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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

もしイエスさまが来て下さらなかったなら

2007-12-25 15:52:05 | 
Moscow

23日の礼拝メッセージを聴いて書いた詩を紹介します。

もしイエスさまが来て下さらなかったなら   土筆文香


もしイエスさまが来て下さらなかったなら

わたしの心は闇におおわれていたでしょう

もしイエスさまが来て下さらなかったなら

人間らしく生きることができなかったでしょう

もしイエスさまが来て下さらなかったなら

身体も心も病んで、ボロボロになっていたでしょう

もしイエスさまが来て下さらなかったなら

生きる意味がわからずに、あてもなくさまよっていたでしょう

もしイエスさまが来て下さらなかったなら

ああ……わたしはとっくに死んでいました


聖書の言葉
きょうダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ルカ2:11)




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9 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (kitajima)
2007-12-25 15:59:36
はじめまして。
ブログ応援サイトのファイブスタイルです。
ブログの記事、拝見させていただきました。

当ファイブスタイルでは、5つのスタイルの
カテゴリからブログをご紹介出来ればと考え、
担当者の私が1つずつ訪問しご紹介させて
いただいております。

是非、訪問していただければと思います。

詳しい説明はこちら⇒ 
http://www.fivestyle.biz/info/guidance

12月より会員様のお知らせを告知できる
ページ、専用メール、bbsも開始致しました。
最後になりましたが、不快に思われた方、および
既にご案内を受けた方にはお詫び申し上げます。

ファイブスタイル
http://www.fivestyle.biz
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そうですね (さわちん)
2007-12-25 18:12:53
イエス様に出会うまでは、神なんていない、キリストなんて自分には関係ない、と思ってました。

それでも暮らしていけたんです。でもどこか満たされない感じがしてました。

彼は満たして下さいます。

私が好きな聖書のヶ所で、イエス様とその弟子が少女の家を訪れた時、彼女はイエス様に香油を注ぐんですね。すると弟子が「なんてもったいないことを」と彼女の行動を非難します。

するとイエス様は

「彼女は私の埋葬の為の準備をしてくれたのです」

と言われました。

イエス様は常に弱い者の味方で、どんなに窮地に追い込まれた人でもその人を引き上げて下さるんですね

この時の少女の気持ちを察すると、本当にこの少女に見習いたいなと思うんです



昨日は今までで一番充実したクリスマスイヴになりました。

演奏も無事終えました。

聴いてた人が「感動して涙が出ました」と言ってくれましてね。嬉しいですよ、そう言ってくださると。

練習した通りの演奏は出来なかったけどそれはそれでいいと思います。

神様が「背伸びしなくてもいいから」と言って下さったんじゃないかと思います
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さわちんさんへ (文香)
2007-12-25 21:52:42
昨日は演奏が祝福されてよかったですね。
聞いている人の心に届いたのですね。

>神様が「背伸びしなくてもいいから」と言って下さったんじゃないかと思います

きっとそうだとわたしも思いますよ。神さまは演奏の技術ではなく、心を喜んで下さいますから。
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昨日は (さわちん)
2007-12-26 16:59:29
イヴ礼拝にも参加しまして、教会で礼拝するというのは初めての経験だったので新鮮でした。

賛美歌○番とか歌ったのも初めて。

「主われを愛す」や「きよしこの夜」はゴスペルでも歌ってるので分かりましたが、もう一曲歌ったのが、主を拝せよ、なんとか~かんとか~って歌詞忘れましたけど。

昔の日本語で書かれた歌詞なので意味を理解するのは難しかったです。

主われを愛す、を歌った時は泣きそうになり声が詰まってしまいました。

本当に主の愛を感じますね



演奏する時に、ただ見せるだけ、聴いてもらうだけ、という目的にはしたくなかったので、演奏の前に祈りました。

「演奏するのは私達ではなく、あなたです。あなたの愛の言葉をあなたが奏でてください」

その通りになりました。

技術はあとから伴ってきますよね。
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さわちんさんへ (文香)
2007-12-26 22:08:49
イブ礼拝に出席できてよかったですね。

わたしは、神さまの愛への応答として毎週礼拝に出ています。それは、出なければならないという義務感からではありません。礼拝に出ることが何よりも大きな喜びであり、生きる力をいただけるからです。

「主われを愛す」は、教会学校でときどき歌います。ジーンときますね。

さわちんさんが演奏の前に祈られたことを神さまはかなえて下さったのですね。素晴らしいです!
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そうですかぁ (さわちん)
2007-12-29 11:12:54
礼拝が義務になったら信仰生活は続かないってことなんですね~

献金もそうでしょうね。



聖書も義務になったら読む意味がないと思うんですね

本当に神の言葉を求めて聖書を開くのが一番父が喜ばれますよね。

だから毎日読んでるわけではないんですよね。
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さわちんさんへ (文香)
2007-12-29 16:16:53
洗礼を受けて間もないころ、わたしは毎日聖書を読んでいませんでした。教会も行けるときに行けばいいのだという気持ちでいました。
そうしたら、だんだん気持ちが神さまから離れていき、引っ越しをきっかけに教会へ行くのをやめてしまいました。

教会を離れている時期は、心の中が真っ暗でした。再び教会に通うようになって、気づいたことがありました。今日信仰があっても、キリストから離れてしまったら明日は枯れてしまう。信仰ははみことば(聖書の言葉)によって日々与えられるのだということです。

礼拝を守ることや献金、聖書を読むことが、義務となってしまっては、生き生きとした信仰生活はおくれないでしょう。けれども、義務ではありませんが必要を感じます。

食物と水が生きるために毎日必要なように、毎日聖書を読み、日曜毎に礼拝に行くことによって、神さまからいのちを注がれているのです。
わたしは毎朝早く起きて聖書を読み、祈っています。
それを始めてから恵みが溢れ出しました。

不思議ですよ。毎朝、10分でもいいですから聖書を読んでみてはいかかでしょうか。

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そうですね (さわちん)
2007-12-29 16:43:41
少しづつではあるけど、読んでて今ルカの福音書を読んでます。

聖書読む日もあれば読まない日もあるけど、やっぱり毎日読んでこそ意味があるんですね。

神様のことを考えない日がないというぐらい毎日考え、感謝してはいるんですけどね。

文香さんに見習わなきゃな~文香さんに比べたらまだまだ信仰の薄い者です。

湖の上を歩いてイエス様の所に行こうとしても足が一歩でないと思います。

本当に信頼しきっていれば恐れることはないんですよね。
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さわちんさんへ (文香)
2007-12-29 22:16:53
少しずつでも毎日読む習慣をつけられたらいいですね。

湖の上を歩くイエス様を見て、わたしにも命じて下さいといって湖の上を歩き出したペテロはすごい信仰ですね。でも、風を見て恐れてしまったのですね。

わたしだったらどうかなあと考えると……やはり恐れてしまうでしょう。
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