生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ほどよい緊張感

2008-04-21 16:16:00 | 乳癌

「たとえば癌を宣告されたなら、あなたはどう反応しますか?」
テレビからこんな言葉が聞こえてきました。多くの人が「目の前が真っ暗になる」「絶望してしまう」などと答えていました。
わたしは、「癌と言われて、どうしてそんなに深刻になるのかなあ?」と首を傾げています。

もちろん、癌は病気の中では死亡原因第一位です。でも、すべての癌患者が癌で死ぬとは限りません。決定的な治療法は確立されていませんが、医学は日進月歩です。

わたしは乳癌を宣告されたとき、驚きもせず、落ち込みもしませんでした。呑気な性格だということと、癌に対する知識が浅かったことからです。

しかし、実際後になって、手術を受ければそれで完治ということではないと知り、退院後は不安と苦悩の日々でした。

現在、4年たって薬は1種類になり、検査も年に一度でよくなり大分楽になりましたが、緊張感は続いています。いつか「余命あと半年です」などと言われる日がくるかもしれないという緊張感です。

わたしは、癌になる前は、緊張感に欠けていたような気がします。
もちろん極度に恐れたり、再発転移におびえたりしているわけではなく、忘れていることも多いのですが、癌患者であるという自覚がほどよい緊張感を醸し出してくれています。


昨日の礼拝メッセージでは緊張について語られました。
人間は日常性究極性の中に生きているのだそうです。

日常性というのは、何も考えずに毎日行っていることです。(たとえば、朝起きて歯を磨く、食事をするなど。)これは効率的ですが、緊張感はありません。

究極性の中で生きるとは、万が一のことを(たとえば友人の訃報を聞いて、自分の身にも起こるかもしれないなどと)考えたり、物事の意味を問いかけたりして生きることです。

究極性の中だけでは、人は疲れ果ててしまい、生きていけませんが、ある程度の緊張感は必要なのですね。

パウロはⅠコリント人への手紙9:27に「私は自分のからだを打ちたたいても従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」と書いています。

当時コリントの教会のクリスチャンは、緊張感を持たず、自信過剰で高慢になっていました。それをいさめて書かれたのだそうです。
キリストによる救いを受け入れたからといって高慢になったり、自堕落な生活をしていたら、失格者になってしまうという警告です。

緊張感を持たなければならないといわれても、それがストレスになってしまってはいけませんね。新しい恵みを受けているという心地よい緊張感を持つことのすすめがありました。


「約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。(へブル人への手紙10:23)」


今日もヒックンが風邪ひいたので預かっています。娘がいるのでだいぶ助かります。昼寝しているときだけが、自分の時間です。そろそろ起きてきそうです。


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