Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

「大いなる節目」2題

2007-11-13 23:30:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

ここの所は本当に、防衛省不祥事に代表される政局の不安、石油製品や食料品暴騰、更に医療危機などの生活圧迫や相変わらずの治安不良など好材料に恵まれない情勢ではありますが、それでも「叩けば出て来る」もので、当地名古屋にとっては節目となる慶事が2つ見つかりましたので、この場を借りてご報告しておきましょう。

①名古屋港開港100周年
当地の海の玄関、名古屋港がめでたく開港満1世紀を迎えました。
ここは1907=明治40年の11/10に開港。以後年々規模を拡張し、先の大戦の戦災や戦後の伊勢湾台風の試練を乗り越え、現在恐れながら輸出入取り扱い金額において我国第1位を記録しています。
私が初めてこの港を訪れたのは1968=昭和43年秋、当時通っていた生地東三河の小学校の社会見学にてであります。当時の名古屋港はまだ完全な商業港で、どちらかと言えば船便の利用客と関係各位だけのものだった印象がありますが、平成年間に入ってからは名古屋港水族館、そしてイタリア村などの様な観光商業施設も整備され、「訪ねてみたくなる港」への脱皮が図られている様です。
先週末は開港100周年記念行事も執り行われ、これを祝って我国の誇る大型帆船「日本丸」「海王丸」の両船も寄港、「海王丸」は甲板も一般に開放され、私も見学の機会を得る事ができました。又、帰途立ち寄ったイタリア村は、夜の電飾の美しさが印象的でした。思えば港は、空港と並んで世界中の方々が最初に立ち寄る所。これからもその魅力を高める様努めて頂きたい所です。尚、1959=昭和34年秋に襲来した伊勢湾台風の災害の教訓より、港の外に1964=同39年、高潮防波堤が建設された事も是非覚えたい事柄です。

②名古屋地下鉄開通50周年
こちらは我々にとりもっと身近な鉄道の話題。名古屋市交通局の地下鉄が、明後日初開通50周年を迎えます。
我国にての初の地下鉄は、勿論首都東京にてのそれ。1927=昭和2年に上野~浅草間にて運行開始したのが始まりとされます。ここは現在は、東京都交通局浅草線の一部となっています。
当地名古屋でも、地下鉄建設は積年の夢だった様ですが先の大戦による戦災などもあって、実現は戦後の事となります。
首都東京に遅れる事30年、1957=昭和32年の11/15に名古屋都心の名古屋(旧日本国有鉄道、現JR東海名古屋駅の直下)~栄間の2km余りで運行が開始されました。現在の東山線の一部です。
トンネルを掘るコストを抑える為、電車々両は屋根式のパンタグラフを用いず走行系の脇から電力を得る第3軌条式が採用され、又都心部の急カーブの配線に対応するべく車体も短めになっていて、これは代替わりした現在の車両にも引き継がれています。
以後は次第に東進し、都心の東境たる池下、住宅地の星ヶ丘を経て1970=昭和45年には名古屋市の東境、藤ヶ丘に達します。
この前後よりの名古屋市周辺の住宅地開発は目覚しく、目前まで地下鉄の達した東隣の長久手村はこの事が元で人口が増え、町制に移行する事となりました。
又東山線は西の方へも延伸し、1982=昭和57年に現在の路線、中川区の高畑から名東区の藤ヶ丘への全区間が完成しています。
藤ヶ丘には車両基地と工場があり、約300両と言われる東山線車両の整備管理を一手に担っています。
名古屋地下鉄は東山線以外にも名城線が1965=昭和40年、後に名古屋鉄道との相互乗り入れを果す鶴舞線が1977=同52年、更に混雑する東山線を補完する目的もあって建設された桜通線が1989=平成元年に初開通、更に名古屋都心の北東部にあって鉄道アクセスに難のあった大曽根地区の改善の為平安通~上飯田間にも地下鉄線が2003=平成15年に開通しています。この内名城線は2004=同16年秋に念願の環状化を達成、東郊部との接続も改善され、自家用車依存度の高い名古屋の交通に変化をもたらす事が期待されています。又鶴舞、桜通、上飯田各線の車両は名古屋鉄道線への乗り入れが計画されている為、屋根よりのパンタグラフ集電となっている事も申し添えておきましょう。
今後新規に伸びる路線は桜通線の近郊区間位でしょうが、是非沿線の利便と活性化の為に、寄与できる路線となる事を望みたいものであります。*(ヨット)**(新幹線)*

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