生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ほんとうの自由

2008-04-01 12:24:02 | 教会

新しい月に入りました。教会学校も新年度に入り、色々と準備に追われています。
4月末までに書かなければならない作品(童話)が2つもあるのに、まだ手つかずです。


乳癌で入院していたとき同室だった人が、よくベッドの上で手紙を書いていました。
あるとき「今日は、手紙書けない日だから残念」と言ってため息をついていました。
「どうして書けないの?」と尋ねると、日が悪いというのです。仏滅だから手紙書けないし、新しいことも始められないと言いました。
結婚式や結納などは、仏滅にしない人が多いことは知っていましたが、手紙も書けないと思っている人がいることを知って驚きました。
その方は引っ越したばかりで、その疲れで具合が悪くなり入院されていたのですが、引っ越しするとき方角や色々なことを占っていて疲れてしまったと言いました。

今、占いがブームですね。それが社会問題にもなっています。
クリスチャンは、占いはしません。六曜の吉兆にもとらわれません。この世界を支配しているお方は、天地を造られたまことの神だと知っているからです。
とらわれる人は、潜在的に恐れを感じているのでしょう。彼女は仏滅に新しいことを始めたら、何か悪いことが起こるかもしれないと恐れていたのかもしれません。
この世界で起こることは、すべて神さまのみ手の中にあるということ。だから日にちにこだわる必要はないということを話しましたが、理解してもらえませんでした。


この前の日曜に教会で「キリスト者の自由」というメッセージを聞きました。クリスチャンは日曜日に教会に行かなければならないし、お酒やタバもダメだから不自由だと思っている人が多いのですが、それは誤解です。不自由ではなくて、色々な物から自由なのです。
クリスチャンには、~しなければならない。ということは何もないのです。日曜礼拝は喜んで自発的に行っているのであって、義務感からではありません。お酒を飲んだり、タバコを吸う人が少ないのは、それよりも素晴らしいもの(主にある喜び)を持っているからです。


クリスチャンは、いままで犯してきたいっさいの罪が赦され、これから犯す罪も赦されています。ですから、罪に対する良心の呵責から自由になっています。この自由のゆえに召されたのですから、喜びなさいと牧師先生が言われました。
でも、それだからといって、悪いことをする口実に自由を使ってはいけません。

「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。(ガラテヤ5:13)」

と聖書に書かれています。


「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。(Ⅰコリント9:19)」

とも書かれています。奴隷となるというのは、与えられている自由を他者に仕えるために使うということだそうです。
自分を大切にするように他者を大切にしなさいということです。


かつてわたしは、ものすごく自己中心でした。自分が不利益になることを避け、打算で行動していました。人によく思われるために計算して、嘘までついたことがありました。
そんなわたしが、キリストの愛を知って、少しずつ変えられていきました。昨日は、貴重な自由な時間があったのですが、祈っているうちに深い苦しみの中にいる方へ手紙を書くように示されました。書くのに2時間ぐらいかかりましたが、その時間は仕えていた時間だったのだなあと思うと喜びが沸き上がってきました。


写真は都内の桜です。今日は風が強いので桜が散ってしまうのかもしれませんね。

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