生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

乳癌になって気づかされたこと(その2)

2007-09-20 10:16:08 | 乳癌

乳癌になる以前のわたしは、色々なことに心を奪われていました。神さまを信じてはいましたが、いちばんの関心が神さまではなく、子供の教育のことや、趣味のこと、健康のことにあったのです。そのようなことに多くの時間とエネルギーを使っていました。

癌になる以前も非常に疲れやすい体質で、喘息という持病もあったので、とりわけ健康には気を使っていました。どんな食べ物やサプリメントが体にいいのか、どのような運動をすればいいのかと思いめぐらし、健康になることを第一に考えていました。教会の奉仕も、まず健康でなければ充分できないのだと思っていました。

週に2回スイミング教室に通っていたのも健康になりたかったからです。水や食べ物にも細心の注意を払って丈夫な体を目指したのですが、癌になりました。
癌になって、はっとしました。大切なものをはき違えていたことに気づいたのです。


『最も大切なことは、神の永遠の目的に生きることです』
と「人生を導く5つの目的」(リック・ウォレン著)に書かれていますが、神の永遠の目的とは、神を愛することと人を愛することです。

わたしは、神さまの愛がどれだけ大きくて深いものか知っているのに、神さま中心の生活をしていませんでした。人を愛することに真剣になっていませんでした。
丈夫になって何かをなしたいと望んでいましたが、たとえ丈夫になったとしても、老いと死から免がれるわけではありません。

神さまのみ心にかなった生き方をするのに必ずしも健康である必要はないのです。病んだままでいいことを知り、とても楽になりました。
体が弱くても、病気を抱えていても、愛するということに何の支障もありません。たとえ何も奉仕ができなくても、祈るという大きな仕事ができるのです。

聖書を読むと、神さまがどれだけ自分を愛して下さっているかが伝わってきます。そして、イエスさまは、わたしに神さまと人とを愛して欲しいと切望しておられるのです。愛に欠ける自分の姿に悲しくなることもありますが、愛の心を下さいと祈りはじめました。


「死ぬときに持っていくことが出来ないものに真剣になるな」
と聞きました。死ぬときには、何をしたかではなく、どれだけ愛したかが問われるのです。愛は永遠に残るものだからです。

癌になって、ようやく人生の焦点が定まったといえます。健康であるかないか、長生きするかしないかなどあまり重要なことではありません。すでに永遠の命に生かされているからです。
地上での命がたとえあとわずかだったとしても、一瞬、一瞬を精一杯生きたいです。与えられている時間を神さまの目的のために捧げようと思いました。

                     おわり


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