今年を漢字一字であらわすと、わたしは「覆」です。
児童文学者協会の支部長になり、苦手な司会をすることになって、あたふた。言わなくていいことを言い、言わなければならないことを失念しました。その他の場面でも失敗が多かったです。夜、失敗を思い返しては、胃が痛んでいました。
そのうち神様が覆ってくださっているから大丈夫という思いに至り、平安を得られて、ぐっすり眠れました。覆われなければどうなっていたことか……。
「おおう」という言葉を聖書を読んで見つけた翌日、に礼拝メッセ―ジで「覆う」が出てきた(11/26のブログに書いています)ときは、まさに私に与えられた言葉だと思いました。
「聖霊があなたがたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます」(ルカ1:35)
調べてみると、聖書には「おおう」という言葉が実にたくさん使われています。(聖書検索をすると「おおう」は旧、新約聖書全体で52節に含まれていました。(「おおわれて」、「おおって」などの言葉をくわえると、その倍ぐらいになります)
口語訳聖書には「神の霊が水のおもてを覆っていた(創世記1:2)」と書かれています。
世界が造られる前は、混沌としていました。闇が大いなる水の上にあり、その水の上をおおっていたのが神の霊だというのです。
もし、神の霊がなかったら、永遠に闇の世界が続き、生命の誕生もなかったのです。
ホセア書に書かれている「おおう」は、罪赦されるという意味で用いられています。
ホセアの妻、ゴメルは不誠実で、夫のある身なのに姦淫の罪を犯しました。ホセアは彼女を赦し、家に迎え入れるのです。
「また、彼女の裸をおおうためのわたしの羊毛と麻とをはぎ取ろう。(ホセア2:9)」
神様は不誠実を誠実でおおう方です。
「そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。」(箴言17:9)
「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」 (Ⅰペテロ4:8)
おおうは、守るという意味でも用いられています。
「主はあなたを守る方。主はあなたの右の手をおおう陰。」(詩編121:5)
「見よ。神はご自分の光をその上にまき散らし、また、海の底をおおう。」(ヨブ36:30)
「主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。」(イザヤ40:22)
神様は、地上に住むわたしたちをおおってくださるのですね。
ヨナ書に書かれているのは、文字通りおおいかぶせるという意味ですが、ヨナの不機嫌を直そうとして、とうごまでおおってくださる神様の優しさを感じます。
「神である主は一本のとうごまを備え、それをヨナの上をおおうように生えさせ、彼の頭の上の陰として、ヨナの不きげんを直そうとされた。」(ヨナ4:6)
パウロが書いた言葉を紹介します。
「しかし、主は、「私の恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」(Ⅱコリント12:9)
わたしもキリストにおおわれています。
昨日Nさん宅に伺って聖書輪読会をしました。民数記を読んでいるのですが、このとき、も「おおう」に出会いました。
「幕屋をたてた日、雲があかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の上にあって火のようなものになり、朝まであった。(民数記9:15)」
エジプトを出たイスラエルの民が、昼は雲の柱、夜は火の柱に導かれて約束の地をめざし旅をしました。
導いた雲は、子ども聖書物語にあるような縦に細長い雲を思い浮かべていましたが、幕屋全体をおおうほど幅広いものだったのかもしれませんね。見てみたかった!
先日のデンマークカクタスの写真、満開になったので差し替えました。
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児童文学者協会の支部長になり、苦手な司会をすることになって、あたふた。言わなくていいことを言い、言わなければならないことを失念しました。その他の場面でも失敗が多かったです。夜、失敗を思い返しては、胃が痛んでいました。
そのうち神様が覆ってくださっているから大丈夫という思いに至り、平安を得られて、ぐっすり眠れました。覆われなければどうなっていたことか……。
「おおう」という言葉を聖書を読んで見つけた翌日、に礼拝メッセ―ジで「覆う」が出てきた(11/26のブログに書いています)ときは、まさに私に与えられた言葉だと思いました。
「聖霊があなたがたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます」(ルカ1:35)
調べてみると、聖書には「おおう」という言葉が実にたくさん使われています。(聖書検索をすると「おおう」は旧、新約聖書全体で52節に含まれていました。(「おおわれて」、「おおって」などの言葉をくわえると、その倍ぐらいになります)
口語訳聖書には「神の霊が水のおもてを覆っていた(創世記1:2)」と書かれています。
世界が造られる前は、混沌としていました。闇が大いなる水の上にあり、その水の上をおおっていたのが神の霊だというのです。
もし、神の霊がなかったら、永遠に闇の世界が続き、生命の誕生もなかったのです。
ホセア書に書かれている「おおう」は、罪赦されるという意味で用いられています。
ホセアの妻、ゴメルは不誠実で、夫のある身なのに姦淫の罪を犯しました。ホセアは彼女を赦し、家に迎え入れるのです。
「また、彼女の裸をおおうためのわたしの羊毛と麻とをはぎ取ろう。(ホセア2:9)」
神様は不誠実を誠実でおおう方です。
「そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。」(箴言17:9)
「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」 (Ⅰペテロ4:8)
おおうは、守るという意味でも用いられています。
「主はあなたを守る方。主はあなたの右の手をおおう陰。」(詩編121:5)
「見よ。神はご自分の光をその上にまき散らし、また、海の底をおおう。」(ヨブ36:30)
「主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。」(イザヤ40:22)
神様は、地上に住むわたしたちをおおってくださるのですね。
ヨナ書に書かれているのは、文字通りおおいかぶせるという意味ですが、ヨナの不機嫌を直そうとして、とうごまでおおってくださる神様の優しさを感じます。
「神である主は一本のとうごまを備え、それをヨナの上をおおうように生えさせ、彼の頭の上の陰として、ヨナの不きげんを直そうとされた。」(ヨナ4:6)
パウロが書いた言葉を紹介します。
「しかし、主は、「私の恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」(Ⅱコリント12:9)
わたしもキリストにおおわれています。
昨日Nさん宅に伺って聖書輪読会をしました。民数記を読んでいるのですが、このとき、も「おおう」に出会いました。
「幕屋をたてた日、雲があかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の上にあって火のようなものになり、朝まであった。(民数記9:15)」
エジプトを出たイスラエルの民が、昼は雲の柱、夜は火の柱に導かれて約束の地をめざし旅をしました。
導いた雲は、子ども聖書物語にあるような縦に細長い雲を思い浮かべていましたが、幕屋全体をおおうほど幅広いものだったのかもしれませんね。見てみたかった!
先日のデンマークカクタスの写真、満開になったので差し替えました。

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