昨日はヒッくんのお食いぞめのお祝いで息子宅に招かれ、夕方から主人と出かけました。
写真は初公開です。公開するのを迷っていたのですが、いまのうちしか公開できないと思って……可愛いでしょう? すっかりバババカになってしまったわたしです。
ヒッくんは、4人の祖父母にかわるがわる抱かれ、ご機嫌でした。あやすと声を立てて笑います。先週も会ったばかりですが、会うたびに大きくなっている気がします。
ヒッくんを囲んで6人の大人が和気藹々と食事を共にしました。ヒックンの前に並んでいるのは、お赤飯と煮物、酢のもの、鯛、吸いものです。(まだ食べられませんが……)パパに吸い物だけ一口飲ませてもらって、顔をしかめていました。みんなに愛されてヒッくんは幸せです。
先日ようやくDVDプレーヤーを買ったので、昔撮ったVHSビデオをDVDにダビングしようと、再生してみました。18年前、息子が幼稚園年長、娘が2歳のときのものから数10本あったので、とても懐かしく思いながら見ました。
子供たちの誕生日や初節句の時は、両方のおじいちゃん、おばあちゃんを招いて祝っていました。ビデオに映っているおじいちゃん、おばあちゃんは何て若いのでしょう……。つい昨日のことのように思えますが、小さかった息子が、もうパパになっているのです。次の世代になっているのです。
時の流れはなんと速いこと……と、しばし感傷に浸ってしまいました。でも不思議に「あのときはよかった」と過去に戻りたい気はしません。
あのころ、わたしはすでに毎週教会に通っていましたが、色々なことで心が支配されていました。
近所付き合い、子供の教育、人間関係、健康のこと(そのころは喘息がひどかったのです)などで悩み、身の回りで起きる出来事に振り回され、心が乱れていました。
聖書の学びの中で、『自分の生きる目的は、神さまの栄光をあらわすため』だと教えられ、神さまの栄光のために生きようと決心したわたしでしたが、いつの間にか自分や家族のために生きていました。
子供の成長を見守るのではなく、ほかの子供と比較して、劣っているところをみつけると叱咤激励し、少しでも成績が上がるように教育ママぶりを発揮し、いつも「早くしなさい」と叱っていたような気がします。
いちばん大切なことを見失って、目に見えないものより目に見えるものを優先させてきた自分のあり方を思い出し深く反省しました。
失敗だらけの子育てでしたが、祈ってきたこと、聖書を子供たちと共に読み、創造主である神さまを教えたこと。教会学校へ通わせたことはよかったことだと思っています。
親になった息子。今は教会から離れていますが、祈って子育てをしていってほしいと願わずにはいられません。
これから可愛い盛りですね。
文香さんがおばあちゃんだなんてピッタリきません。
私もおばあちゃんになれた幸せを感謝していますのに、自分のことを「おばあちゃん」とはまだ少し抵抗を感じます。
ヒックンのご成長を祈り、そのご両親様の上に神さまの大いなるお導きがありますようにお祈りしています。
これじゃ、バババカなってもおかしくないですね。
心なしか、大きいよう 感じますが。先日生まれたばかりのような気がしますが、子どもの成長はあっという間ですね。時を止めたいくらい・・・。今の可愛さをストップさせたい。でも、これから、益々可愛くなりますね。楽しみですね。文華さん、幸せですね。
優子さんは何と呼ばせるのですか?
母乳だけでこんなに大きくなっているのですから、神さまのなせる業はすごい!と驚いています。
夫は文香さんのご主人様と同じで、「おじいちゃん」でいいと言ってます。だから「おじいちゃんが来たよ」と、私も既に自然な感じで言うのですが、夫をおじいちゃんと呼ぶのもまた今はまだ変な感じです。
「ユコちゃん」か、素敵ですね。
さて私はなんて呼ばそうかな、平凡に「おばあちゃん」がいいのか、よく考えてみますね。
ついでに、ご馳走も素晴らしい!!
私は「横浜のおばあちゃん」と、呼ばれています。舌がよく回らなかった頃は、「ヂイチャン、バアチャン」と、セットでないと続かないときもありました。
何とでも、呼んでくれる孫がいるだけで幸せなのです。
主人が「おじいちゃん」と呼ばせることを決心したのは、昨日のことです。
魚は焼いた鯛ではなく、刺身がいいとの要望があっ
て、魚屋さんに頼んで持っていきました。
>何とでも、呼んでくれる孫がいるだけで幸せなのです。
そうですね。孫が与えられたことを主に感謝しています。