コナサン、ミンバンワ!2月もどうか宜しくお願い致します。
節分となった今日2/3は、当地愛知は穏やかな晴天に恵まれた・・・のは良かったのですが、表題を1度ならずも2度までも掲げる破目になるとは夢想だにしませんでした。
1/31(水)の早朝、先日他界の母方の祖父の妻である祖母が、後に続く様に逝去致しました。これで2週間弱の間に親族、そして知友の計3名が一度に失われる、今までの我が生涯の内で未曾有の事態となりました。1913=大正2年初め、祖父とは同郷の長野県出身にて享年94。
円満にして穏やかな人柄には、私も長年魅了され続けて参りました。祖母の料理には我が好物も多く、中でもチキン・カレーは首都圏の名物たる中村屋のそれでも追いつけない程の美味でした。
古い時代を生き抜いた女性だけに、陰の辛苦は並大抵ではなかった様ですが、親族の我々にはいつも暖かく接してくれ、健やかなりし頃より有難く感じたものでした。
至って頑健でしたが、今世紀に入ってからは健康面が優れず、病院にての療養が多かった様です。
強い気性の祖父とは異なり、声高な物言いこそしませんでしたが、唯1つ「日々をいっしょくめ(一生懸命)に過す事」の1点だけは、会う度に繰り返し強く言っていた記憶がありますね。思えばこの祖母の言葉を、もう少し重く受け止めるべきだったとの、若干の後悔もあるのは事実です。
祖母は私に、無言の内に3つの遺言を残した様に思います。
1つは上記の、日々をいっしょくめに過し生きる事。
2つ目は祖父同様、逝く者は待ってくれないと言う事。この事は失われた今日以降、次第に重く我が心に刻まれつつありますね。
そして3つ目。「次はお前の親の番だよ」と言う事でしょう。
そう、考えたくはないけれど近い将来、我が親との永の別れも今から意識すべきなのでしょう。
そうした事を祖母はいつもの様にそっと囁いて、彼岸の地へと静かに歩み去った気がします。
今日の祖母の告別式、心なしか足早に過ぎた先日の祖父のそれより、少しゆっくりとした時間の流れを感じたのは私だけではなかった様です。改めて、合掌・・・。*(日本)*
節分となった今日2/3は、当地愛知は穏やかな晴天に恵まれた・・・のは良かったのですが、表題を1度ならずも2度までも掲げる破目になるとは夢想だにしませんでした。
1/31(水)の早朝、先日他界の母方の祖父の妻である祖母が、後に続く様に逝去致しました。これで2週間弱の間に親族、そして知友の計3名が一度に失われる、今までの我が生涯の内で未曾有の事態となりました。1913=大正2年初め、祖父とは同郷の長野県出身にて享年94。
円満にして穏やかな人柄には、私も長年魅了され続けて参りました。祖母の料理には我が好物も多く、中でもチキン・カレーは首都圏の名物たる中村屋のそれでも追いつけない程の美味でした。
古い時代を生き抜いた女性だけに、陰の辛苦は並大抵ではなかった様ですが、親族の我々にはいつも暖かく接してくれ、健やかなりし頃より有難く感じたものでした。
至って頑健でしたが、今世紀に入ってからは健康面が優れず、病院にての療養が多かった様です。
強い気性の祖父とは異なり、声高な物言いこそしませんでしたが、唯1つ「日々をいっしょくめ(一生懸命)に過す事」の1点だけは、会う度に繰り返し強く言っていた記憶がありますね。思えばこの祖母の言葉を、もう少し重く受け止めるべきだったとの、若干の後悔もあるのは事実です。
祖母は私に、無言の内に3つの遺言を残した様に思います。
1つは上記の、日々をいっしょくめに過し生きる事。
2つ目は祖父同様、逝く者は待ってくれないと言う事。この事は失われた今日以降、次第に重く我が心に刻まれつつありますね。
そして3つ目。「次はお前の親の番だよ」と言う事でしょう。
そう、考えたくはないけれど近い将来、我が親との永の別れも今から意識すべきなのでしょう。
そうした事を祖母はいつもの様にそっと囁いて、彼岸の地へと静かに歩み去った気がします。
今日の祖母の告別式、心なしか足早に過ぎた先日の祖父のそれより、少しゆっくりとした時間の流れを感じたのは私だけではなかった様です。改めて、合掌・・・。*(日本)*