生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

最悪は最善に

2009-11-02 17:13:41 | 聖書から

昨日は召天者記念礼拝で、死について考えるときが与えられました。
召された方の写真が次々とスクリーンに映し出されました。父の写真をみたときは、やはり涙が出ました。


19世紀の英国の詩人ロバート・ブラウニングの詩、「プロスピシー(展望)」が紹介されましたが、書き記すことができませんでした。

インターネットで調べると、原文と訳が出ていましたが、英文も日本語訳も難解です。

心に留まった言葉は
with God be the rest!  です。

【天国に行ってからは神様と共にあって、すべてが備えられるので、他のことは何も案じることはない。
】という意味を含んでいるそうです。

ブラウニングは、愛する奥さんが召された直後にこの詩を書きました。奥さんはブラウニングと旅行中、肺結核が再発しました。医者を呼びに行かせる間にブラウニングの腕の中で息をひきとったそうです。

奥さんは肺の病気だったので、呼吸困難で非常に苦しんで召されたそうです。
ひどい喘息の発作を体験したわたしは、息がほとんどできないときの苦しみがわかります。あのような苦しみは2度としたくないと思っていました。

愛する人が苦しむのを見ることほどつらいことはないでしょう。
ブラウニングは、(妻にこんなひどい苦しみを与えるなんて・・・愛する妻をなぜ死なせたのか・・・)と神様を恨んだでしょうか? 

いいえ。恨むどころか、神様と共にある幸いを綴っているのです。ブラウニングは、
『死の現実は悲惨だが、目を覆わず、死のすべてを味わわせよ。』

『信仰の勇者には、最悪が最善に変わるので、死の現実に雄々しく立ち向かおう。』

といっています。

わたしは乳がんの手術後、リンパ転移があると知ったとき、死が間近かもしれないと思いました。そのとき、死を恐れました。天国の希望は抱いていましたから、死そのものは恐ろしくないのですが、死に至るプロセスを恐れました。癌が肺に転移して呼吸困難で死ぬのだけはいやだと思い、もしそうなるのなら、いっそのこと事故で、苦しむ間なく召されたらいいのにと思ってしまいました。

でも、ブラウニングは勇敢にも『死に至るまで最期の一戦をして、死のすべてを味わわせよ』といいます。

『苦痛は安らぎに変貌する。』と言い切った彼は、召された後、神の懐に抱かれて永遠に憩うという希望をしっかりと握っていたのでしょう。
聖書に書かれている「死は勝利にのまれた」ことを信じているので、死を正面から見つめられたのですね。

「しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。(Ⅰコリント15:54)」


黙示録21:1-9、7:9、7:14-17、14-13には、明確な神様の約束が記されています。

「事は成就した。わたしはアルファでありオメガである。最初であり、最後である。わたしは渇く者にはいのちの水の泉から、価なしに飲ませる。(黙示録21:6)」

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