生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

神様の栄光をあらわす生き方とは

2008-04-25 21:53:49 | 聖書から

20年以上前、当時通っていた教会で信仰入門の学びをしていました。「人はなんのために生きるのでしょうか?」という質問が出されたとき、わたしは答えることができませんでした。

夫のため? 子供のため? 自分のため?……どれも違うような気がします。いったい自分はなんのために生きているのだろうか……と思いめぐらしました。
答えは「神様の栄光をあらわすため」でした。
そのことを知ったとき、わたしは大きな衝撃を受けたのを覚えています。これからは、神様の栄光をあらわすために生きようと決心したのですが……わたしはその後、果して神様の栄光をあらわす生き方をしてきたでしょうか? 


一昨日の祈祷会で、神様の栄光をあらわす生き方について学んだので、改めて考えさせられました。
人はみな神様によって目的をもって造られました。神様は、各々がふさわしい方法で神様の栄光をあらわして生きることを望んでおられます。
聖書には次のように書かれています。


「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ書43:7)」

「あなたは万物を創造し、あなたのみこころのゆえに万物は存在し、また創造されたのですから。(黙示録4:11)」


そもそも神様の栄光をあらわすとはどういうことなのでしょう。
レジメには
「地上において、託された被造物を神に喜ばれるように管理していくことが人間の大切な仕事です。それが神の栄光をあらわすことになります。」
と書かれています。

神様は、造られた動植物を管理するように人間に託されました。人間も神様によって造られたもの(被造物)ですが、他の被造物と違って、聖、義、愛などの神様の性質が与えられています。
わたしたち人間は、神様に似せて特別に造っていただいたのですから、神様の栄光をあらわす生き方をするべきなのですね。


「花が太陽の方を向いて生き生きと咲いているように、神様を見上げて生き生きと生きることが神様の栄光をあらわす生き方になる」
とおっしゃった方がいました。その通りだと思いました。わたしもそのような生き方がしたいです。

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