生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

祈りについて

2007-09-08 17:46:35 | 過去の記事より

教会で子供集会「はこぶねクラブ」があり、紙芝居を持って出かけ、子供たちと楽しい時間を過ごしてきました。

写真は昨日の夕焼けです。あまりきれいなのでベランダから写しました。

今日は3年前にHPで祈りについて書いたものを掲載します。


友人になぜ祈るのかと聞かれました。それは確かに聴いて下さるお方がいると信じているからです。
もちろん、熱心に祈ったからといって天から声が聞こえてきたりするわけではありません。でも、祈りは神さまとの会話ともいいますから、祈りは聴かれていると信じています。

それなら、神さまがいるという証拠は?と尋ねられると困ってしまいます。神さまの存在を証明することはてできません。でも、神さまがいないという証明もできません。
存在するかしないかどちらかです。

洗礼を受けるとき、わたしは神さまが存在するという方に賭けるような気持ちでした。
それから26年たちますが、洗礼を受けたことをいちども後悔したことがありません。目にはみえないけれど、神さまは生きておられると毎日感じています。


わたしはミッションスクールの保育科の短大に通っていました。
学生時代、「保育園でどうしようもないような問題が起きたときは、……」と先生が言うのを聞いて、どんな解決策を教えて下さるのだろうと次の言葉を心待ちにしていました。
すると先生は言われました。
「祈るしかなかった」
まだ信仰を持っていなかったわたしは、それを聞いてがっかりしました。「なんと非科学的な!」と、思ってしまったのです。
卒業するときその先生から
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい(Ⅰテサロニケ人への手紙5-16.17)」
という聖書の言葉を色紙に書いていただきました。
それから2年後クリスチャンになって、それから後26年の間に祈りは確かにきかれるということを何度も体験しました。祈ることを教えて下さった先生に感謝しています。


*今、29年たっていますが、同じ思いです。

拍手ボタンです

web拍手