生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

池田先生を偲んで

2013-03-30 15:59:24 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
28日は、日本クリスチャン・ペンクラブの理事長であり、霞が関キリスト教会の牧師、池田勇人先生の葬儀でした。

葬儀の行われた霞が関キリスト教会は、埼玉県川越市で、最寄りの駅まで池袋から50分ほどかかります。
わたしは前日に三鷹の実家に泊まって出かけました。
会堂に入りきれないほどの大勢の方々が葬儀に参列していました。スクリーンには池田先生のあらゆる場面の写真が映し出されていました。

いつも優しかった先生を思い出して胸がいっぱいになりました。
葬儀で池田先生が46歳の時に遺言を書いておられたことを聞きました.
かつて池田先生が「人は、いつ召されるかわからないので、死の備えをしているのです」と言われたのを思い出しました。
葬儀で賛美した聖歌「救い主イエスと」、「重くとも汝が十字架」は、そのとき葬儀に歌うように希望されていたものでした。

池田先生に初めてお目にかかったのは14年ぐらい前でしょうか、土浦めぐみ教会でメッセージをして下さったときでした。童謡「赤とんぼ」の作詞者三木露風がクリスチャンであること、竿の先にとまったトンボは十字架を意味しているというお話が深く印象に残っています。
でも、そのときは個人的に言葉を交わすことがありませんでした。

それから数年後、クリスチャン新聞社のあかし文学賞にわたしの書いた小説が入選しました。入選の知らせを受ける一日前、池田先生からお手紙が届きました。日本クリスチャン・ペンクラブの例会へのお誘いでした。
池田先生がなぜわたしの住所をご存じで、なぜペンクラブに誘って下さっているのかわからずにいました。
翌日クリスチャン新聞社から入選の知らせの電話をいただき、池田先生があかし文学賞の選者のおひとりだと知って、ようやく理由がわかったのでした。

それでもすぐには例会に行かず、出向いたのは半年たった秋のことでした。その年はちょうどクリスチャン・ペンクラブ50周年の年でした。池田先生はわたしのことを待っていて下さったように歓迎して下さいました。その日に入会を決め、それから10年、ペンクラブに連なっています。

わたしの書いた小説「リピート・シンドローム」が出版されたのは、池田先生のおかげです。池田先生に原稿を見せると、すぐにキリスト新聞社の社長さんに送って下さいました。池田先生と社長さんとはお知り合いだったのです。すぐに出版の話になりました。
本名で出さないほうがいいということで、ペンネームを考えなければなりませんでした。
それで、ペンネームをつけてくださいと池田先生に頼みました。今から考えると、大変なお願いをしてしまったようで、先生からは「ペンネーム、考えています。しばらく待ってください」とメールが届いた後、1か月ぐらいしていくつか候補を挙げて下さいました。
谷野百合というのもあって、それは池田先生のペンネームでもあったのですが、それがよければ差し上げますといわれました。わたしは恐れ多くて、また、自分自身が華やかな百合より、地味な土筆に似ている気がして土筆文香を選ばせていただきました。

本が出版されてからは、何十冊も持って松原湖や神学校に出向いて下さり、本を紹介して売って下さいました。

思い出を書きはじめたら原稿用紙何十枚にもなってしまうので、やめますが、わたしだけではなく、多くの方々がそれぞれ池田先生のしてくださったことに感謝の思いを抱いていることがわかって驚いています。

池田先生は、教会員やペンクラブ会員だけでなく、出会った者ひとりひとりに実に細やかな愛の配慮をしてくださっていたのです。

「まことに、あなたがたに告げます、あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。(マタイ25:40)」の聖書の言葉をまさに実践されたのです。

63歳で召されるとは早すぎる気がしてなりませんが、神様の時だったのですね。

「兄弟たちよ。私は自分はすでに捕えられたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標をめざして一心に走っているのです。」葬儀で読まれた聖書箇所ピリピ3:10~14 より



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