の様にもてはやされ、経済社会の24時間化に伴って、大人達の中には昼を休み、夜働く向きも少なくなくなった。こうした人種には、子供達の喚声は確かに「騒音」の域を出ないかも知れない。ただ、同情には限界があろう。混雑する列車内などで、何も訳の分らない乳児が泣き出しただけで、すぐに怒鳴りたがる不埒者(それも好い齢をして)にはくれぐれもなりたくないものだ。うるさいからと言って、古くからある音と、新しく生じた音の違いも理解しない様では、地域の問題も国家の問題も国際社会の問題も解決しない。一部の新設校、新設園などでは、教室を防音仕様にして子供達の声が外に出難くする処置を講じた所もある様だが、高い費用の割には、問題の根本的解決にはなっていない様に思うのだ。
外国出身者を含め、色んな人が混在して住んでいる以上、難しい問題であるのは分るが、学校などの子供達の喚声を封じ込める様な思考や所業は決して好ましいものではない。かつて、道路上の遊びが交通の危険を招くとして一方的に禁止されて行った過程と何となく似ていないか。これなどは、隆盛した自動車交通の便宜の為にこの様になったのであり、便利さと言う「大人の都合」の為に、損なわれれば将来に禍根を残すだろう「子供の文化」が摘み取られてしまった印象を受ける。その一方で、事故防止に不可欠な、交通安全教育は後回しと言うよりも蔑ろにされ、結局「交通戦争」と呼ばれる深刻な事故多発を招いたのではなかったか。又「子供達は道路で遊ぶもの」との理解も一定までは必要だったはずだ。自己都合だけの快適さの為に、「子供達の喚声は皆騒音」などと勝手な解釈や主張を続けていては、交通安全問題同様、育児や教育への情熱は失われ、出生減、そして人口減を招くだろう。その事が結局、巡り巡って高齢に達した時の、この身勝手な連中の医療予算や年金財源を深刻に蝕んで行くのだろう。尤も、これが現実になれば明らかな自業自得なのだが、どこまでも得手勝手なこうした向きは、安易に行政や社会のせいにする事だろう。何せ「自己責任」なる観念がないのでね。嘆
とまれ、学校や幼稚園などが、様変わりしてしまった周囲とどうすれば共存できるか、教育側と住民側がもう少し歩み寄って知恵を出し合う姿勢がもっと見られても良いと思うのだが。
以上、4月バカからはややそれてしまったが、最近の幼児教育への視点はちょっとおかしいと思い、記事にしてみた次第。内輪の事に少し触れるが、今は高校に入った拙甥の幼少時、俺は会うとTVのお笑い番組などのネタで、甥の笑いを取った事が間々あった。勿論、甥も全部影響された訳ではなかろうが、学業などては相当苦労しているらしい。これを見た妹が「伯父貴のせいだ!」と冗談半分、本気半分で非難する事もある。まあ「笑う門には福来る」で俺は間違ってないと信じるのだが、結果が出るのはもう少し年月がかかる事だろう。
今回画像は、一昨日拝観した世界遺産にして国宝でもある、我国屈指の名城 姫路城の近影。数年に亘る大改修を終え、先日より公開されたばかりだが、雨の平日にも関わらず、内外の拝観者が多かった。改修前の、灰色がかった貫禄のある城壁も好感できたが、新築直後の同城は「白鷺城」の別名通り、ほぼ純白の城壁だった由で、今回改修ではそれができる限り再現されたそうだ。違和感が残るのは事実だが、当時の面影が忍べる貴重な光景でもありますね。これから2~3年は、この姿が拝めそうです。