先日の礼拝でケニアの宣教師、I先生から聞いた話はショッキングなものでした。
麻薬漬けにされて戦いの最前線に行かされている少年兵。少女売春。人身売買。大人が子供に盗みをさせ、幼い少女をレイプするといった悲惨なことが実際に起きているのです。
『子供は未来の希望』といわれますが、現実は未来が死に急いでいる。緑豊かだった地の緑がはぎ取られ、砂漠化していると言われました。
大人は子供を欲望のままにし、子供は生き延びるため嘘をつき、タバコや麻薬に手を出します。スラムに住む大人たちは、生活していくのに精一杯で、このような問題をそのままにしていました。
そのような中で設立されたコイノニア幼稚園の働きが紹介されました。
大人の顔色を見て、人を騙すことが身に付いていた子供たち。自己主張ばかりして全くしつけられていなかった子供たち。自分の思いを伝えられなかった子供たちが、クリスチャンの先生たちとの関わり合いによって変化していくのです。
教師が子供たちを変えるのではないと言われたことが深く心に残りました。教師は祈ってイエスさまからエネルギーをいただいて子供たちに関わります。するとイエスさまの力が子供たちに働いて変化していくのだそうです。
そのとき、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく。(イザヤ35:5)
と聖書にあるように、見えていなかったものが見え、聞こえていなかったことが聞こえるようになり、子供たちは神さまから愛されている存在であることに気づくのです。
それはまるで砂漠に花が咲いていくようです。
荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。(イザヤ35:1)
荒地に花が咲く秘密は、イエスさまの十字架の死と復活の事実です。キリストの復活があるから荒地が再生するのです。
日本の社会にも砂漠が広がってきている気がします。見るべきものが見えず、聞くべき事が聞けない人々。かつてのわたしもそうでした。価値基準をどこに置いたらよいかわからず、人の意見に左右されて、いつも心騒がせていました。
エンデの「はてしない物語」に虚無が広がっていく世界が書かれていますが、現代は人の心の中に虚無がどんどん広がって行っているのではないでしょうか。
虚無をくい止めるもの、砂漠に花を咲かせるものは、イエスさまの復活の命です。わたしの心もイエスさまの復活の命を受けて再生しました。わたしの心は緑で潤い、サフランの花が咲いています。
これを読んでいるあなたの心に花が咲いていますか? まだでしたら種を差し上げましょう。たくさん花が咲きますように。
それは、同じ日本であっても、外国であっても、生きることの過酷さを含んだ現実を見聞きするとき、時にたじろぐほどの内容があります。
特に、そのことのために献身をされている方々、使命を持って仕えておられる方々には、頭が下がります。
神様に召しだされた方にしか出来ないこともありますね。
神様の不思議に導かれながら、クリスチャン達が神様の器として用いられますよう願います。
でも、イエスさまに命の水を戴いて再生しています。その水は尽きることがないのですから感謝ですね。
違ったかたちであっても、ひとりひとりのクリスチャンがイエスさまの復活の命を伝えていくことができるように祈っています。