生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

暗闇から光

2013-12-10 16:36:15 | 教会
8日からアドベント2週目に入りました。
11月30日に一番近い日曜日から、クリスマス前の期間を「アドベント(待降節)」といいます。「アドベント」とは「到来」という意味で、救い主(イエス・キリスト)の到来を心待ちにする時期です。

今年は教会学校クリスマスの準備に忙しく、怒涛のような日曜日を過ごしていたので、静かにクリスマスを待ち望むという気持ちになれませんでした。
来週の日曜にリハーサル、再来週が本番ですが、準備はひと段落しました。


礼拝メッセージでは、クリスマスのイメージについて語られました。
同じ出来事に直面しても、その人の抱くイメージによって全く違った行動をする場合があります。
救い主誕生を知ったときのヘロデと東方の博士たちの反応は正反対でした。

ヘロデは救い主が生まれたと聞いて恐れ、戸惑いました。博士たちに「幼子を拝むから」と言っておきながら、拝まず、殺そうとしました。ヘロデの心はキリストから(霊的距離において)遠く離れていました。

一方、博士たちは救い主誕生を確信していたので、喜びにあふれ、救い主のところへ行って拝みました。
大切なことは、救い主を待ち望む心なのですね。

もともと人間は、神様のかたち(イメージ)として創られました。でも、罪を犯したため、ゆがめられて正しい神のイメージを持つことができなくなりました。

神様は、ご自分の正しいイメージとしてイエス様を地上におくってくださいました。
神の正しいイメージとして、キリストが生まれてくださったのです。

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。(ピリピ2:6-7)」

「クリスマスの贈り物は、失われた神のかたちの回復です」と牧師先生が言われました。


わたしのクリスマスのイメージは、夜→暗闇→光→救い主誕生→希望 です。
キラキラしたイルミネーションや飾りやケーキはありません。悲しみ、苦しみに覆われている暗闇の中、ひとりぼっちでうめいている自分がいます。

苦しみが頂点に達したとき、思いもかけぬところから光がやってきます。その光は、イエス・キリストの光、希望の光です。
苦しみがなくなるわけではありません。でも、ちっとも悲しくないのです。ひとりぼっちじゃなくなったから。一緒に苦しんでくださるお方が来られたから。

静かにクリスマスを待ち望みます。

乳癌手術を受けてから、まる10年たちました。



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